प्रज्ञापारमिता

言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない。
究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。

立派な人

2019年03月12日 | 法話関係
世間の大人は麤言雑染相応の語を出だすべからず

(金剛頂経開題)


大人(たいじん)たる者は、粗暴な言動や邪心のある言葉を使ってはならない。

…………………………

大人は〈オトナ〉ではなく〈タイジン〉と読み、「立派な人」の意味です。ここで言う「立派」は、社会的な地位がある・お金持ち・職業や身分が立派・有名人、などとは一切関係がありません。ただただ、その人の心が立派であるかどうか、ということです。

心が立派な人は、言動に出ます。
心が立派でない人も、言動に出ます。

確かに内心をごまかすことはできますし、立派な人でも敢えて粗暴な言動をする人はいます。しかしよくよく見てみると、あるいは長く付き合ってみると、やはり全体として、心が立派な人はそれなりに感銘を与えますし、立派でない人はいずれ周囲にそれがバレてしまうものです。

では「立派な人」とは、具体的にどういう人を言うのでしょうか。
それは、以下のような人です。

・感情的に怒らない人(瞋がない)
・もの惜しみや差別をしない人(貪がない)
・思い込みで勝手に物事を判断しない人(痴がない)

つまり、「思いやり(慈悲)のある人」です。そうして、行動する時、喋る時に、よく考えてひと呼吸を置ける人。

そうなるためには心の訓練が必要です。仏教にはそのためにとても素晴らしい導きを与えてくれる教えがたくさんあります。ぜひ学んでいただけたら嬉しいのですが、日常生活の中で簡単に実践できる「意識づけの方法」もあります。

・人と話をする時には、かならず正対して話す
・挨拶する時には立ち止まる
・体の動きにメリハリをつけて、静止を入れる
・全体的にゆっくり丁寧に動く

これだけでも意識すれば、だんだんと心が暴れなくなります。一人の時にも意識してください。不思議と落ち着きが得られ、周りがよく見えてきます。
そうすると、動くとき、喋るときに自然にひと呼吸が生まれてきます。これに「思いやり」を併せる努力をすれば、感情的な怒りが収まり、周囲と調和しようという心が出てきます。
これがいつも自然にできる人が、「立派な人」なのです。

少しずつですが、その「少し」を積み重ねて行くことが大切です。

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