प्रज्ञापारमिता

言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない。
究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。

人間崇拝

2019年01月11日 | 東亜仏典の言葉
当に知るべし、衆生は自ら度するべきものにして、仏は度すること能わざることを。努力よや、努力よや。自ら修して他の仏力に椅ることなかれ。経に云はく、夫れ法を求めむ者は仏に著いて求めず。

『頓悟要門』

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「日本仏教の特徴の一つは人間崇拝にある」とは中村元先生の指摘を俟つまでもなく、インドや中国の仏教を鑑みても確かにそれはそういう傾向があるかな、とは思う。確かにどの国や宗教についてあってもカリスマ崇拝はありうるし、また現にあるわけだけれど、理屈や思想的基盤を突き詰めるよりも、現前の人や事態に随順する傾向はやはり強め、とは言えるだろう。
「信」についての日本独特の(信を初門ではなく究極の立場に置く)信中心主義、たとえば日蓮における「以信代慧」「末代幼稚の頸に…」などは典型だし、また真宗などもそうだけれど、智慧より信、ダルマより人格的仏、仏より現前の人、原理原則より状況、という抜き難い傾向、これを長所と考えるか短所とするかは様々な立場があるだろうけど、まぁ、日本仏教の特徴のひとつとは言えるだろうかな。
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