源氏物語と共に

源氏物語関連

椎・クヌギ・コナラ・浅茅(あさぢ)

2008-10-14 11:46:53 | 

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「たち寄らん陰とたのみし椎が本 むなしき床になりにけるかな」 (椎本)


「椎本」の巻名にもなった「椎」を調べてみた。


(画像は城南宮の「源氏物語の庭ー草木の栞」よりツブラジイ)





「椎の木。
常盤木(ときわぎ)はいづれもあるを、
それしも葉がへせぬためしにいはれたるもをかし」(枕草子)


常緑樹。また椎の樹皮で喪服の色を染めた。「椎柴」は喪服を意味する歌語。
また椎に四位をかけて官位の不遇を訴えた。
椎・椎柴は人里離れた地を表す。  (知っ得古典文学植物誌より)


この歌の「椎が本」の「椎」は宇治八の宮を表す。


この歌は宇津保物語にちなむ。
「うばそく(優婆塞)が行ふ山の椎が本 あなそばめし床にしあらねば」をひく
(出家したうばそくの宮はお亡くなりになって、
そのご修業のお席もむなしく跡をとどめているだけだ) 「新潮日本古典集成頭注」参照




同じような木にクヌギ(橡)とコナラ。どちらもドングリ(団栗)が出来る。
(源氏物語の庭より)
クヌギ                            コナラ



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実の形が違うようだ。


↑クヌギは字の通り古名は「つるばみ(橡)」で、染色に使用。
ダークな喪系の色になる。


コナラは「ははそはら(柞原)=コナラの茂る原野」   →
万葉集で母の枕言葉がある。「ははそ葉は母の命・・」(万葉集)
一名「ハハソ」、ホーソ(柞)、ナラ(楢)とも。


源氏物語では
「菊の籬(まがき)、我は顔のははそはら・・」(乙女)
         (源氏物語の庭より)


ついでに浅茅(あさぢ)は「茅(ちがや)または茅萱」
茅は原野に自生、春に銀白色の小花を穂に集め、
ススキのようなこの穂をツバナ(茅花)といい、若い花は食用にする。
茎や葉は屋根葺用。
一面に生えた丈の低い茅萱をいう「浅茅」は歌語になり、
浅茅が原、浅茅が露、浅茅生の語が生まれている。(知っとく古典文学植物誌より)



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人里離れた秋の植物達。画像は「源氏物語の庭」より白茅。







橋姫の阿闍梨(あざり)

2008-10-07 11:32:47 | 登場人物
橋姫には阿闍梨(あざり)が出てきます。


この阿闍梨は、橋姫の展開で重要な役目を担っているように思います。


この阿闍梨は、(実は源氏と藤壺の子である)冷泉院と親しくしていて、
引退した冷泉院が光源氏亡き後も特に薫を可愛がっている事から、
薫は院の所でこの阿闍梨と知りあいます。


そして、この阿闍梨は宇治八の宮と仏典で交流があることから、
憂いをかかえて仏道心のある薫に八の宮の存在を教えます。
生きた聖(ひじり)であると。


その言葉を受けて冷泉院は紹介状を書き、阿闍梨も薫を八の宮に紹介します。
薫は八の宮を訪れ、その人柄に尊敬して交流を深めて行くうちに
3年経って、宇治の八の宮の娘達にも出会ってしまう展開になるのです。


まるで末摘花のように、ひっそり暮らしていた貧乏な八の宮に
薫が尊敬している人だからと院も大事に思うようになって、
急にスポットライトがあたります。


八の宮は桐壺帝の8番目の子供で、源氏の年の離れた弟です。
(ちなみに、冷泉帝は10番目)
源氏が須磨に行った時に右大臣派によって
冷泉帝の皇太子を廃するために次の帝位にと勝手に担ぎ込まれた人です。


源氏が復活してからはすっかり忘れられた存在になりました。


世事にうとく、使用人にまで逃げられ、とても貧乏に暮らしている様子は
末摘花を彷彿させます。
しかし、こちらの八の宮は清貧という感じがします。


薫に八の宮を教える阿闍梨とは、誰か。


冷泉院の側で親しくする僧で思い出すのは、
藤壺と光源氏の秘密を知っていて、藤壺崩御の後に
冷泉帝(当時)に真実を伝えた夜居の僧都です。(薄雲)


しかしこの薄雲の時にすでに彼は70歳。
時間的に可能なのか勉強不足で不明です。


そして薫は久しく訪れていないと宇治に向かって行く時に
何故か涙を流すのです。


有明の月のまだ夜深くさしいづるほどに、供も少なくして出発する薫。


霧で道が見えなくなる繁き野を分け入り宇治に向かいます。


おりしも荒々しい風が吹き、ほろほろと木の葉が落ち乱れ
霧で濡れてしまう薫は心細くなって感慨にひたり涙を流し、歌を詠みます。


「山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな」(橋姫)


何となく宇治でこれから何か起きそうな、
秘密が露見するようなそんな伏線がしませんか。
(ここの有明の月からの原文はとても綺麗だと思います)


実際、薫が行ってみると、八の宮が仏道で留守。
娘達を覗き見る事になり、大君とも知り合い
ここの女房として流れついた弁に袋を渡され、
いよいよ自分の真実の父を知る事になります。


深読みかもしれませんが、橋姫で、紫式部は阿闍梨を出すことによって上手に
橋姫の巻は秘密露見の巻と伏線にしているといったら考えすぎでしょうか。


舞台を宇治=憂しに移して
物語の姫達のようにひっそりと上品にくらしている八の宮と姫君達。


薫の訪れによって、八の宮の存在もクローズアップされていくのは
読者にとっても嬉しい事です。


大塚ひかりさんは「カラダで感じる源氏物語」(筑摩書房)で、
読者は不幸な貧乏話が好きといわれていました。
源氏物語にはそういうヒロインが多くて読者を共感させると。


ここですぐに匂宮に娘達の存在を知らせる展開は
ちょっと薫には浅はかで早すぎるように思いますが、
結局、その後中の君は匂宮の子供を生む事になります。


紫式部は出家した後に宇治十帖を書いたのでしょうか。
それとも特に人生の憂いを感じた頃に書いたのでしょうか。
今後も興味深く読みたいと思います。



横浜美術館ー源氏物語の1000年ー

2008-10-04 12:52:43 | その他

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横浜美術館の「源氏物語の1000年」展をチャンスに恵まれて見てきました。
横浜美術館
http://genji1000.jp/  (源氏物語クイズも面白いです♪)


先日にあった京都文化博物館の展示と似ているのではないかと思ったのですが、
どちらかというと、最近の源氏物語の感じがしました。


勿論、昔の紫式部日記絵巻や御堂関白記などもありましたが、
私にとってはあまり馴染みのない
江戸時代や近代の画家の源氏物語の絵などが印象的でした。


それでも展示期間が合わなかった扇面屏風他を見られた事はとても良かったです。
色々な屏風絵は大きい上にとても迫力があります。


美しい昔の和歌の字も、
ちゃんと読めませんがさすがに綺麗でした。


御簾を表現した筆の細やかなタッチや、日本画の独特の美しさも感じました。
須磨や明石、石山寺などの絵も綺麗です。


また賀茂神社の装束・調度品などもあって面白かったです。
ここで「麹塵(きくじん)」という緑がかった色もはじめて実物を見て知りました。


上村松園の有名な「焔」の絵は、以前にも見たはずですが、
何故か線が弱弱しく感じました。
着物の柄が蜘蛛の模様だったのはどの絵だったのでしょう。
迫力があったと思っていたのですが、
どうも記憶があいまいになっています。


安田靫彦の絵も時々本で目にしていましたが、
実物はまた違った感じがしました。


図録表紙になっている大正時代松岡映丘の屏風も、
少し原文とは違うものの、とても綺麗でした。
しかし、この本は重い!!電車で持ち歩くのに疲れました~(笑)


浮世絵もさすがに鮮やかな色合いです。


また復元された平成国宝源氏物語絵巻もありました。
やはり味わいがあります。


他にも調度品や貝あわせなどの美術工芸品、源氏物語注釈書などもあり
海外も含めてその人気ぶりには
源氏物語は永遠のベストセラーと思います。


それにしても沢山の人がひっきりなしに訪れていましたが、
やはり源氏物語は千年経ってもなお人気があります。


しかし大勢の人の中、ちょっと暗めの照明で作品を見るのは疲れます。
ソファもありますが、やはり大勢ゆえさっと流した作品もあってちょっと残念でした。


横浜美術館ははじめて行きましたが、
電車の便も良く、とても綺麗な美術館でした。