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違和感のあるデータが示すもの

2019-12-06 15:24:03 | ビジネス

昨日、毎日新聞のWEBサイトを見ていたら、違和感のある記事があった。
正しくは、違和感のあるデータだ。
毎日新聞:売れると「認められた」7割 メルカリ、利用者意識調査

毎日新聞の記事に違和感を感じたわけではない、そのデータの元となっている「意識調査」に違和感を感じたのだった。
そこで、この記事の基となったデータを確認すると、ますます違和感を持つようになった。
メルカリ総合研究所:メルカリ、「100円以下の利益でフリマアプリに出品する利用者」の意識・実態調査を発表

「100円以下の利益」で、出品者が満足をしているとしたら「利益を求めている」というには、その労力などを考えれば、決して「満足できる利益」とは言い切れないと思う。
多くの場合「いらないものを売る」という行為なので、「売れれば満足」ということになるだろうという想像はできる。
ただそこに「承認欲求」というものが、本当にあるのだろうか?という疑問があるのだ。

「承認欲求」と言う言葉が、盛んに言われるようになったのはつい最近のような気がしている。
それはSNSの利用の広がりと共に、「いいね!」の数=自分がSNSを通じた社会の中で「認められた=承認欲求」が満たされた、ということが言われるようになってからのことのように思っている。
「『いいね!』の数=自分のことをよく思っている人、あるいは共感してくれた人」、という認識だろう。

しかし最近では「とりあえず、いいね!をするか」という、付き合いとしての「いいね!」の数も決して少なくない、とも言われている。
今年の夏のドラマ「凪のお暇」の主人公などは、「いいね!」をしながら心は裏腹なことを考えていた、という独白のような場面があった(ように記憶している)。その場面を、妙にリアリティーを感じられた方も、多かったのでは?
とすれば、SNSでの「いいね!」は、「共感性」などではなく(付き合いの)惰性の産物ということになるのかもしれない。

それがメルカリのような、C2Cの売買が成立することで「承認欲求」が満たされる、とも考えにくい。
「自分が買って要らなくなったものを買ってくれた」という行為の中に、「何かしら共通するモノを感じた」ということでの承認欲求が満たされた、ということなのだろうか?
確かに「共感性」という部分では、「自分と似たモノを持っている」という部分ではあるだろうが、それが「承認された」とは言い難いような気がする。
何故なら「承認された」ということは、何かの成果などによって「他者に認められた」ということに他ならないからだ。
それが「売買行為」によって起きる感情なのだろうか?という、違和感があるのだ。

それだけではなく、このデータ全体が「キレイにまとまり過ぎている」ような印象がある。
なんとなくだが、設問を含め「キレイなデータを出すための意識調査」という気がしてしまうのだ。
本当にこれがメルカリの利用者の本音となる意識調査と考えてよいのだろうか?という、気すらしてしまう。

データそのものは、客観性と公平性が無くては意味が無い。
しかし、キレイすぎるデータはどこか「都合の良いデータなのでは?」というだけではなく、客観性と公平性が担保されているのだろうか?利用者の本音は、一体どこにあるのだろう?と、考えてしまうのだ。


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