प्रज्ञापारमिता

言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない。
究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。

宇宙

2019年01月07日 | 法話関係
あけましておめでとうございます。

昨年末に、中国の無人宇宙船が月の裏側への着陸に成功した、というニュースがありました。素晴らしいことですが、宇宙全体の広大さに比べたら、月などはまだ地球の玄関の内側程度のことで、私たち人類はまことにちっぽけな存在に過ぎません。
地球は太陽を一年かけて一周します。そして太陽が銀河系を一周するのには、約25億年かかるそうです。その銀河系も実は無数にある他の銀河系に比べたら特別に大きなものではないようで、宇宙のことを考えると少し怖いような、圧倒されるような気分になってきます。

さて、「宇宙」という漢字ですが、宇は空間、宙は時間を表します。空間と時間が組み合わさって、私たちの生きる宇宙・世界は成り立っています。これはもちろん物理的な世界もそうですが、精神的・こころの世界も同様です。
私たちのこころの世界を作るのは、必ずまずつながりが必要です。家族や友人や地域・職場の人とのつながりです。それがあってはじめて、私たちのこころが動き始めます。生まれてからすぐ砂漠の真ん中で、誰にも会わず、言葉も何も教えられなければ、こころは動き出しません。これは「宇宙の宇=空間」のようなことです。
次に、こころは過去と未来があるから、動きます。過去も未来もない世界がもしあれば、こころどころか、物の運動もないのです。過去の時代の蓄積や経験があって文化や歴史があり、私たちは人間らしくなり、未来を想像しながらこころを動かします。これが「宇宙の宙=時間」です。

仏教では、この「宇宙の宇=空間」でこころを人間らしく活かすためには慈悲が必要と教え、「宇宙の宙=時間」を見つめてこころを人間らしく活かすためには智慧が必要と考えます。
「仏様・御本尊」とは、この空間と時間の無限が、つまり完璧な慈悲と智慧が、私たちにもわかるように現れて下さったお姿なのです。つまり、私たちのこころがあるのは、すべて仏様の働きがあってこそ、なのです。
そして、動いているこの私たちのこころとは、実際には仏様の無限の慈悲と智慧の働きと別のものではありません。ただ、煩悩や無知によって私たちがそこに気づいていないだけですから、その汚れをいつも掃除しながら、自分自身が仏様の慈悲と智慧そのものだ、その光と一体なのだと念じながら手を合わせていくと、必ず無限の空間、無限の過去未来を目の前に見ることができます。そこには、昔亡くなった懐かしい顔も見られるし、遠くの大切な人も目の前に見えてくるのです。

本当は誰もひとりではなく、同じなのです。みなすべて、ここにおります。
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