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エゼキエル書28章

2014年03月30日 05時47分09秒 | エゼキエル書
<朝のディボーション>
 昨日に続いて、ツロに対する裁きの預言。後半(20-26節)は、ツロの北約35キロにあるシドンについての預言となっている。ツロの君主、イトバール2世が、自分を神としたことで非難されている。それはまさに高慢の罪なのであるが、人間の原初的な罪を思い起こさせるものである。
 創世記3章、最初の人アダムとエバは「神のようになる」(創世記3:5)というサタンのことばに唆されて、神に背き、エデンの園を追放されてしまった。11-19節は、その物語をなぞっている。これは、ツロとアダムに共通する高慢の罪をとその堕落を重ねて語っているものなのだろう。
 しかしながら、この箇所については、もう一つ、サタンの起源について語る、とする説がある。聖書には、悪魔やサタンの起源について直接的に書いているところはない。それは、聖書の関心が、主として神にあり、サタンは二義的な事柄だからなのだろう。しかし敢えて、その起源について語られている所を探すとなれば、旧約聖書においてはここが手掛かりになる。既に述べたように、この個所は「ツロの王」(12節)について語っているのであるが、これを比喩的に取るならば、サタンは、「知恵に満ち、美の極みであった」(12節)守護者ケルブであり、罪を犯し、「神の山から追い出」されたというわけだ。14節、新改訳は、ヘブル語のギリシャ語訳(七十人訳)にそって、「わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた」と訳すが、新共同訳は、ヘブル語本文に沿って、「あなたは油注がれた守護者ケルブ」と神がツロを祝福してケルブとなし、神の臨在される場所の守護者の地位にまで引き揚げられた、という意味にとる。守護者ケルブとともに置かれたのか、守護者ケルブなのか、いずれなのかとも思うが、大切なのは神の特別扱いの存在から堕ちたという点である。
<夜のディボーション>
 ちなみにサタンの起源について語る聖書のもう一つの箇所は、イザヤ14:12-15であり、これは直接的にはバビロンの王について語っている。これも比喩でとれば、彼は、「ルシファー、暁の子」(イザヤ14:12)つまり、「輝いている者」あるいは「光を運ぶ者」で、最初は善なる者として創造されたのに、堕落して悪しき存在となったというわけである。
 ともあれ、アダムにしても、サタンにしても、堕落の根源は、自分を神の位置に置いたことにある。自分を神としたことにある。日本人にとって一番陥りやすい罪ではないか。神を認めないこと、自分が造られた者であり、裸で生まれ裸でかしこに帰る者であるという、自分の無力さ、弱さを認めないことがすなわち自分を神とすることである。
20-26節は、ツロの隣国シドンに対する裁きの預言である。しかしそれは、同時に、イスラエルの民の回復の預言を含んでいる(24-26節)。イスラエルの回復の預言は、33章から本格的に語られるが、永遠に葬り去られる諸外国の民と区別されて、イスラエルだけが、再び捕囚の地から回復され、エルサレムに集められるところに、神がご自身の聖徒を特別に扱われる(詩篇4:3)、神の選びの意思がある。神に愛されている者は、倒されてもそれで終わることはない。神の愛の熱心が、神の存在を認め愛する私たちをとこしえまでも守られる。今日も、自分自身の弱きことを素直に認め、遜って神を主として歩ませていただこう。

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