おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

映画「祝の島」

2010年06月20日 16時20分31秒 | 映画
 研究室に引き込もっていますが、目が痛くなってきたので、ブログ更新します。決してサボっているわけではなく、一休みです。

 暑い日が続きます。今朝、電話をして、畑の状況を確認したところ、雑草地獄だそうです。今週は帰れませんでしたが、実は来週末もその次の週末も用事があり、帰れません。どうしましょうか、この時期に雑草をどうにかしなければ、やっかいなことになります。

 さて、話は変わって、先月末に映画「祝の島」の試写会に、ポレポレ東中野へ行ってきました。この試写会には、前の大学の師匠を含め、たくさんの知り合いがいました。世間狭し。悪いことはできません。

 「祝の島」と書いて、「ほうりのしま」と読みます。ご存じの方は多いはず。今、といっても何十年も上関原発の建設をめぐって、反対運動が繰り広げられている祝島のことです。この島、ハート型なんです。名前といい、島の形といい、なんとも幸せな島なんですが、原発をめぐっては、この島は大きく揺れ動いています。

 僕自身、原発の存在には、昔からなぜか異常なまでの関心を抱いていまして、大学院1年の時は、原発反対を中心にNGO活動を、勉強をおろそかにして取り組んでいました。フリーペーパーを出したり、イベント活動がメインでした。

 2006年4月。このときはちょうど、六ケ所村再処理工場のアクティブ試験が始まり、そしてチェルノブイリ原発事故からちょうど20年目の年でした。んで、僕の地元のすぐお隣、松本市には、チェルノブイリ医療支援をやっている団体があり、そこに縁あって関わることになりました。

 ポレポレ東中野のオーナーでもあり、「アレクセイと泉」「ナージャの村」など、最近では「バオバブの記憶」の監督で、写真家の本橋成一さんの写真展を1か月間くらい、松本市でやったんです。週末は、長野に帰り、この手伝いをしていました。本橋さんとはいつ出会ったのか定かではありませんが、長野つながりで色々と可愛がってもらっています。そして、本橋さんの撮る写真がたまらないほど大好きです。

 修士1年の時は、NGOの活動がメインで、その後、小川町へと行ってしまいました。今、考えてみれば、大学院時代何やっていたんだろうという感じです。学生という時期をうまく利用したといえばそうなんですが、フリーペーパーの企画やら原稿依頼やら、営業やらで、色んな方にお世話になり、寄付してくださる方もいたりで、やりがいはありました。当時は、前いた大学の校舎が1つの六ヶ所村反対の拠点のような感じでしたので、反対集会開いたり、先生がたに賛同を得たりと、ほとんど勉強していなかったですね。

 話は、身の上話になってしまいましたが、試写会に行ってきた「祝の島」も、これまでの話と十分つながる話で、本橋成一さんのお弟子さんであります纐纈(はなぶさ)あやさんが監督の映画なのです。以前、このブログでも紹介した「水になった村」の監督も本橋さんのお弟子さん、ということで、この2作品は本橋さんのプロデュースです。やはり、本橋組の映画は、とてもとても、人間を撮るのが上手だなと改めて感動した次第です。

■祝の島(ほうりのしま)■
1000年前、沖で難破した船を助けたことから農耕がもたらされ、
子孫が栄え、現在に至るまでいのちをつないできた小さな島がある。

     

監督 : 纐纈(はなぶさ)あや

製作総指揮 : 本橋成一
撮影 : 大久保千津奈(KBC映像)
編集 : 四宮鉄男
整音 : 菊池信之
音楽 : 温井亮

ナレーション : 斉藤とも子
宣伝美術 : 西村繁男
グラフィックデザイン : 森デザイン室
パンフレット編集 : 近藤志乃
製作デスク : 中植きさら
製作統括 : 大槻貴宏
制作 : 石川翔平
協力 : 祝島のみなさん、KBC映像、
      祝島島民の会、映画「祝の島」を応援する会
製作 : ポレポレタイムス社

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山口県上関町祝島。
瀬戸内海に浮かぶこの島は、台風が直撃することも多く、岩だらけの土地には確保できる真水も限られ、人が暮らしやすい環境とは決していえない。その中で人々は、海からもたらされる豊穣な恵みに支えられ、岩山を開墾し、暮らしを営んできた。そして互いに助け合い、分かちあう共同体としての結びつきが育まれた。人間の営みが自然の循環の一部であることが、祝島でははっきりと見える。

「海は私たちのいのち」と島の人は言う。
1982年、島の対岸4kmに原子力発電所の建設計画が持ち上がった。
「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」という祝島の人々は、以来28年間反対を続けている。

効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。
大きな時間の流れと共にある島の生活。
原発予定地と祝島の集落は、海を挟んで向かい合っている。

1000年先の未来が
今の暮らしの続きにあると思うとき、
私たちは何を選ぶのか。

いのちをつなぐ暮らし。
祝島にはそのヒントがたくさん詰まっている。
(映画紹介より転載)
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 この紹介文章を読んだだけでも、見たくなったと思います。島民の生活がたんたんと描かれています。時には、声をあげて笑ってしまう場面もあり、時には棚田おじさんの横顔のかっこよさに惹かれてしまう時もあります。

 この棚田おじさんが山小屋で語っているシーンが心に残ります。詳しくは言いませんが、「子や孫に育てたお米を食べてもらえる、これで十分なんだ」と。農業ってそうやって続いていくもんなんですね。改めて農業はつながっていくものなんだと思っちゃいます。そしてこれが「身の丈にあった生活」で「都会の人とかは身の丈以上のことをしている」という言葉に重みを感じます。そう、農業とは暮らしそのものなんだと。

 この映画は、反対運動の様子も出てきますが、「原発はこんなに恐ろしいもの、怖いでしょ」というようなメッセージや原発反対を訴え、それを投げかける映画では決してありません。

 僕には、「島にはこういう暮らしがあるんだよ、うまいもんもある、笑いあり、涙ありの楽しい暮らしもある、幸せでしょ」という暖かいメッセージを受け取りました。だから、原発は必要ないんです。そう考えさせられます。暮らしの論理からくる、こんなにも、強烈なメッセージは他にはないでしょう。そんな映画です。

 昨日からポレポレ東中野で公開が始まっています。HPをチェック→http://www.mmjp.or.jp/pole2/

 本橋さんには、ふるさとを大事にしなよといつも言われます。というか、いつまでも勉強してないで、早く実家帰って、腰を据えて農業やりなさいと。僕が尊敬する農家からも、この前会ったときに、「まだ勉強するの?早く、長野戻って、うちに研修に来い」言われ、「いやいや、研修ですか(笑)」と、つっこんでしまいましたが、そう言われるたびに、研究って何だろうと深く考えます。現場が社会を変えていくことは、有機農業に少しでも携わっている者として十分わかるし、研究者は何が貢献できるんだろう、否そもそも何も貢献できないのではないかとも思ってしまいます。

 なので、無理してでも、土と触れ、野菜を育てる喜びや苦しみを現場の人と共有したいと思い、長野に帰って、畑を耕しています。

 話はずれましたが、試写会の後も、本橋さんと一緒に酒を飲んで、早く長野に帰って・・・とそう言われましたが、本橋さんも、僕が今のように行ったり来たりでないと農業ができないという事情をよく知っています。

 農業を暖かく見守ってくれているので、そういう言葉は、励みになります。

 

 
 


 


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