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聖書を一日一章読み進み、一日一生を得ることを目的に、既に四回目の通読に入りました。三年半で聖書を読み終えます。

箴言12章

2020年03月26日 06時22分00秒 | 箴言
12章 建て上げる人生にする
おはようございます。「感染爆発重大局面」つい隣町にまで感染者が、という新型コロナの報道に、不安を感じられる方もおられるでしょう。しかしすべては主の計り知れないみこころの内に起こっていること、正しく、賢い、判断をもって、歩みたいものです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安 
1.正しい人と悪しき者
 箴言12章も、雑多に、格言が集められている感じがする。しかし、基本的に、知恵の対局にあるよその男、いわゆる主が忌み嫌う人々(6章)の対比的な詳述である。前半は「正しい人と悪しき者」、後半に「賢い人と愚か者」そして「勤勉な者と無精者」と、三種類の人たちが対比されて語られているが、どこか共通性がある。
 1節「訓戒を愛する人」、2節「善人」、3節「正しい人」は同じ文脈を持つものだろう。彼は、知識を愛し(1節)、主から恵みをいただき(2節)、揺らがされることがない(3節)。しかし、悪しき者はそうではない。教えられることが大嫌いで、一々言われたことに反発する天邪鬼な人である(1節)。正しい人は、どこまでも正直だから(5節)、自らの口による災いを恐れる必要もなく(6節)、後で口にしたことでくよくよ悩むこともない(13節)。また、正しい人は、自分の家畜にまで細かく心を配る、配慮のある人だ(10節)。しかし、悪しき者はそうではない。彼はうわべは親切そうでも、心はない(10節)。結局、初めは良いことを言っても、事態が難しくなると簡単に見捨ててしまう。ただその見捨て方も巧妙だから、悪しき者のあわれみは残忍だ。正しい人は、神の恵みによって芽を出すが(12節)、悪しき者はそうではない。成果物を得ようとする試みは成功しない(3節)。
2.賢い人と愚か者
 次に愚か者は、思慮の足りない者のことであり、悪意に満ちた者とは違う。しかし悪しき者と愚か者は、ことばと考えにおいて五十歩百歩である。愚か者は、忠告を聞き入れるところがない(15節)。教えられることを嫌がる悪しき者と同じである。また、軽率に話して、人を傷つける。すぐにかっとなって(16節)、自分の愚かさを丸出しにする(23節)。しかし賢い人は、忠告に耳を傾け、たとえ侮辱されても、冷静に対処する(16節)。すぐにことばにはせず、正直な心のまま、正しいことを語り、人を癒す(18節)。愚か者のことばは、嘘とあざむき、軽率さに満ちている(18節)。当然愚か者と共に歩む者は、それによって害を免れえず、傷つけられることにもなる。だから愚か者に騙されてはいけない。
3.勤勉な者と無精者 
最後に勤勉な者は、こつこつ積み上げてやがてリーダーシップを取っていくようになる(24節)。しかし無精者は人に使われるだけである。また勤勉な者は、尊い機会をうまく利用していく(27節)が、無精者はそうではない。
 聖書が語ることは、当たり前のことで、特別なことではない。正しく、賢い者が、勤勉さの故に成功するのも当然である。また、正しく、賢く、勤勉な歩みをするのに遅すぎることもない。今ここで決意すれば、その後の歩みは主の祝福が積み上げられる歩みとなる。

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