goo blog サービス終了のお知らせ 

大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

今日は電話創業の日!

2020年12月16日 | 今日は何の日

12月16日は電話創業の日です。

1890(明治23)年の今日(12月16日)、東京滝ノ口と横浜居留地に電話局が設置され、東京市内と横浜市内で日本初の電話交換業務が開始されました。
千代田区に設置された電話交換局の電話交換手は、昼は女性7名、夜は男性2名で対応しました。
この時の通話の方法は、電話交換局を経由し、交換手によって回線をつなぐという超アナログなシステムで、かける側はまず交換手にと話したい相手の番号を伝え、一旦電話を切って電話を待つ、というものでした。

当時、電話は高価なものだったため設置している家庭は少なく、加入者数は東京が155人・横浜が42人で、当時の電話番号は申し込み順であったため、今では「177」は天気予報ですが、昔は大隈重信の番号だったそうです。他には、渋沢栄一は158、後藤象二郎は247、前島密は248という番号が割り当てられていました。
また、
電話料金は定額制で東京が40円、横浜が35円でした

その後、時代が進むにつれて電話の普及率があがり、交換手が不要な自動交換式に変わったのが1926(大正15)年で、東京の京橋局に第一号の自動交換機が導入されました。

ちなみに、日本で初めて電話の通話実験が行われたのは1877(明治10)年で、「東京の溜池にある工部省」と「赤坂御所内の宮内省」とを結ぶ、2キロほどの電話でした。


今日もご訪問有難うございます


近江鉄道八日市線 平田駅!

2020年12月15日 | 

滋賀県東近江市平田町にある平田駅は、八日市駅から近江八幡駅までを結んでいる全線単線の近江鉄道八日市線(9.3km)の駅です。 もともとは湖南鉄道の駅として、1913(大正2)年12月29日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換可能な有人駅(平日の午前7:30~8:50及び午後15:15~16:20)です。
2006(平成18)年11月に竣工したコミュニティホールを併設した駅舎が上りホーム(八日市方面行きホーム)側にあり、下りホームへは構内踏切で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は295人で、これは起終点駅を含む八日市線の全7駅中5位です。

平田駅が属する近江鉄道八日市線は、近江盆地の八日市市と近江八幡市の2つの都市間を結ぶ近江鉄道の主力路線で、2013(平成25)年3月16日から「万葉あかね線」の愛称が付けられています。

  <平田駅の年表>

 ・1913(大正2)年12月29日:湖南鉄道の駅として開業
 ・1927(昭和2)年5月15日:琵琶湖鉄道汽船が湖南鉄道を合併したことにより、同社の駅となる
 ・1929(昭和4)年4月1日:琵琶湖鉄道汽船が近江八幡駅~新八日市駅間を八日市鉄道へ譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・1944(昭和19)年3月1日:太平洋戦争中の陸上交通事業調整法に基づく戦時企業統合政策により、近江鉄道が八日市鉄道を合併し、同鉄道八日市線の駅となる
 ・1946(昭和21)年1月1日:近江八幡駅~当駅~新八日市駅間が電化される
 ・1987(昭和62)年5月1日:当駅~近江八幡駅間の区間運転列車が廃止される
 ・2006(平成18)年11月20日:コミュニティホールを併設した新駅舎が竣工
 ・2013(平成25)年3月16日:「万葉あかね線」の愛称を使用開始
 ・2019(令和元)年9月15日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(八日市方面を望む)

 
(構内踏切上から近江八幡方面を望む)

 
(平田駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2019(令和元)年8月17日


 今日もご訪問有難うございます


今日はビタミンの日!

2020年12月13日 | 今日は何の日

12月13日はビタミンの日です

1910(明治43)年の今日(12月13日)、農芸化学者の鈴木梅太郎博士が米糠から抽出した脚気を予防する成分に「オリザニン」と命名したことを当時の学会の東京化学会例会で発表しました

鈴木 梅太郎博士のこの功績を広く知らせて、ビタミンの知識の普及に貢献する情報発信活動を行っていくことを目指し、“ビタミンの日”制定委員会(2009年に解散)が、2000(平成12)年9月に12月13日を「ビタミンの日」に制定しました。

ちなみに、オリザニンは後に、この1年後にポーランド人化学者のカシミール・フンク氏が発見したビタミンB1と同じ物質であることが判明し、国際学会への発表はカシミール・フンク氏のほうが早かったため、現在では「ビタミン」という名称が普及しています。

ビタミンは、生物の生存・生育に微量に必要な栄養素のうち、その生物の体内で十分な量を合成できない炭水化物・タンパク質・脂質以外の有機化合物の総称で、ヒトのビタミンは13種が認められています。

ビタミンはほとんどの場合、生体内で十分量合成することができないので、主に食料から摂取されます。そしてビタミンの多くは、生体内において酵素がその活性を発揮するために必要な補酵素として機能します。したがってビタミン欠乏症に陥ると、ビタミン類を補酵素として利用する酵素が関与する代謝系の機能不全症状が現れてきます


 今日もご訪問有難うございます


播但線 寺前駅!

2020年12月12日 | 

兵庫県神崎郡神河町鍛冶字八重向にあるJR西日本の寺前駅は、山陽本線の姫路駅と山陰本線の和田山駅とを結び、陰陽連絡線としての役割も担っている全線単線の播但線(65.7km)の駅です。
もともとは播但鉄道の一般駅である終着駅として1894(明治27)年7月26日に開業しましたが、その後、山陽鉄道を経て国鉄播但線の駅となりました。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有していて列車交換可能な直営駅です。
2010(平成22)年5月に改築された駅舎が単式ホーム側にあり、島式ホームへは跨線橋で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は794人で、これは起終点駅を除く播但線の全16駅中10位です

この寺前駅は神河町の代表駅で、特急「はまかぜ」の全列車が停車します。 また、電化区間と非電化区間の境界駅となっています。

寺前駅が属する播但線は、兵庫県の中央部を流れる市川・円山川に沿って山陽本線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線ですが、普通列車は電化区間の姫路駅~寺前駅間と、非電化区間の寺前駅~和田山駅間で運行系統が分かれており、1998(平成6)年3月14日のダイヤ改正以降は全線を通して運行される列車は、特急「はまかぜ(大阪~ 香住・浜坂・鳥取)」のみです。

  <寺前駅の年表>

 ・1894(明治27)年7月26日:播但鉄道の一般駅である終着駅として開業
 ・1895(明治28)年1月15日:播但鉄道が長谷駅まで延伸したことにより、途中駅となる
 ・1903(明治36)年6月1日:播但鉄道が山陽鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1906(明治39)年12月1日:鉄道国有法により山陽鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により国鉄播但線となり、同線の駅となる
 ・1959(昭和34)年1月  :旧駅舎が竣工
 ・1982(昭和57)年10月2日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年4月1日:福知山支社から福崎鉄道部の管轄に変更される
 ・1996(平成8)年6月17日:午前7時頃、同駅へ「寺前 - 和田山間にダイナマイトを仕掛けた」という脅迫電話が掛かり、安全確認のため3時間余りにわたり運行を見合わせる事件が発生する
 ・1998(平成10)年3月14日:姫路駅から当駅まで電化されたことにより、電化・非電化の境界駅となる
 ・2010(平成22)年5月  :駅舎が改築される
 ・2010(平成22)年6月1日:福崎鉄道部が廃止され、福知山支社の管轄に戻る
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2016(平成28)年3月26日:ICカード専用簡易改札機が設置されたことにより、ICカードICOCAの利用が可能になる

 
(駅 名 標)

 
(駅 構 内)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(寺前駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2016(平成28)年1月3日


 今日もご訪問有難うございます


今日は百円玉記念日!

2020年12月11日 | 今日は何の日

12月11日は百円玉記念日です。

1957(昭和32)年の今日(12月11日)、それまでの板垣退助の肖像が描かれていた百円札に替わって、表に中国の伝説の鳥である「鳳凰」・裏に桜のデザインの百円硬貨(銀貨)が発行されました

その後、1967(昭和42)年に現行の新しい百円硬貨が発行されましたが、保有銀量が不足していたうえ、電子工業、写真工業など当時世界的な銀需要が増大していたため、素材は銀貨から白銅貨に変更され、デザインも替わりました。
現在発行されている百円硬貨(白銅貨)は、表面には「日本国」と「百円」そして桜が、裏面には「100」と製造年がデザインされていて、側面にはギザが103本あります。 そして、この百円硬貨の発行が、自動販売機が昭和40年代に急速に普及した要因として挙げられています。
また、特に発行数の少ない年銘は、平成13年銘(802万4千枚)と平成14年銘(1066万7千枚)であり、これらの年銘の未使用硬貨は古銭商などで額面を超える価格で取引されています。ちなみに、昭和64年は製造されませんでした。

なお百円銀貨(旧百円硬貨)が発行されていた時代には、板垣退助の肖像の百円紙幣(B百円券)と並行して流通していましたが、この紙幣が日銀から支払い停止になったのは、現行の百円白銅貨の発行後の1974(昭和49)年でした。

ちなみに、日本では独立行政法人造幣局が100円・50円などの硬貨を製造し、1000円札などの紙幣は独立行政法人国立印刷局が作っています


 今日もご訪問有難うございます