प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

真実語

2019年09月08日 | 仏教・思索
twitterから、日蓮宗の方のツイートへの僕のリプライ。

………………………

妙法・ダルマ・真如・X…は本来はコトバ以前で、それを主客分別し、その後に言語化する、その二段階を経て文化的言語的バイアスを潜らせて言語化されたのが、聖典。
日連教学的には「文底」と言えるかも知れないけど、そこを言語以前のポイントで把握していき身に落としてはじめて、真実の聖典となる。

書かれた言語はサンスクリットであれ漢文であれ現代日本語であれ、いずれそれを外してしまわないといけないんじゃなかろうか。その外した次元から改めて立ち上がるコトバ、向下のコトバ、如来語を真言と呼ぶし、題目だって名号だってアッラーの99名だって、その次元であるからこそ「真実語」たり得る。

その「コトバ以前」、また認識次元への顕現には、仏教云々以前に、諸宗教に共通の構造があるんじゃないかと考えていたのが、井筒俊彦だよね。

井筒の思想はもう古いとか、重大な錯誤、あるいは恣意的な取捨選択があるとか、まぁそれはそうなんだろうけど、彼の直感的な共通構造のありかたの指摘自体は、今なお有効だと思う。
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