生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学のすすめ(10)その場でA4を一枚

2017年03月14日 08時04分52秒 | その場考学のすすめ
第3考 その場でA4を一枚

・その場で知力

知力とは、出来るだけ少ない情報で、出来るだけ早く正しい判断を下す能力、と思う。技術者にとっては、常にそのことが要求されている。いざと云う時に彼方此方を調べまわったり、逡巡するようでは時間がいくらあっても足りなくなるので、競争には勝てない。いや、はっきり言って仕事にならない。

知力は、知恵の集積から生まれる。
知恵は、知識の集積から生まれる。
知識は、情報と経験によってつくられる。
知識は、情報の集積から生まれる。

つまり技術者にとって大事なことは、情報を知識化し、知識を知恵化し、知恵を知力化する術を知ることであろう。このことは、訓練によって可能になる。つまり、日常の動作の中で自然にそのことが出来るようになる。

情報の集積の形はこの10年間で革命的に変わってしまった。いわゆる「ネットサーフィン」である。しかし、そこには人間の能力に関する重大な欠陥がある。そのことは、あの有名なキッシンジャーが繰り返し指摘し続けている。最近の発言は、2016.12.20に行われた読売新聞記者とのインタビューの中にある。主テーマは、その年に起こった英国と米国における政治的な大変化なのだが、敢えて次の言葉を追加している。

『確かにインターネットはボタンを一押しするだけで、実に多くン情報を得ることができる。しかし、それが可能になったことによって、我々は得られた情報を記憶する必要がなくなったことが問題だ。得た情報を記憶しなくなると、様々な情報を取り入れて、体系的に思索するということができなくなる。
それで、どうなったかといえば、知識力が著しく損なわれる結果を招くことになった。そして、なにもかもが感情に左右されるようになり、物事を近視眼的にしかみられなくなる。私はこれを大きな問題だと思っている。多くの人がこの事態をさらに研究して、対策を考えるべきだろう。』(  ,pp.100)
このことが、すでに英国のブレクジットと米国のトランプ政権の誕生で起こってしまったということなのだろう。

このことの解決策の第1歩は、情報の知識化になる。短時間で情報を知識化する方法は色々とあるのだろうが、私のお勧めは情報をA4サイズ1枚に纏めること。この作業は、慣れると非常に簡単で、しかも楽しい。

実例は、会議の打ち合わせ覚えのような単純なものから、設計の標準化の資料などの複雑なものまで枚挙にいとまがない。いくつかの実例を別途纏めることにした。

その数は63種類で、覚えやすいように各シートには英字3三字以内の愛称を付けた。これもRolls Royce譲りなのだが、他部門への浸透力は抜群であった。(デザイン・コミューニティー・シリーズ 第12巻)








そして、それらはその先の知識の知恵化にも役立つ。A4が一枚で独立した資料になっているので、ファイルに纏める方法はいくらでもある。
 
なぜ、A4サイズが一枚も必要なのか、との疑問が生じるかもしれない。メモでは役に立たないのだろうか。
 技術者は、常に「何故;Why?」を念頭におけなければならない。つまり、情報の背景や目的や起承転結が同時に明らかでないものは、技術者にとっては情報たる価値が無いのである。従って、「Why」を記入する欄は必ず必要である。


・A4横型のバインダー


 A4の一枚の資料は、できれば横サイズに統一すると使いやすい。
第一に、大方の資料は縦型なので、一目で区別がつく。バインダーに綴じても、他の資料との区別がはっきりと分かる。ファイリングの方法も、時間とともに簡単に変化させることができる。
 
 私は、設計の現役時代にいくつかのプロジェクトを掛け持ちした。そこで、先ずはプロジェクトごとにファイリングをする。大きなプロジェクトならば、その中をいくつかに分ける。最初から分けなくとも、途中から分ける場合でも、A4紙1枚で独立しているので、たとえば年賀はがきを、差出人別に あ行、か行などと分類するように簡単に分割をすることができる。

プロジェクトが終了したら、単純に年度別にバインダーに纏めてしまう。その際は、社内と社外、あるいは国内と外国などと自由に分けることも簡単である。
 
もっとも、その為には一つの工夫が必要である。それは、番号付けなのだが、1970年代のロールスロイスから学んだ方法の詳細は後に譲ることにする。とにかく、どんな一枚にも右上に小さな四角い欄を作り、そこに日付と情報の種類が分かる記号と番号をその場で書き込むことができるように自分なりのルールを決めておくことだ。私は、このルールを1980年以来 既に30年以上もの間まったく変えずに守っている。
 
例えば、昨今盛んにおこなわれている講演会でも、講演者の紹介文などの裏面の右上に小さな四角い欄を作り、日付とRR式番号体系を記入して、あとは講演を聞きながら必要な情報を書き込む。その紙は、色々な書類と一緒に1か月間纏めておかれて、次の月にそれぞれの保管ファイルに分けられる。
従って、いざとなれば30年前の資料と、昨日書いた資料を一つのファイルに纏め直すことが、可能になっている。

 知識は断片的でも役立つものだが、知力は断片ではなく、一つのストーリーが必要になる。その場合には、そのストーリーに必要なシートのみを集めればよい。ノートや手帳に書いてしまうと、この自由は全く無くなってしまう。だから私は、過去20年間はノートも手帳も使わなかった。

 パソコンの記憶容量が増えて、なんでも「名前を付けて保存」し、あとからの「検索」で自由に過去の資料が取り出せる環境が整っているのだが、やはりA4一枚のシステムのほうが格段に優れている。そのことは、長年の実感でしか知ることはできない。


・その場でSchedule管理、その場で日記

 手帳が無いと困るのはSchedule管理だが、それもA4紙1枚で済ませた。方法は、Out Lookの日程表の1週間分をA5サイズにして、2週間分をA4紙1枚に印刷をする。実際には、3週間先までが実用的なので、2枚になってしまうのだが、これをA5サイズに二つに切り4つ折りにして、ワイシャツのポケットに入れておく。
 
一番上は今週の予定表で、実績や追加の予定を随時書き込む。それが日記帳代わりになる。四つ折りにした3枚目の裏側は、4面あるので それぞれをメモ帳として使う。4面はそれぞれ違う場所でのアクション項目とする。たとえば、事務所、工場、自宅、旅行先など その週ごとに勝手に決めればよい。
 
1週間が過ぎたところで、4週間分の2枚を改めて印刷をする。
その際は、先週の分から始めると、その間に追加や訂正の予定がパソコンには入っているので、その週の始めと終わりとでの予定の変化が一眼で分かる。また、メモ代わりの紙は、4分割をしてそれぞれの場所に置いておく。

アクションが全て終われば、捨てる。アクションをのろのろと済ませていると、この小さな紙切れが何枚もたまってしまうので、処理の遅れの度合いも一目で分かるというものだ。そして、日記帳には、先週書きこんだ紙と、今週印刷した紙とを並べてはる事により、どのような変化が起こったのかも同時に記録する事が出来る。

 このことも、現在はスマホで全てをすますことが容易に可能になっている。しかし、それでは「知恵は、知識の集積から生まれる」ができるわけがない。A5サイズの紙に書かれた予定と実績と、ちょっとしたメモ書きは、そのまま日記帳に張り付けることができる。つまり、私の予定表は「日記」なのだ。そして、過去の日記は知識の集積であり、知恵のもとになる。

 この様に、A4紙1枚は 小さな工夫でいかようにも効率を上げることができることが、最大のメリットと言えるのだろう。



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その12)」


【Lesson12】エンジンの設計は知識と経験が半々[1979]

1979年3月26日から,共同開発期間において技術と設計の作業をどのように進めるかの会議が始まった。我々は,FJR710のエンジンを10年間で4種類すべてを成功裏に運転した直後であったが,RR流のやり方をとことん吸収すべく 取り入れられるものはすべて取り入れることにして会議に臨んだ。会議は一日に数回,連日行われた。

最初は,会議に使うノートである。ほとんど全員がA4サイズの2センチほどの罫線の入った分厚いノートを持ち歩いている。ファイル用の孔が明いており,一枚ずつ破って別々のファイルに保存する。したがって,持ち歩くのは,だんだん薄くなる何も書いていないノートだけになる。会議の冒頭で,私は先ずこのRR式ノートを差し出して,相手の名前を書いてもらった。(これも教訓の一つ)親切な人は,自分の周りの組織図まで書いてくれるので,かなり合理的だった。以来,私は従来型の日本式ノートを持ち歩くことはなくなった。

午前9時,B J Banes氏と執務室の正確なAddress( RR Ltd. Whittle House Room W1-G-4)などのTechnical Systemの話から始まった。続いて,10時から,設計に使う様々な単位の話,10時半からは,Fan部分の性能の話,11時半からはHP Compressorの性能の話,といった具合に矢継ぎ早に攻めてくる。相手は,次々に代わるのだが,こちらは連続である。幸い,一度にすべてではなく,段階的に話を進める術を心得ているようで,中身は良く理解できたように思う。

これが,その後数十年間にわたって続く(私の場合だけでも, 10年間で約1000回),RRとの開発設計に関するEngineering Meetingの始まりであった。パラパラと当時のRR式ノートのファイルを捲ってゆくと,日本に居ては決して聴けないような話が至る所に出てくる。エンジン設計は,知識と経験が半々に必要であるとの認識を初めて持つことになった瞬間であった。

【この教訓の背景】

 英国人は、教え方にたけているように感じたことが何度かある。先ずは、相手に合わせる技術。一度に全てではなく、基本的なことからある時間をおいて、徐々に詳細に入ってゆく手順の良さ。最初の駐在者部隊は英語に長けたメンバーだったが、年を追うにしたがって、交代要員が不足し始めて、英語が不得意な人も送り込まなければならなくなった。しかし、心配は杞憂に終わった。彼らは、心配になるとこういう、「Are you with me?」。少し失礼な言い方なのだが、明確である。日本人が教えるときは、このようなことは起きない。
 
ちなみに、ここで実感したのは、「会話の能力は言語によらない」ということだった。いくら学歴が高くても、日本での会議の席での発言がきちんとできない人は、英語能力が達者でも意思疎通が不完全だった。一方で、英語が全くの不得手でも、日本語での会話能力が達者な人は、あっという間に英国人との意思疎通ができてしまう、ということを何度も経験した。
 
このことから、最近の大学や大学院で行われている、英語でのプレゼン能力の重視教育からは実質の効果が期待できない。重要なのは、会話を通じた意思疎通能力であり、訓練の方法は全く違ってくる。




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