प्रज्ञापारमिता

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筏、六文銭

2019年09月07日 | 法話関係
筏に遇うて彼岸に達しぬれば法すでに捨つべし
自性なきが故に

『秘蔵宝鑰 第九』


筏に乗って仏の岸に着けば、筏は捨てられる。
筏はさとりへ導く手段であるから。

…………………………

令和さいしょの秋分の日、つまりお彼岸の中日は9/23(月曜日)ですので、この秋の彼岸は「9/20〜9/26」の期間になります。
まだまだ残暑もあり、なかなか実感は湧かないのですが、確実に秋に向かいつつあります。

さて、そもそも「彼岸」とは「川の向こう岸」のことで、「川のこちらがわ」を「此岸」と呼びます。もちろん、仏教では、「彼岸」は仏のさとりの世界、「此岸」は私達の迷い苦しみのある世界を表します。

「死後の世界」ではありません。

さとれば、その人は生きたまま彼岸にいるし、死んでも迷うならば此岸から彼岸には渡れません。つまりそれはあくまでも、さとるかさとらないか、の違いです。

では、お彼岸の行事とは何なのでしょうか。

まず、先祖供養ですが、これは仏様の加持により既に彼岸に渡られたご先祖様に、しっかりと私たちが守り導いていただけていることへの感謝、その導きをちゃんと受け止められるようになりたいという祈り、です。まだお育てを頂いている段階の先祖、万が一にもまだ迷い苦しみにある人(先祖のみならず、無縁さんや生きている人まで含め)があれば、この時期にしっかりと仏様の慈悲や智慧を学び、彼岸に渡れるように…と祈ってください。さとりの心になり、安楽で平安な仏になってください…と。

次に自分自身も、彼岸の心、さとりの心になりたい、平安で清らかで落ちついた心、慈悲と智慧に満ちた光のある人間になれるよう、祈り「行動する」期間です。
その具体的な行動は「六波羅蜜(施・戒・忍・進・禅・慧)」ですが、この6つが自分の心を清め明るくし、慈悲と智慧を育てて、彼岸の心を達成させます。
つまり、この6つの実践が、さとり・彼岸への筏になります。正確には、「彼岸に渡る六文銭」となるのです。

この六波羅蜜なくしてはさとりの心にはなれません。六文銭なくしては筏に乗れません。しかし、彼岸・さとりの岸に到着したら六文銭を支払い手元になくなるように、「六波羅蜜」などの「教え」もいらなくなります。
さとりの岸に到着した人は、もう仏です。別にルールや決まりなどなくても、内面から溢れる自然な慈悲や智慧で完璧です。言葉による教えにこだわらず、自由自在です。六文銭などなくても、自由に川くらい渡れます。

弘法大師はそれを、

筏に乗って仏の岸に着けば、筏は捨てられる。
筏はさとりへ導く手段であるから。


と表現しておられます。

もちろんまだまだ半人前で迷いの此岸にいる私達は、教えに従って学び実践する必要があります。

この秋のお彼岸には、先祖供養とともに改めて六波羅蜜を意識し、自分自身がさとりの心・彼岸の心・慈悲と智慧の心・光あふれる人間になれるよう精進してまいりましょう。そうして、それを心がけ実行した功徳こそが、亡き人への手向け、回向供養になるのです。
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