प्रज्ञापारमिता

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龍樹

2018年02月28日 | 仏教・思索
龍樹菩薩は八宗の祖とか言われますが、その場合、いったい「どの龍樹なのか」というのは大切な問題です。なんらの限定なしに「龍樹」と言っても、却ってよくわからなくなる。

龍樹菩薩は釈尊以降に出た仏教者の中で確かに圧倒的に重要な人物で、およそ仏教者であれば、上座部も含めて、肯定するにせよ否定するにせよ、避けては通れない巨人です。

その龍樹菩薩とは、端的に言って『根本中頌』を書いた方のことです。これ一冊です。この、そう長くない偈頌の作者が、龍樹菩薩、ナーガールジュナです。

龍樹菩薩作と伝えられる文献は他にもあります。
これらを「龍樹文献群」と呼びますが、大きく二つに分けられます。

A文献
六十頌如理論、空七十論、廻諍論、因縁心論、方便心論、宝行王正論…等々

B文献
大乗二十頌論、大智度論、十住毘婆沙論、釈摩訶衍論、菩提心論…等々

A文献は真偽未決です。恐らく真作もいくつかはあるかも知れませんが、細かい点で疑義があるものです。B文献に関しては、これはもう明らかに違います。龍樹菩薩の思想とは違うし、時代も合わないものです(がしかし、瓜生津隆真氏等、これらも龍樹真作を一応は想定する学者がないわけではありませんし、石飛道子氏などもかなり広く龍樹文献群を真作として想定しますが…)。

問題は、伝統宗派で「龍樹によると…」と言われる場合、かなりのケースでB文献なんですね。これは龍樹菩薩ではなく、あくまで仮託された「龍樹文献群」であり、『根本中頌』の龍樹菩薩とは明らかに関わらないものです。少なくとも、相当の疑義が提起されています。
A文献にしても、恐らくほぼすべてが仮託でしょう(桂紹隆氏、五島清隆氏等など最近の学説)。真作があったにしても、数作に止まると思います。『空七十論』と『廻諍論』は真作の可能性があるのかな…と思いますが…よくわかりません。ただ、どちらも『根本中頌』を出るものではないので、結局は『根本中頌』のみが「龍樹菩薩の思想」として確実に提示できるものなのだと思います。

「龍樹文献群」に価値がないとは言っていません。それぞれ素晴らしい価値を持っていますし中観思想の展開において重要です。全体としての中観派を考えるには外せないし、思想的な価値は大きい。ただ、「龍樹の思想は…」というふうに語る場合、やはりきちんとこのあたりを踏まえて語らなければ、『根本中頌』すらよくわからなくなってしまうんじゃないかと思います。とりわけ『十住毘婆沙論』などB文献については、前提なしにこれをもって「龍樹はこう言っている」というのは止めて欲しいものです…少なくとも龍樹菩薩の思想の基本にして根本を確定するときに共通しておけるものはただひとつ、『根本中頌』だけなのですから。
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