いろいろつれづれ日記

16歳と13歳の女の子のママです。子育て記録から始めたブログでしたが、いまは何でもあり!日々の活動記録になっています。

3月12日

2011年03月12日 | Weblog
3月11日、東北地方太平洋側と関東地方は大きな地震に見舞われました。


そのとき私は会社で部会中でした。

だんだんと大きくなる揺れに、私達はみな会議テーブルの下に隠れました。

どんなに大きな地震でも、2分以内には収まると聞いていたのですが、
今回の揺れは5分位続きました。

私は怖くて、口に出してはいけないとは思いつつ「怖い~」と言い、
机の下で手を合わせ、この揺れが止まるようにと拝み続けました。

ビルは安全とは思っていましたが、先日のNZ地震のビル崩壊を思い出し、
このビルも崩れるのではないかと怖かったです。

地震が収まり、会議室のテレビをつけると、次々と各地の様子が報道されはじめました。

お台場のビル火災から始まり、
東北地方の、川を見ているんじゃないかと思わせるような津波の様子など、
次々と信じられない光景がテレビに映し出されました。

そしてその日は、断続的な余震で、ずっとビルがゆらゆらと揺れていました。

このような大きな地震でしたから、電車が止まっていること、今日いっぱいは電車が止まるであろうことは、
駅に行かずとも確実にわかりました。

同時に、窓の外を見て、
家のことが心配になりました。

家具が倒れているんじゃないか、
家にひびが入っているんじゃないか、

家事になってないか、

そしてたまたま有休を取って家にいるであろう旦那さんの安否、
そして保育園にいる2人の子供達のことが心配でした。

旦那さんに子供達を迎えに行ってほしいと思いつつ、
案の定携帯は全然つながりません。

やむを得ず会社の電話で義父の家に電話をかけると義父が出て、

みな無事であること、子供達は既に家に帰って来ていることがわかりました。

こうなると次は自分がどうやって家に帰るかが問題となりました。

幸いにも会社から家までは歩いて行ける距離でした。

これは歩いて帰るしかないと決めると、

私は早速会社のコピー機で道路地図をコピーし、
家までの経路を確認しました。

結局6時の終業のチャイムを聞いてから、私は会社を出ました。

外に出ると、大きな損傷がないことがわかりました。

ただ家を目指して歩くだけでした。

途中テレビで、暗闇の中で赤い火の海になっている石油コンビナートの火災の様子をみて驚きました。

会社から家まではちょうど1時間でした。

自分の夜ご飯にカップラーメンを買って帰りました。
ガスが止まっているのではと心配しましたが、
ライフラインはすべて正常でした。

あんなに大きな地震でも停電させない電力会社は凄いなと思いました。


いま一番心配なのは福島の原発のことです。

また被災された東北の方は一人でも多くの方が助かって欲しい。

これ以上被害が拡大しないことを祈ります。
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