詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

若手花形讃歌 市川染五郎 いくつもの抽斗 その後

2017-07-16 23:39:06 | 日記
市川染五郎は来年には松本幸四郎を襲名する。37年前の染五郎、幸四郎、白鸚の三代揃っての襲名興行の初日を観ている。それ以来の親子三代揃っての襲名という慶事である。10年前の雑誌「演劇界」の連載から、念願の『勧進帳』の弁慶を演じるなど襲名への布石は打ってきた。ラスベガスでの歌舞伎公演など、進取の気性に富んだ高麗屋らしい挑戦も欠かさない。死角がないようにも思えるが幸四郎襲名を機会にどのような変貌を遂げるのか楽しみである。

宮藤官九郎の『大江戸りびんぐでっど』は、ゾンビが歌舞伎座の舞台を跋扈し、上演当時の年越し派遣村を揶揄したような台詞があって物議を醸した。作者の宮藤官九郎には、歌舞伎への尊敬の念が皆無。舞台に汚物をまき散らしたような芝居は神様の逆鱗に触れたのではないだろうか。出演していた勘三郎、三津五郎は亡くなり、福助は病気で長期の休演が続いていて復帰のめどは立たない。そして染五郎は、国立劇場の奈落に転落し大怪我をし再起が危ぶまれていた。NHKアナウンサーの山川静夫氏は「今の人には、先人への『あこがれ』がない。だから『なんでもあり』になる」とおっしゃたとか。染五郎にとっての先人とは、幸四郎であり、吉右衛門であり、白鸚、七代目幸四郎、初代吉右衛門だろうか。『あこがれ』は当然もっているべきだしが、『なんでもあり』にはなって欲しくない。ラスベガスでのカジノホテルの大噴水を舞台にプロジェクションマッピイングを使ったスペクタクルなど、単なる見世物になってしまっていて『なんでもあり』の部類ではないのか。

八月の歌舞伎座では、猿之助と『東海道中膝栗毛』の続編、『野田版 桜の森の満開の下』に出演するが、九月歌舞伎座の『毛谷村』の六助、『幡随院長兵衛』の水野十郎左衛門、『再桜遇清水』での清玄など吉右衛門の厳しい指導を受けるほうが将来の財産になることだろう。10年前には「いくつもの抽斗」と書いたが、これからは抽斗の中身を充実させるべきなのである。



若手花形讃歌 市川染五郎 いくつもの抽斗


 『東海道四谷怪談』南番の大詰で佐藤与茂七の勘三郎と民谷伊右衛門の橋之助が大立ち回りの真っ最中だった。突然、パルコ歌舞伎『決闘!高田馬場』で使われたテーマ音楽が流れると、客席には旗竿を手に着物の裾をからげたの染五郎の中山安兵衛が幕切れの姿のままで立っていた。後の堀部安兵衛も赤穂浪士の一員なのだからという勘三郎のいささか強引な論理で、敵討ちに助太刀として加わることになる。

 驚くべき展開に客席は拍手喝采、プールの意外な深さに驚きとためらいの表情をみせた染五郎も思いっきりよく水中に飛び込んで大暴れである。大変な盛り上がりのうちにカーテンコールへ突入。同じ日にパルコ劇場へ飛び入りした勘三郎への返礼だが、演出家にも内緒の趣向だった模様。染五郎が第一回のコクーン歌舞伎に直助権兵衛で参加していたことを串田和美が観客へ披露した。彼にとっても『野田版・研辰の討たれ』出演とともに、新しい歌舞伎創造への出発点になった芝居だ
ったに違いない。
 
 ここ数年間で最優秀男優賞を受けた映画出演、劇団☆新感線との共演、『アマデウス』をはじめとする現代劇への挑戦など目覚ましい活躍である。時代劇が似合う若手俳優の出現によって瑞々しい生命を画面に吹き込まれた映画。舞台版『阿修羅城の瞳』や『アテルイ』などでも歌舞伎育ちの存在感と躍動感が他分野の出演者を圧倒した。現代青年らしい感性で江守徹のイメージを払拭した若き天才モーツァルトも再演を重ねた。これら自ら求めて出演した作品には、熱演だけで押し切っ
てしまう浅さはなく、繊細で爽やかさがある男の色気をものぞかせて深い世界があった。

 三谷幸喜との新作歌舞伎も連日の超満員で歌舞伎に無縁だった演劇ファンの注目を集めた。亀治郎、勘太郎ら同世代の共演者にも恵まれ、様々な技法を凝らした演出が冴えに冴え大成功の舞台となる。染五郎は個性的な二役を早替わりで演じ、縦横無尽に動き回っても台詞に乱れがなく、逆立ちや見事なトンボを返って、役者としての身体能力の高さを発揮していた。何よりも彼の魅力を最大限に引き出した台本と演出の功績は大きかったし、その要求に応えた役者も全員が輝いていた。
特に染五郎は熱演しながらも愁いに満ちた表情を時々見せていたのが素敵だった。
 
 渋谷での興奮も覚めやらぬうちに名古屋・御園座での公演が始まった。染五郎は、いくつもの引き出を持っている。芝居と舞踊。立役と女形。新しく生み出す歌舞伎と古典。播磨屋に受け継がれてきた時代物役者の系譜に連なる当たり役の数々。そして七代目幸四郎が生涯に千六百回以上も演じた歌舞伎十八番『勧進帳』を受け継がねばならない使命。
 
 四月は曾祖父初代吉右衛門以来の『石切梶原』に本興行としては初役で挑み、幸四郎が上演回数八百回を達成する弁慶に対して富樫を演じた。染五郎にとり心強いのは父親だけではなく、当代屈指の義太夫狂言役者である叔父・吉右衛門との共演の機会が数多いことである。

 昨年は『石切梶原』に奴菊平として出演していて身近で播磨屋型の多くを学んで吸収したことだろう。梶原に大器の片鱗はみせるもののパルコ歌舞伎で走り回っていたときに気にならなかったが、何もしていないときの存在感に父親や叔父には感じない物足りなさを覚えた。それでも六郎太夫に頼朝を救った物語をする重要な部分で台詞を明瞭に響かせて時代物役者としての可能性を感じさせた。

  大きな役で幸四郎との共演は、優しい親心でもあったろうし厳しい試練でもあったように思う。高麗屋として期待される藝の伝承の歩みを着実に進めるためには避けては通れない道であったろう。毎日目標とする役者と同じ舞台に立ったことがどれだけ貴重な財産となるか知る日が必ず来るに違いない。五月の新橋演舞場での活躍も大いに楽しみである。
 

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