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アモス書8章

2020年11月28日 07時02分03秒 | 小預言書
8章 地震、日食、飢饉
おはようございます。神のことばを聞く飢饉、それは、罪によって霊の目が曇らされることによって生じるものです。主があわれみ、助け、私たちの霊の目を開いてくださるように。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.終わりが来る
第一と第二の幻(7章前半)、第三と第四(7章後半と8章)の幻は、それぞれ対になり、前者は、神の裁きの恐ろしさを、後者は、裁きの理由を付しながらその確実さを告げています。なお、ヘブル語で読むと「夏の果物」はカイツ、「終わりは」ケーツ、つまり音の言葉遊びがあり、その響きが、物事の終わりをさらに印象付ける形になっています。
そこで注目すべきは、なぜ終わりが来るのかです。それは、貧しい人、困っている人に対するアコギな商売のためです(4-7節)。神は、「彼らのしていることをみな、いつまでも決して忘れない」(7節)と、激しい怒りを露わにされておられるのです。
確かに、このコロナ禍はいつ終わるのか、早く商売を再開したいのだが、と考える腹の底に、人のため世のための健康的な経済活動の思いではなく、どこか物欲にまみれた儲け主義の思いがないか、考えてみたいところでしょう。ソーシャルディスタンスが言われて、レストランにしても、電車にしてもゆるゆるの状況になり、改めて本音は、超混みではなく適度な隣人との間隔で、ゆっくり静かに外食をしたかった、あるいは学校や職場に通いたかったと思わされた人も少なくないでしょう。時間もフレキシブルになって、家族と改めて向かいあって時を過ごすようになりながら、今まで何をしてきたのだろう、もっと人生には大切なことがたくさんあったのではないか、と考え始めている人も少なくないはずです。神がコロナ禍において今の社会の動きに「待った!」をかけたとするなら、今こそ、何が正しく、本当はどうあるべきだったのかを、よくよく考えたいところでしょう。
2.神のことばを聞くことの飢饉
さて後半は、怒りを燃やされた神が下される裁き、地震(8節)、日蝕(9-10節)、神のみことばの飢饉(11-14節)が語られます。実際アモスの時代、二度(BC784年とBC763年)日蝕が起こったとされます。それは、単なる自然現象ではなく、神よりの呪いを感じさせるものでした(10節)。そして重要なのは、「主のことばを聞くことの飢饉」(11節)が起こることです。実際、マラキ以降、バプテスマのヨハネが現れるまで、約400年間イスラエルには神のことばが途絶えてしまいました。今日、神のことばは、聖書という形で既に与えられているので、神のことばの飢饉はありえません。しかし罪によって曇らされた目は、飢え渇いた心を満たすものが神のことばであることを悟りえないのです。
ダンはイスラエルの北端、ベエル・シェバは南端、そしてそれぞれ異教の地の象徴です。つまり目が曇らされた者は、まがい物の偶像を慕うのみ、そして滅びることを語っています。こうして5章から始まる一連の幻が締めくくられるのです(5:2と8:14は対応する枠となる)。大切なのは、霊の目が開かれること、ぼんやり、何をしていたのだろう、と考え始めていることが、はっきりわかってきて、まことの神に目の照準が合わせられることです。
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