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「表現の不自由展 その後」から考える、議論を深める難しさ

2019-10-30 14:03:35 | アラカルト

何がなんだが分からなくなったまま閉幕した感があるあいちトリアンナーレ」。
閉幕はしたが、まだまだ火種がくすぶっている状態だ。
朝日新聞:大村知事、国に不服申し出へ トリエンナーレ補助金巡り

個人的には「どのような芸術作品が展示されようとも、一つの表現として認められる必要がある」と、考えている。
例え私にとって「不快!」と、感じるものであってもだ。
ただ、芸術に政治的要素の強いものをあえて入れる必要があるのか?という点では、「違う!」と思っている。
何故なら「政治的要素の強いもの」を議論するには、まだまだ理解を得られるとは思えないし、芸術作品に対する感じ方というのは一人ひとり違い、政治的要素が加わると「感じ方ではなく主義的な発言を生みやすい」と考えているからだ。
むしろ「芸術に主義を持ち込む」ということに、違和感を感じる。

Huffpostに、「表現の自由」についての、議論が深まらないのはなぜか?という、記事があった。
Huffpost:「表現の自由」、議論が深まらないのはなぜ?ネットに絶望するにはまだ早すぎる。

今回の「あいちトリエンナーレ」での「表現の不自由展・その後」については、この企画を立ち上げる前から「議論」をすべきだったのでは?という気がしている。
「総合監督として、何故ジャーナリストの津田大介さんを選んだのか?」という、スタート地点だ。
拙ブログでも、このテーマを何度か取り上げてきたが、国内外で開催される「芸術展」の総合監督となる方は、美術関係者ばかりだ。
何故なら「芸術の表現の自由」という枠の中で、政治的要素を切り離すことができ、なおかつ「芸術作品としての表現の自由・不自由」についての議論を、巻き起こすことができる人財だからだ。
にもかかわらず、美術に関しては疎いと思われるジャーナリストである津田大介さんを起用したことが、不思議だったのだ。

スタート地点での違和感を解消することなく、見る側が「政治的要素を強く感じる」内容の展示を推し進めてしまった、ということが今回の問題をより、分かりにくいものにさせ、より大きな騒動に発展した理由の一つが、主催者側の愛知県は、津田さんを起用したことについての明快な回答を示していない(ように思える)という点にあると思う。

Huffpostの記事は、この「表現の不自由展・その後」についてだけをクローズアップして、「表現の自由」ということを論じているわけではないと思う。
それは是枝監督の「国は、お金を出しても口を出さない、のが西欧では当たり前」と言う言葉からわかる。
西欧では、王侯貴族がお金に糸目をつけず芸術のパトロンとなってきた、という歴史がある、ということも影響しているとは思う。
そのような歴史的、文化的背景を理解した上で「日本的な公的文化支援」を、国や自治体が行うことは、国民にとっても大きな利益があるはずだ。
問題なのは、「責任者」となるべき人が釈明とか主張をするのではなく「説明をする」ということを、していないからだ。
「説明をする」ことによって、様々な意見や考えが出やすいはずなのに、釈明や主張ばかりになってしまうと返す言葉の多くは「一過性の感情的言葉」になってしまう。
分かりやいのが、今回の騒動が表面化した時に起きた「愛知県庁への凸電の嵐」だろう。

もう一つ今回の騒動で感じたことは、「補助金をもらえることが当たり前」と考えていた芸術家もいた、ということだ。
「補助金がもらえて当たり前」ではなく「補助金を出させてほしい!」と国や自治体が思うような作品を創ることの方が、大切なのではないだろうか?
芸術家が自由に表現をし続ける為には、自己満足な表現では意味が無いように思えるからだ。
芸術家と補助金を出す側とが、対等な関係にならなくては、このような議論が深まるスタートにもならないように思えるのだ。



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