【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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箴言30章

2020年04月13日 08時19分53秒 | 箴言
30章 人生謙虚に歩むのが一番
おはようございます。いよいよ箴言も終わりになりました。30,31章は、ソロモンのものではなく、マサの国の格言集というべきもの。それはこれまでの格言集と少し趣が違います。国政から社会・家庭へ視点が移っているかのように感じるところです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.30,31章の位置づけ
30、31章は、マサの国の格言集というべきものだ。なぜ、このようなものが加えられたのか。箴言の流れを見ると、ソロモンの格言集は、大きく1-9、10-22:16、25-29章と3つある。その中で異色なのが、10:17-24章のアメンエムオペの格言集と、この30、31章のマサの国の格言集である。既に述べたかもしれないのだが、ソロモンの格言集は、やはりソロモンの生活経験、職業経験から出てきている格言集であり、国政の知恵というべきものである。だが、この箴言の編者は、バランスを考え、ここで家庭に生かされるべき知恵を、加えていると考えることができるのではないか。
アグルがどんな人生を歩んだのか、知る術もないが、彼は自分が無知であり、悟りがないことを認めている(2節)。ヨブ記38-41章のことばを思い起こすところだ。神を神として認める時に、人は自分の愚かさや、小ささを思わずにはいられない。神を認め、神のことばの絶対性を理解する時に、戒めと矯正を与えられ、訓戒と知恵をいただき、自分の歩みを真っ直ぐにされる、これが人間である。
2.アグルの格言集
そこでアグルは二つの願いをしている。一つは、決して欺瞞や嘘偽りに陥らないように、ということ(8節)。それらを引き起こしやすい、貧しさや豊かさの環境にも置かれないように、ということ。神に定められた分で日々を生活できるように、という。
10節以降は、日常性に観察される断片的な格言集である。まず、10節、神は弱い立場の者の味方である。11節以降は、四つの憎むべき人々(11-14節)。無慈悲な子どもたち(11節)、鼻につく生き方をしながら人を教えようとする人たち(12節)、何かにつけて上から目線の人々(13節)、人を食い物にする人々(14節)である。次に神に定められた分を超える四つの欲求。蛭(15節)。地獄、子を求める女性の欲求、水を溜められない乾ききった砂漠と消しがたい火(16節)。さらに人生における不可解な事柄(18-20節)。若い男女に恋心が芽生える過程。そして悪い事をしながら、それを罪と思わず本領を発揮している売春婦。それも神に定められた分を超えることだ。非常にショッキングなこと四つ(21-23節)。奴隷が王となり、謀反人が権力を握り、憎まれ女が結婚をし、女中が女将になる。神に定められた分を超えることが人間の世界には起こりうる。人生はわからない。だが感心させられるものもある(24-31節)。蟻の備え、岩だぬきの避難所、いなごの隊列、やもりの大胆さ。彼らは生きる術を知っている。人間は彼ら以上に知力がありながら、怠け者であり、自分の弱さを弁えず、指導者が無くては行動できず、住み着くべきところを悟らない。最後に当然の結末がある(32-33節)。悪い結末は避けることだ。人生謙虚に歩むのが一番である。

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