प्रज्ञापारमिता

言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない。
究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。

懈怠と慈悲

2018年12月23日 | 仏典の言葉
『摂大乗論釈真諦訳』

精進の行は久遠時の中に於て、一切の善を修す。若し衆生に於て慈悲心無ければ、自身を愛惜し、修行する所に勝れたる功徳有ることを見ざるが故に、修行する所の中に於て疲怠の心を生ず。此の心有るに由りて精進すること能ず、即ち是れ懶惰なり。懶惰は即ち是れ退弱心の因なり。

…………………………

なぜサボるか。
なぜ「俺じゃだめだろうな」と思うのか。

大悲がないからだ。

菩提心というのにも色々な定義があるけれど、ある定義によればそれは、

・布施心
・三解脱門…空観
・慈悲心

とされている。
そうしてその実際上の根本は慈悲心に他ならないのであって、これがなくては菩提心がないということであり、菩提心がなければ当然、仏道において本当の意味で精進するなどは不可能だ。
「本当の」と言うのは、たとえば自己顕示や自己満足、虚飾や自慢や支配のためにそれを「しているように見える」場合があるからであって、大抵はそれは無自覚で自分みずから誤認していたりするので、そこに慈悲があるのかを常に再確認しながらやったほうが良い。
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