【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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申命記32章 私のほかに神はいない

2022年03月30日 07時50分56秒 | 申命記
申命記32章 モーセの歌
1.呼びかけと讃美(1-4節)
 モーセの歌と呼ばれる、一章です。これは、約束の地での新しい生活に備えて、モーセによってイスラエルの民に教えられた歌です。それは、神の民を養い育てることばであり、露、小雨、夕立ちのごとくである、と言います。その目的は、神に栄光を帰すことにあるとされます(3節)。神に栄光を帰す、もはやキリスト教会では業界用語と言うべきことばで、実際に何を意味しているのか、わからずに合言葉のように使われている部分もあるのではないでしょうか。それは、人々が神を認め、神を崇めるようになるため、神を指し示す私たちの姿勢を語っています。私たちを愛する主は真実なのだと告白する私たちのあり様を物語っているのです(4節)。
2.叱責と恵み(5-18節)
 そこで、まずその真実を尽くされる神の前に、イスラエルの現実がどんなものであるかが語られています(4-6節)。イスラエルは、その神に真心を持って応えるどころか、背を向け、恩を仇で返すような者たちでした。にもかかわらず、8節、神は、イスラエルに恵みと祝福をもって関わってこられた、とその具体的な事柄が語られています。
 まず、神はイスラエルに安住の地を備えられました。そして出エジプトと荒野の旅に伴われました。彼らはエジプトの奴隷から解放され、荒野での40年の月日を支えられたのです。にもかかわらず、彼らは主の恩を忘れ、背教を重ねました(15-18)。大切なのは、これが、これからのイスラエルのための警告として語られていることでしょう。彼らは、この歌を繰り返し口ずさむことで、神に栄光を帰す人生からぶれないように、と期待されたのです。天と地をお造りになり、支配しておられる神は、私を造り、あなたを造り、すべての人をお造りになりました。人は神を仰ぎ見ながら、つまり神に栄光を帰すように生きるものとして造られたのです。
3.裁きの宣告(19-25節)
 ところが、人間の現実はしばしばそうではありません「ねじれた世代、真実のない子ら」(20節)と呼ばれるようなものであったりします。そのような人間に、「神は、顔を隠し、彼らの終わりがどうなるかを見よう」と言われます。神は頑迷な人間を、自分の愚かさの中に放置しようというわけでしょう。この箇所は、後の時代のアッシリヤやバビロンによるイスラエルの歴史的な裁きを預言的に語っているようにも思われるところですが、単純に一般的な原則を語っている、と受け止めてよいでしょう。
4.救いの希望(26-43節)
大切なのは、裁かれる神は「殺し、また生かす」方(39節)、「傷つけ、またいやす」方(39節)だと語られている点です。神は裁き主ですが、同時に哀れみ深いお方です。いつまでも怒ったままでおられることはありません。そもそも神の裁きは、警告であり教育のためのものです。罪を犯した者は滅ぼし尽くさねばならぬというものではありません。だからこそ、イエスの十字架の恵みも、与えられているのです。イエスの十字架は、「私たちが罪を離れ、義のために生きるため」(1ペテロ2:24)のものです。
5. 近づくモーセの死(44-52節) 
 さて、モーセは、自分の後継者となるヌンの子ホセアを連れて、これらすべてのことばを民に語り聞かせました。イスラエルの民は、この歌を反復しながら、神の真実さ、神の正しさ、それに対する、自分たちの弱さ、頑迷さを覚え、さらにその弱く頑迷な自分たちに対する神の深い愛を思い巡らしたことでしょう。モーセは、これを心に留め、子孫にも伝え、自分たちのいのちのことばとすべきだ、と力説します。そこに、新しい約束の地での祝福があるからだ、と言うわけです。確かに、キリスト者にとっても、自分の罪深さと、その罪深い自分に対する神の恵み深さを覚えることは、命であり祝福そのものです。
最後にモーセの死が宣告されます(48-52節)。神の信頼を裏切り、神に栄誉を帰さなかったモーセはその罪の結果を負うことを宣告されています。傍目で見ていると、なんとも、かわいそうな気もしないではありません。けれども、神のモーセに対する評価の高さも、愛の深さも変わりはありません。そして神の祝福は地上に終わるものではありません。イエスが、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか(マタイ16:26)」と語ったことのこのことです。厳しいと思われることも、それは、神とその人の永遠の関係を守るもの、と覚えたいところです。では今日もよき一日であるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。仮庵の祭りで、作られる仮小屋の材料に使われたのは次のどれでしょうか?①粘土、②なつめやしの小枝、③レンガ、答えは②なつめやしの小枝でした。仮庵の祭りで、イスラエル人は、7日間、木々の大枝となつめやしの小枝からできた仮小屋に住むよう命じられました(レビ記23:42)。では、今日の聖書クイズを一つ、モーセの従者ヨシュアは、他に何と呼ばれていたでしょうか。答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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<天草さんのフォローアップ>
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