【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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哀歌4章

2020年09月03日 06時44分48秒 | 哀歌
4章 刑罰は果たされた
 おはようございます。2章に平行して神の裁きが詳述されます。そしてその凄まじい出来事は不可解な神の仕打ちではなく(2:20)、神の怒りの終了(4:10)であると明言されます。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.技巧的な書の意味
 既に述べたように哀歌は、各節の最初の文字がヘブル語の22文字のアルファベット順に書き始められる「いろは歌」となっています。また章立ても、一章と五章、二章と四章が思想的に対応し、真中の詩3章に重点が来るキアスムス(交差配列法)構造を取り、非常に、技巧的にも完成された詩となっています。
なぜこのような形で哀歌が作成されたのか、色々な説があります。一つは、イスラエルがアレフからタウまで、つまりAからZまで、あらゆる罪を犯したことを意味しているというものです。また記憶を助けるため。そしてさらに、私には最も納得のいった理由ですが、深い感情を抑制し、冷静に自分たちの悲しみを振り返る歌にするため、というものです。そもそもこの哀歌は、忘れてはならない霊的な教訓として、公の礼拝で朗読されることを意図して書かれたのでしょう。ですから、深い悲しみを呼び覚ます内容を、非常に技巧的な詩にすることによって、いたずらに感情を刺激せず、むしろ冷静にその詩の内容から神の語り掛けを受けるようにした、と言うわけです。実際その内容は、古代イスラエルのものであるのに、時代を超えて、今なお私たちの心にも深くしみ込み、語り掛けてくるものがあります。
2.刑罰は果たされた
1節は、ネブザルアダンが神殿を燃やした出来事(2列王記25:9)を回想しています。イスラエルの国は、バビロンに踏みにじられ、辱められました(2節)。悲惨なのは、乳飲み子でした。食料が尽き、母親たちは子どもの腹を満たすことができないでいました(3、4節)。そして貴族も浮浪者も同じ運命を辿ったのです(5節)。さらに、母親が自分の子どもを煮て食べる最悪の事態(10節、2:20に対応します)。実に心痛む出来事ですが、技巧的な詩文であるために、淡々と読み進んでいくことができます。
 ともあれ、この凄まじい出来事は、AからZまで罪を犯し続けたイスラエルの指導者に対する神の刑罰でした(13節)。しかし、なぜこんな仕打ちをしたのか、ここまでしなくてもよいのに、と事の不可解さにとらわれるだけでは、そこには何の希望もありません(2:20)。注目しましょう。詩人は言います。「あなたへの刑罰は果たされた。主はもう、あなたを捕らえ移すことはなさらない」(22節)。この凄まじい状況は、神の怒りが終了したことを意味しています。罪の償いが必要ならば、それは十分償われた、もうすべては終わったのです。イエスの十字架も同じです。イエスは十字架上で「完了した」と語られています(ヨハネ19:30)。ですから、今なお、自分の過去を嘆きながら、神に呟いて生きている人は、イエスの十字架の苦しみが足りないと言っているようなものです。あなたの過去は閉じられたのです。過去を脱ぎ捨てて新しく前に進むのみ、と心得たいものです。

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