प्रज्ञापारमिता

𝔇𝔥𝔞𝔯𝔪𝔞 𝔗𝔞𝔩𝔨, 𝔅𝔲𝔡𝔡𝔥𝔦𝔰𝔪, 𝔗𝔥𝔦𝔫𝔨𝔦𝔫𝔤, 𝔞𝔫𝔡 𝔱𝔥𝔢 𝔚𝔬𝔯𝔡

2019年07月12日 | 仏教・思索
Twitterで、以下のような話があった。

…………………………

空がよくわからない
と、とあるお坊さんに聞いたら
かたよらないこと
とおっしゃったけど
なかなか実感できない

…………………………


以下、僕のリプライから。

…………………………

よくそんな説明がされますが、「ドーナツとは何ですか」と聞かれて「基本は小麦粉です」と言われてもピンと来ないだろうなぁ、とは思います。間違いではないけど…と。



なかなか説明は難しいですが、万物や精神も含め、すべて縁起つまり相互依存的にのみ成り立ち、他から完全に別な非依存的に自立した存在はない、というあり方で現象的一時的に成立している状態、を空と一応ラベリングする、というところでしょうか。
ざっくりですが。



たとえばゴルフのネットがあって、右から3つ目、上から7つ目の穴があるじゃないですか。それは大きさも形もありますが、それだけ抜き出して持ち出せないですよね。その穴は周りに依存して成り立ってますから。実体もないし。
僕らみんなそういう存在ですよ、そのあり方を空と言う、ってことです。

…………………………


以上。

まぁこれはこれで良いんですが、たとえば次に「そういう相互依存的、つまり相対的ではない存在はあるのか、つまり、神であるとか」なんて論題があり得るかと思います。

しかしそれは論題になりません。

たとえば「絶対的な神」、何ものにも依存しない神、なるものを考えた時、それは既に「私に対置」されて、依存的な概念にならざるを得ません。それは絶対ではなく、相対、既に「空なる存在」です。
つまり、「絶対的な神」が「いる」としても「いない」としても、そもそも前提とされる「神」が措定された以上、それは絶対ではないので、論題としてナンセンスなんです。
だから仏教においては基本的には、神あるいは「絶対的存在」については、語りません。語れないからです。語れば、あるいは考えてしまえば、その瞬間に絶対ではなくなるからです。

法身、あるいは「果分可説」など細かい議論はまたあるわけですが、ざっくりと言えばまぁ、こんなところでしょうか。

宗派や人によって様々な立場があり、考え方も色々とあるとは思いますから、あくまでひとつの意見として読んでいただけたら幸いです。
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