प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

祈りと努力

2020年03月21日 | 時事関連
Newsweekの記事から。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2020/03/post-351.php

【また、プロテスタント系の宗教に夢中になっている遠い親戚(スイス人女性)は、「神が守ってくれているから、自分や自分の周囲は感染しない。もし感染しても大丈夫だ」と言っている。彼女は高齢者の訪問介護をしている。もし彼女が感染してクラスターを発生させてしまったらと想像すると怖いが、ご主人が諭そうとしても、聞く耳は持たないそうだ。
カトリック教の中にも、似たことを発言する人がいる。保守的な思想をもつことで知られるE補佐司教は、感染と戦うには衛生管理などは不要で信仰が大事だとし、「奇跡を期待しています。神のお力とご加護を信じています」とインターネットで発信しているそうだ】

………

以下、賛否両論あるとは思いますが、僕自身の考えです。

イタリアやスペインを中心にヨーロッパが冗談ではなくなって来ていますが、相変わらず「宗教」に関して「カテゴリーエラー」を起こしている人がいるみたいですね。
病気の感染と信仰や「宗教の正邪」はまったく関係なく、敬虔な信徒でも無信仰者でも罹患については基本的には同じですよ。ウイルスは物理的アタックなのです。たとえば包丁で刺されるのと同じで、信仰があれば刺されても血が出ない、なんてことはありえません。ウイルスは目に見えないから神や霊的なレベルのものと誤認してるのか知れませんが、ウイルスは物理的なものです。

宗教の、あるいは祈りの役割は、たとえばウイルスの沈静化を祈るのは有効だと思います。法界力、加持力はそこにも働きかけるでしょう。人の心やカルマにも働きかけるように。でも目の前で現在進行形で猛威を振るうものがあれば、それはどうしたって危険なわけです。
病気にはなっても病人にならず、が宗教の真髄でしょう。それは今の状況で言えば、感染が拡大しても(病気になっても)パニックにならない・状況を過小視過大視もせずに冷静に見極める(病人にならない)、そのような心を祈りによって与えられる・発現していくこと。その強さを函養すること。
基本はそこです。

奇跡は起こり得ます。それは祈りを通して起こるのでしょう。しかしそれは奇跡であって、お金を入れたら商品が出てくる自動販売機ではないんですよ。キリスト教的には、奇跡は恩寵であるのですが、それは「こうしたらこうなる」的なオートマチックなものではありませんよね。そこに期待して具体の対策を放棄するのは罪です。あなたが仮に奇跡に与かっても、今まさに誰かが物理法則に従って死んでいるわけです。そこを人力の及ぶ範囲で努力して防ごうとするのは、この世を委託された人間の務めではないんでしょうか。祈りを中心に据えた努力。祈りだけに注力する段階ではまだないし、やれることは個人レベルでもまだたくさんあると思います。
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