प्रज्ञापारमिता

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供養寺、布施、相場?

2016年08月14日 | 仏教・思索
葬儀の布施が高いの安いの、amazonで僧侶が派遣されるの、直葬だの何だの、おカネに絡むような話題がマスコミベースでも取り上げられていますが、その前提の知識や認識として、……たぶん皆さん、僧侶がお布施を右から左に使えると思ってるでしょ?
一時間の葬儀ですげー時給だな、的な。
甚だしくは、税金を払ってないとか(笑) どこの法律に、僧侶は無税とか書いてますか? あり得ません。宗教法人は、その本務に関わる部分のみは無税ですが、これは社会福祉法人や学校法人とおなじ公益法人だからで、宗教だから、ではないんです。そしてこれらの法人職員も、普通に税金を払ってますわな。
学校法人=教員じゃないのと同様、お寺=僧侶ではないのです。

そもそも供養寺と檀家の位置付けがおかしいんですよね。

寺は檀家が共同で維持して、僧侶はそこに請われて住して維持管理と法務をして修行してるわけで、お布施の大半は寺院運営と本尊護持に使われるんだから、檀家の共有財産なんですよね。そこから生活費などをいただく分は「僧分(=給与分)」ですが、それ以外は「法分(=法人会計分)」なんで、坊主丸儲け、ってのは違います。寺院財産は共有の寺院の財産です。

このあたりの原則が、檀家もわかってないし、僧侶も寺院をあたかも私有のように考えてるからおかしいことになる。

檀家の立場としては、功徳行云々とは別に、自分達の祖先や故人に関する供養のための寺院の共同維持に参画するためにするのが布施なわけで。その総額が檀家の総意ですから、「いくらが相場」じゃなくて、維持するだけのものが、建物の規模や檀家の数などを勘案してケースバイケースにどのくらいかかるか、主体的に考えるべきでしょう。
改築やなんかも、本来は住職じゃなくて檀家の考えることです。もちろん住職はそこに住んでて状況を把握してるから提案を出すケースはあるでしょうが、寺は住職のもんじゃないんだから、もっと檀家が考えるべきことです。

僧侶も、寺院を私物化して抱え込んだりするのは論外でしょう。あくまでも檀家が、供養のために、自分達の寺に請うて呼んでるのが、住職です。釈尊が信者の家に呼ばれていって布施を頂いて説法しましたが、それを常設したのが、供養寺です。その家までが釈尊のものになったわけじゃない。

道場、祈祷寺院はまた事情が違うでしょうが、少なくとも地域に根差す供養寺は、そういうもんだと思います。同じ「寺」でも、まったく性質が違うんだと思います。
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3 コメント

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気付きのお礼 (乾 邦彦)
2016-09-28 07:45:34
いつもFBで拝見しておりまして、初めてお寺のホームページをお邪魔しました。併せてブログも初めて読ませていただきました。遅まきで申し訳ありません。

原田先生のこの記事で、忘れかけていた事を思い出しました。

その村に建立されたその最初の経緯、例えばその村が希望してできたのか、宗門が布教のため建立したのか、もっと古くに、そこに仏縁が自然発生的に存在していたのか。

ひょっとすると、その村には神様はあってもお寺は存在していなかったかもしれない。

でも、現在まで存在しているということは、先祖代々がその存在を良し(歴史の強制もありますが)としてきたので、そこにあると思うのです。

すると、お寺は檀家、すなわち、村の人の総意で維持運営を行うべきもので、葬儀の際のお布施も含めて、ハード、ソフトを維持管理するための費用の分担なんですよね。

で、ご住職は、高度な専門性を持った管理人であって、その方を請い願う以上、その生活の責任を持つのは当然です。通いのご住職にお願いするにしても、その都度、交通費はかかりますし、手弁当でお願いするわけにもいきません。

じゃ、村人が出家して、その寺の住職になってやるか、と奮起しても、畑仕事だけでは本山へ行ったりする経費も出ない。まして、光熱費すら支払いができない。日常の修行としての時間も取られる。資格だけでなかなか生活出来る訳ではありませんものね。

ところが、先生のおっしゃるように、大阪でもそうですが、お寺はその住職の「家」であって所有物と化しているところもある。空間の解放というにはちょっと疑問を感じる部分もあるのです。

そして、その方が子供を有名私学に通わせ、ベンツを乗り回し(笑)、夜の繁華街に妙に詳しくなるほどの生活をしている状況で、修行者としての立場に戻って、お布施について考えを述べたり、意見を言うと、「くれ」と言ってるように世間では感じてしまうのでしょうね。

今回のみんれびを発端とした死にまつわる様々な問題ですが、先生のようなご意見がエッセンスになっているコメントを全日仏が出すべきでしたね。

そうすると、皆が原点に戻って、「あ、そうか、そうだよね、そうのための維持管理費だよね」と、多くの方が感じる機会だったと思いましたし、襟を正す機会でもあったかもしれない。(多分しないでしょうけど)そのチャンスを逃ししたと感じました。

どうも、問題の矛先を違えているように自戒も込めて感じさせられました。

神さん、仏さんは人の口を通じて教えてくれはる。

と、若いころお世話になった、毎日、神棚の前で朝から晩まで正座したまま皆の相談にのってくれていたおばあちゃん先生がよく言ってましたが、現代ではこれに文字も加わるんだと、記事を見て感じた次第です。
乱文 (乾 邦彦)
2016-09-28 07:51:00
原田先生

後半の文章むちゃくちゃになってました。申し訳ありません。

>そうのための維持管理費だよね

「う」が多い。(笑)

>そのチャンスを逃ししたと

「し」が多い。(笑)

以上です。m(_ _)m

Unknown (管理人H)
2016-09-29 13:29:09
まぁ、僕なんかが何を言っても、「寺は金持ちでしょう」という前提がみんなにあるので、個別の僧侶がどうであれ、お金に関わる意見はとてもじゃないけれど言いにくいですよ。
いずれにしても、「きれいごとを言っても、お金が欲しいんでしょ、結局」としか取ってもらえない現実はあります。難しい時代ですが、その責任の過半は、寺…というか、僧侶の側にあります。
「空って何ですか」というような基本的な問題についても答えられない僧侶しかいないんですから。「葬儀の意味は」と言われて、「生きている人の為だ」とか(笑) 大きなお世話です。
僕も色々と書き散らしていますが、別にこういうので何かが変わるとは思っていません。全体としての流れは止められないし、すべてお金で換算して「安く」、そして(倫理なども含めて)不可視のものには経済程の価値はない、という時代ですから…まぁ、「僕は言いましたからね」というエクスキューズでしかないのでしょう。

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