प्रज्ञापारमिता

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他人の病

2019年06月07日 | 法話関係
如何が己身の膏肓を療せずして たやすく他人の腫脚を発露すや

『三教指帰』


どうして自分の重病を治療もしないで、他人の腫れた脚をとやかく言うのか。

…………………………

「病、膏肓に入る」と言いますが、これは病気が重く深刻になることです。膏は心臓の下、肓は横隔膜の上あたりで、身体の一番奥深い部分と言われています。

ただここでお大師さまが仰っているのは、身体の病のことではなく、心、精神、つまり私たちは自分自身が煩悩や不完全さを抱えていながら、それを軽く見て他人の欠点ばかり直してやろうとしていないか、ということです。
しかもそれは相手を思いやるより、自分自身が気持ち良くなりたい、思うように他人をコントロールしたい、という欲でしかなかったりするものです。

他人の欠点を見る前に、それに負けないくらいの自分の欠点に気づきなさい、という教えです。

聖書(ルカによる福音書6章41・42節)にも似たような言葉があります。

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる」

つまり、自分の欠点を軽く見たり無視するならば、相手に通じるものも通じないのです。「あなたに言われたくない」となるのがオチです。
逆に、自分自身がちゃんと「善い人間」になる努力をしていれば、敢えて他人に「脚の腫れを治せ」「目のおが屑を取り除け」など言わずとも、いずれ自然に相手に伝わっていくものです。

弘法大師は、他人よりまず自分を見つめなさい、と教えておられます。良い部分はますます伸ばす、悪い部分は徐々に良き方向に向けていく。他人に優しく、自分に厳しく。当たり前の話ですが、なかなかできないのが私たちです。
しかしとても大切なことですから、お互いにちょっとずつ、頑張って参りましょう。
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