天台寺門宗 修験道

天台寺門宗の修験道だった祖母の跡を継ぎたくて、日々翻弄しています。

お風呂

2020-02-08 18:47:26 | 日記
やっと、やっと、、、
ゆっくりお風呂に入れます♨
私は半身浴が好きなので、本を読んだり日記を書いたりして1時間くらい入浴します😆



今はとにかく休めよ
心身ともに休めよ



と、どこからともなくの声だったり
人の口をお借りしての声だったり

優しさで溢れていて癒されます☺️

神社へも行こう!
と息巻いていたものの
ことごとくピンポイントで外せない予定があり
どうやら今月はどこへも向かわないのかな🤔

ただ、
スッと出向くことができる
熱田神宮へは


行ってくると良い

とのこと。

心のままに
感じるままに
疲れたら休んで
動きたくなったら動いて

その繰り返しで、いつの間にか元気になっているだろう、と。


そして
最大の疑問。


おばあちゃんは、あとを継がせたいけれど
大変な思いはさせたくない
しんどいことも、させたくない

だから、体力つけて
体も丈夫にして

安心できら、継いでほしい
ってことなのかな。

そしてそして
法華経典を学べと。
読めと。
お経をあげろと。

般若心経もだけど
法華経も、ですよと。


法華経、とても難しそうだけど
これもまた一つの流れなのかな😳


法華経をあげるのは
母方の曾祖母、祖父、祖母、伯母
この四人とさらにその上の方々のためにだとのこと。

お寺さんの月参りはあるけれども
できれば毎日あげるといいとのこと。

これは
おばあちゃんの声なのか?
どなたの声なのか?
魔の声なのか?


池宮神社の神様もお聞きになられるのか?


謎ばかりですが
ひとまず
やらない選択肢はないので、やってみる!




記録65・その後

2020-02-06 19:12:46 | 日記
伯母が亡くなり、区役所での手続きも終え
生命保険の手続きも終え
ほっと一息ついています。


伯母が残した
というか
祖母が伯母のために残した遺産を
伯父が全て一人で抱えて持っていった
という出来事がありました。

お金に不安があったんだろうなぁ…
と、身内なだけに寂しくも感じました。

私の母は「もう放っておこう」と達観しつつも突き放し。
もしも今後伯父が困ったことがあったら、
それでも
私も母も伯父を助けるんだろうな
とは思う。

今回の伯母の介護からの入院からの施設探しからの入院に戻ってからの葬儀
その後の手続き
すべてが
私と母で行ったことは
多くの知識と経験値を貰った気分です。

次に誰かがこうなっても
素早く行動できる自信しかない(笑)
疲労困憊でめまいが止まらず
もうできない😱
と何度も挫けましたが
終わった今となっては
良い経験をさせて頂いたな、という感想しかない。


そして、急なことで慌てて探した葬儀屋の方との不思議なご縁も頂きました。
お世話になっているお寺さんと、葬儀屋の会長さんとの代々の繋がりがありまして
とても驚きました。
このご縁が素晴らしく
怒涛の中での感動がありました。

というわけで
お寺さんは法華経寺なので
現在法華経を学びつつあります。
祖母の残したお経の本の中に
使い込んだ法華経の本があります。

これを読めと
きっとそういうことだな
と、今日の7日法要でたくさん質問もして
勉強になりました✨

私はどこへ向かうのか
何を学びつつ
誰の声を聞いていくのか
この選択はベストなのか

いつも、自問自答しつつ
我欲とは
利他とは

感謝を忘れず



迷ったらおいで

と言う
荒熊の神様なのでしょうか?
宮司さんなのでしょうか?

どなたかのお声が
一昨日の真夜中に聞こえました。
とある出来事があり
一心不乱に般若心経を唱えていたところ
急に軽くなったので
止めた瞬間のお声でした。 

そうだ、荒熊神社へ行こう
って急に思ったんです😅





伯母

2020-01-25 17:52:31 | 日記
昨晩、伯母が息を引き取った。
午前中に様子を見に行った際に、友人の時と同じく
「大丈夫」という声掛けをした。
もう意識もなく横になっているが、怖い怖いという感情がひたすら流れてきた。
きっと、おばあちゃんが迎えに来るから
安心して待っていれば大丈夫だよ、と。



おばあちゃんが伯母の手を引いて連れていく姿は、涙が止まらなかった。
おじいちゃんも、いた。
幼い姿になっていた伯母を、おばあちゃんとおじいちゃんが手を繋ぐ姿は
本当に涙が止まらない。


ひとまず
記録。


目なのか眼なのか

2020-01-23 11:05:36 | 日記


先日みた夕日が
目だ!!!
と思わずパシャリ📸

視線を感じたのだが
どなただったんだろう。


介護している伯母が
いつどうなるかわからない病状です。
どうか苦しまず
痛くならず
おばあちゃんお願い
という気持ちでいっぱいです

祖母との会話・その2

2020-01-19 18:50:41 | 日記
伯母のお話。

伯母とは。

尼であり霊能師として活動していた祖母との間には、3人子供がいた。
代々男子が一人しか育たない因縁を持つ家系を断ち切るために、祖母はかなり頑張ってくれた。
そのおかげで、長男の伯父、長女の伯母、次女の私の母は今も元気だ。

しかし、伯母は幼少期に高熱で脳炎になり、今でも知能的には小1くらいで止まっている。
母も幼少期に歩けなくなったのだが、今では元気に歩いている。

というわけで、伯母のお世話を私もしていた。
祖母の亡き後は、皆でお世話をしていた。

普段は大人しい伯母だが、父が入院して3日後くらいに急に暴れだした。
私は姪なので気にならないことも、伯父や母は気になり叱ることもあったので、それが一気に爆発した。
そりゃもう大爆発。

同居している伯父から助けてほしいと電話があり、出たときには電話線を引っこ抜かれて話せなくなってしまった。
窓からテレビを投げたので、もうダメだと判断して向かう途中で救急車を呼んだ。

一人で暴れて転んで怪我もして、あらゆる箇所が血だらけ。


ここで。
ここで、最初の分かれ道があったんだと、今ならわかる。


救急車で搬送する際に、伯母は抵抗していた。
こんなものに乗りたくないと暴れまくった。
さて、どこへ搬送する??
希望は?
と聞かれて

私の家の近くの精神科を伝えた。
きっと、そうした方が私が楽だから。
この後、私は父も伯母も様々な手続きや施設探しをしなければならない、と冷静に考えた。


その結果、私の自宅に近い病院へ入院した。
父が入院中の病院とも、それほど距離はない。

このときに、薄っすらと
違う病院が頭によぎったのだが
なんせ慌てて決めなきゃならない
私が行きやすいところはどこだ
というので頭がいっぱいだったので
祖母の声も天からの声も直感も聞こえやしないわね😅


無事に入院した伯母は、3ヶ月入院できるとわかったのでホッとした記憶がある。

さてさて、私は次は父親の行く施設を探さなきゃ!
で、頭がいっぱいだった。

というか。
私が同居している母親というのは、私の実母です。
霊能師だった祖母の次女。
伯母の妹であり、父親の元嫁。

この頃から私の怒りが母に向いた。
二人のお世話をしているから、
仕事もできない
子どもたちのお世話もできない
手続きはかりで大変だ
あぁ大変だ

と、自分を大変な位置に置いて
勝手に「大変な人」にしてた😅
私かわいそう、な位置にいたかったのかなぁ。

貴方たちが何もしないから私がやってるのよー!
って言いながら、やってるのよね😅
文句言うなら私もやらなきゃいいのよね。

で、この時にはっきりと

伯母の今後について話をしていた時に入ってきたのが

祖母のお世話になった総合病院の老健が空いているかも、と。

伯母はもう自宅に戻るというのは無理そうなので、退院後は施設に入れようと話になったときのこと。

最後は特別養護老人ホームが希望しているが、すぐには空かないので
ひとまずどこかへ
という話のとき。


その総合病院の施設は老人保健施設だった。
長くは居られない。
しかし、祖母のお世話になった総合病院のお偉い方が部屋を空けてくれるとのことだった。

その時私は
特別養護老人ホームがどこか空いたら、また移動しなきゃならないし
それに、コネというのは「私が」嫌だなぁ。

と!
また私!😱

このときに祖母の声通りに、この総合病院の老人保健施設へ行っていたら
その5ヶ月後の私はきっと身体が楽だった。

そう、いま!

この老人保健施設に入ることで
煩わしいのは私だけ。
この通りで話を進めていたら、きっと今は私はもう何もすることはない。

だからかぁーーーー
だから、おばあちゃんはここへ入れろって言ってたのか!!!
って、今ならわかる。


そしてこれも、
おばあちゃんは私のために言っていると思わず、無視した。
伯母のためか?くらいに。
反抗期真っ盛りの人みたいに。





ここで一度切ろう。