प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

2019年04月10日 | 仏教・思索
「仏教では神の存在は認めるが意義は認めない」とか、「一神教とまったく概念が違うのが仏教」という説にはどうにも違和感があるんだよなぁ。
だいたい、天部の神を一神教のゴッドと対置できるのだろうか。むしろ天使の類ではなかろうか。
創造主としてのゴッドは、ある次元では神話的なものだけど、それこそある次元では阿弥陀如来も久遠実成の釈迦牟尼仏も通俗的なゴッド的受け止められ方をしていないだろうか? そしてより高い次元では、ゴッドも「ありてあるもの」で法身的な感じになるし、「人格以前の」言語道断のそれ、象徴としての光とか、ほとんど比較や相違を絶したポイントにたどり着く。
意外に突き詰めた極限では、そこまで違いはないのではなかろうか。
ゾクチェンの水晶の喩えではないが、光のスペクトルの現れ方の違い、文化規定の表層構造に幻惑されているだけで…。
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