収録(インタビュアー:水野節彦)
2010年3月2日(火)自宅にて
放送(アンカー:石澤典夫)
2010年3月10日(水) 午前1時12分より
※この放送より10日後、2010年3月20日に畑中更予さんはお亡くなりになりました。
※畑中良輔先生は2012年5月24日にお亡くなりになりました。
※元になった音源は、2012年7月7日 「畑中先生お別れの会」に先立ち、会場内で流されたものです。
お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(敬称略)
水野 奥様がドイツリート、歌曲がいい。先生は日本の歌曲をもっと
良輔 まあ、初めはヴーハーペーニヒ先生にベルリンの第一バス歌手、宮廷歌手だから正しい昔からの伝統的な歌い方を厳しく仕込まれましたからね。ドイツリートが僕の基本になるでしょう。さきほどから言ったように、やっぱり、ドイツリートは例えば、Liebe 愛って言葉があるでしょう。そしたら愛は人間の精神をどのようにaufhebenって、ドイツ語で難しいけれど、上にあげるっていう 愛っていっただけで、ただイタリアオペラは、惚れた腫れた、それの情熱で行くでしょう。ただやっぱり、愛というamareとLiebeの感覚ってあるじゃないですか。ただ、やっぱり惹かれるのは、やっぱりLiebeの哲学性、やっぱり歳をとるにしたがって、歳取るとみんな、哲学書、歴史書、そっち移っていきますんでね。
水野 でも、そのドイツリートを超えて日本の歌曲を、やっぱり世界へっていうのは、
良輔 うん、やっぱりね、日本人じゃなきゃ、ない感覚があります。これは美術に関しても、これほど精密な素晴らしい、もう琳派の絵をひとつとってみても、日本人独特の美意識があるじゃないですか。そしたら音にしても、一絃琴なんか、たった一本の糸で素晴らしい音楽ができてくる。音色の中に、そういう日本人じゃなきゃできないドイツリートの歌い方、イタリアの音楽、日本人がイタリア人が気がつかないものが取り出せる。だから今、日本人は、リート歌うの好きですね。
水野 要するにドイツ人やイタリア人の真似をするんじゃなくて、日本人として。
良輔 僕は、それを
水野 理解して。
良輔 真似することも大事。僕が始まりだから、そういの。それから、日本人じゃなきゃできない音楽、持てるはず感性を、日本人は。ただ、そこを発見するようにやるためには、日本の言葉の美しさ、だって美しくないじゃないですか、役者のしゃべっている科白が、僕は聞き取れない。テンポで、子音ばかりでしゃべって母音でしゃべらないから。どんどん骨の構造が変わっているんです今。顎の骨が退化しています。固いもの食べない。
水野 母音がはっきりしないということですか。
良輔 今、演劇へ行ってごごらんなさい。テンポが早いです。テンポが早くて、ひとつのドラマティックな迫力はありますよ。しかし、その科白の内容が、じっくり耳から心へ入るには、テンポが早すぎる。僕の耳が悪いのかな、みんなもわかんないって言う。
水野 いいお話も、いい歌も、やぱり分からなきゃ、伝わらなきゃ、
良輔 伝達なって意味ないでしょう。今わっ~とパワーでいっちゃうんです。みんながワイワイ裏で言っててね。
更予 本当、日本語が汚くなってね、それが悲しいです。もうね、あの、昔、黒柳徹子がね初めてNHKへ出てきたとき、もう凄い早口でってねえ、早口でびっくりしたら、今、黒柳徹子は普通になって、それより早い子がいるんです。NHKのアナウンサーでもね、だからちょっと古い方がね、とっても綺麗ですけれどね、若い子たちはもうちょっとね、人に分かるように訓練しないと。
良輔 お説教になっちゃった。(笑)
水野 私がお説教されているようで、すいません。
更予 したいですよ、だってね、それは私のためじゃなくて、みなさんのためです。ことに老人はね、今老人が多いでしょう、そんなに若い人とおんなじ速さじゃ、しゃべりませんよ。
水野 そうですね。合唱やっている若い人に、教えるときにも、やっぱり昔とだいぶ今変わってきてますか?
良輔 やっぱり、今発声が非常に、あの重要視されて、まず声を身体を使って、さっきから話はでているけれど、のどじゃなくて、身体の内臓が全部、もう頭の毛から足の爪までが、響きになるような発声を一生懸命みんな
割と発声練習はよくやるんじゃないですか。どんなアマチュアでも初め、1時間弱発声に時間かけます。そんで、第一もう背中の方まで息をいれながら、声を出すということは合唱以外に、今の人はさっき言ったテンポが早いから、肺の奥まで空気がこない。下肺葉の先まで、ここから上の肺だけ使かっちゃうから、身体が使えてない。そすると内臓が働かない、だから発声するというだけで素晴らしい身体の訓練ですよね。
水野 若い人の理解度っていうのはどうですか。歌に対する。
良輔 個人差がありすぎて、やっぱり若い人たちが、ロックやなんかでシャウトする、で皆マイクの声に慣れる。生の声を聞いたらびっくりして、よくオペラ教室なんか、これマイク使かってないんでしょなんて、高校生がくるんですよ。何も使ってないよって言ったら、凄いっていってね、みんな感動してます。マイクじゃない声を初めて聞いたんですよ。
更予 あのねえ、マイクを使ってね、歌っている人たちが、凄い表情を作って歌っているとね、電源切ってどうぞって言う。電源を切って歌って欲しいの。本当に、それがね電気でそうなっているという自分で作っているみたいなね表情で歌う。あれ、見ると耐え難くなってね、やっぱりマイク使っている人、一度電源を切った上でおやんなさいって言う。
水野 我々の場合は、マイクロフォン切ると商売にならないんで。
更予 それとは違う。歌としてね。あのポピュラーの人たちがね、自分たちが凄い歌い手のような顔をしているというのがね、クラシックの人たちがね、発声がイタリアオペラの歌い手なんてね、たとえば高い音Bの音を出すだけでも10年もかかる。そうやって修業させられるでしょう。だからそういう世界のクラシックの歌い手たちと、どんな違うかっていうことが分からないです。
良輔 でもね、カラオケで上手い人いますよ本当に。ハートがあってね。
更予 だから、それはちゃんと声が出せるけれど、それを使ってもできるという風にならないと。そうじゃないのが耐え難いの。
良輔 僕、全国、セミナー、各音大、それから一般市民が、とっても熱心ですね。ことに中高年の方は、僕が一口言うとすぐねノートされるから、目の前で、あれこれ年号間違えるとどうしようかなとかね。凄い熱心ですよ。
更予 でも、この歳で日本中かけずりまわるでしょう。だから今日は北の国に行ったと思うと、次の日は大阪だ。そして、今度は九州だって、今度は東京だと思ったら藤沢だとかね。もうなんだかね、やぱりボロ雑巾は。
良輔 みんなが喜んで、あの帰りにね、涙浮かべたりして、あとのアンケートがね、とっても細かく皆さん書いてくださる。本当にやってよかったなあ、心がつながったなあとかね、司会業の人がお決まりのようにしゃべるんじゃなくて、僕のように何がでてくるかわかんないから、勝手にみんながサッとのってくれるっていうのが嬉しいですね、やっぱり自分の生きている感じ、存在感が自分で
更予 そんなに飛び回る人っていないんですけれどね。大変だと思うんですけれど、やっぱり皆さんが喜ぶと。だから世の中のために働くっていう意識があるから、元気をいただけているんだと思います。
良輔 やあ、世の中のためにっていうのは、僕、あんまり好きじゃない。自分が好きだからやっている。
更予 でも、好きだからって言うけれど、みんなが喜ぶでしょう。だから、そのために働いているっていうことは、悪いことしているんじゃないから。私は、世の中に、うちの旦那が取られてしまったと諦めて、何もなんにも会話もする暇もない旦那さま、本当にだから、まあ、わたしの幸せはボロ雑巾でいいと思う。というのはねえ、雑巾って真っ白だとね、やっぱり何かこぼしたとき使いにくいんです。ボロ雑巾はパッとね、すぐにとってくれるでしょう。だから、私、そういう人間になりたいと思っているの。
水野 ああ、そうですか。若い人がみるみるうちにね、歌い方が、たとえば、先生の指導一つで変わっていってたときは。
良輔 一言で変わるでしょう。
水野 変わります。
良輔 ねえ、それは、やっぱり感性があるから。感性がなかったら、何をいいこと言っても通り過ぎてしまう。たとえば、阿修羅像とか仏像ひとつ見て、みんな修学旅行で、その前通るじゃないですか。ただ通っただけで、それを感じるには、そんだけの年が必要でしょう。阿修羅像に何十万も博物館に並んでいるのを見て、昔は阿修羅像なんて、本当に奈良の博物館で、誰もいない、僕は百済観音と握手したことあるんです、中に入って誰もいないから、仏像好きなもんだから、あんな時代じゃなくて、今あんな何十万の人が通り過ぎるだけでしょう。
水野 近づくだけで大変ですから。
良輔 ねえ、何を見た?結局何も見ていないでしょう。日本人のイベント好きというのも、ちょっとねえ。
水野 今たとえば、88歳と90歳、今、この歳になって見えてくるものとかは。
良輔 あのねえ、若い頃は自分が一生懸命生きている、生きねばと思うけれど、このごろは生かされているという感じ、不思議な僕の生まれかな、何か僕を助けてくれる精神的にも、何かこう何かがね、守ってくれるような生かされているという感じですね。うん、生きているっていうの。
水野 それは何歳くらいから、そういう風に感じられたのですか。
良輔 やっぱり、ねえ。80歳近くなってから、自然にやっぱり、何か僕の周りにいる人たちが、とっても何か気持ちがふうっと、僕の心を支えているっていうのか、もっと出来ることは、なるべくちゃんとしたいなっていう気持ちもあるんで。このコンサートの前、紀州に行ってたんですよ。紀州の熊野灘、新宮っていう街がね、幸徳秋水の明治の頃、そこらへんを調べたかったことと、南方熊楠のこととか、いろいろ紀州の万葉歌人のこと、そこらへんを実際に調べたかったもんですから、で熊野灘の真っ向の風浴びて、いっぺんで肺炎になっちゃったんですけれど。
水野 まだまだ、これからやりたいことっていうのは、たくさんあるわけですね。
良輔 南方熊楠さんが、人間の枠をはみ出した、紀州田辺の生まれ、何をやったか。粘菌。普通、厚生年金の年金を思うでしょう。じゃなくて菌。アメーバーのもうひとつ、何億とつながっている、粘着力のある菌が一番あるのは紀州なんですよ。僕はなんでも知らないこと知りたい質だから、そういうこと考えると知りたいっていうだけ。第一、粘菌っていうものがよくわかんなかったから。
水野 そうですよねえ。
良輔 二三日前の新聞、アメリカで粘菌で熊楠先生の論文をちゃんと生かしてます。
更予 私は、そんな紀州にいったりしないで、80越してからの生活で熊楠さんのそういう話もね、凄いですけれど、私は一番楽しいのは、宇宙論なんですね。数学全然分からないけれど、天文学の素晴らしさっていうのがね、今最高ですね。それで、やっぱり、地球上の変なのをね、もうあんまりこだわらないで、私、空ばっかり仲良しになっています。
水野 数学が苦手。
良輔 僕は数学のない学校探したら音楽だったからね。未だに数字音痴ですよ。僕、一番数学ダメなんだけれども、お弟子で岡潔博士っていう数学の、そのお嬢さんが家にレッスンに来てたんですよ。父が新しい本を出したので持って行けと言われましたで、一冊いただいたら、しょっぱなに「数学は情緒である」って書いてあるの。目からウロコが落ちたっていうのか、「数学は情緒」である。ジャン・コクトーもあるんですね。詩の最高の形式は数学だっていうの。
水野 最後に健康法を伺おうと思ったんですけれど。
更予 わたし、本当にあの、喘息持ちでリュウマチで、そしてアレルギーでしょう、それとの戦いがずっと子供のときから、発声を教えてくれたのはね、結局、オギャーって生まれたときのまんまなんですよ。本当にね、あの赤ちゃんのねえ、泣き声みてごらんんさい、全身で泣いているでしょう。だから横隔膜の使い方を知らないで、皆さんが横隔膜の変な上の方でだけしか使えないのね。私が、みっつの大変な病気で、もう幼児のときに死ぬはずだったの。あの、やっぱりその、横隔膜の使い方ね、それが最低のところを使っているらしいです今ね。
水野 ジュースはつくられるという。
良輔 そう、それは毎日。今日はまだ作っていませんけれどね。グリーンジュース。
更予 グリーンジュースで養ってもらっています。
水野 奥さんは、つくられない。
更予 作んないわよ。
良輔 あの、作ることよりも買い物が大変。
更予 私はアレルギーだから。本当に病院泣かせです。
良輔 でも、やっぱり食べ物に関して、考えないといかんですね。
更予 あの、朝、良輔がここにいるときには、青汁があるんですけれどね。
水野 歌手としてもね是非、色気のある歌をですね。
良輔 もう枯れ木ですよ。
更予 枯れ木でもね、毎日この歳になって、今日初めて知ったことっていうのがあるのね。早くあの世に行った方がいいと思っても、生きる喜びってね、やっぱり歳とともにね、あの何か分からせてもらうことがたくさんあるのね。そのかわり、一生懸命覚えたこと皆わすれていっている。
良輔 忘れないと入ってこないよね。次が満杯になっちゃう。
更予 新しいことを知るためには、昔のいろんなこと、やなこともね、大好きなことも忘れる。なんだっけでいいの。それで、毎日、新しいことを知る喜びを、それが長生きの秘訣じゃない。
良輔 それを僕も思いますね。
水野 それに尽きますかね。
良輔 知らないことを知る喜びっていうのはね、エネルギーの源になる。どうでもいいやなんて思ったら、もうねえ、終わりだ。
水野 今日はどうもありがとうございました。
良輔 話が多岐にわたっちゃって。
更予 おしゃべりしすぎて、ごめんなさい。
2010年3月2日(火)自宅にて
放送(アンカー:石澤典夫)
2010年3月10日(水) 午前1時12分より
※この放送より10日後、2010年3月20日に畑中更予さんはお亡くなりになりました。
※畑中良輔先生は2012年5月24日にお亡くなりになりました。
※元になった音源は、2012年7月7日 「畑中先生お別れの会」に先立ち、会場内で流されたものです。
お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(敬称略)
水野 奥様がドイツリート、歌曲がいい。先生は日本の歌曲をもっと
良輔 まあ、初めはヴーハーペーニヒ先生にベルリンの第一バス歌手、宮廷歌手だから正しい昔からの伝統的な歌い方を厳しく仕込まれましたからね。ドイツリートが僕の基本になるでしょう。さきほどから言ったように、やっぱり、ドイツリートは例えば、Liebe 愛って言葉があるでしょう。そしたら愛は人間の精神をどのようにaufhebenって、ドイツ語で難しいけれど、上にあげるっていう 愛っていっただけで、ただイタリアオペラは、惚れた腫れた、それの情熱で行くでしょう。ただやっぱり、愛というamareとLiebeの感覚ってあるじゃないですか。ただ、やっぱり惹かれるのは、やっぱりLiebeの哲学性、やっぱり歳をとるにしたがって、歳取るとみんな、哲学書、歴史書、そっち移っていきますんでね。
水野 でも、そのドイツリートを超えて日本の歌曲を、やっぱり世界へっていうのは、
良輔 うん、やっぱりね、日本人じゃなきゃ、ない感覚があります。これは美術に関しても、これほど精密な素晴らしい、もう琳派の絵をひとつとってみても、日本人独特の美意識があるじゃないですか。そしたら音にしても、一絃琴なんか、たった一本の糸で素晴らしい音楽ができてくる。音色の中に、そういう日本人じゃなきゃできないドイツリートの歌い方、イタリアの音楽、日本人がイタリア人が気がつかないものが取り出せる。だから今、日本人は、リート歌うの好きですね。
水野 要するにドイツ人やイタリア人の真似をするんじゃなくて、日本人として。
良輔 僕は、それを
水野 理解して。
良輔 真似することも大事。僕が始まりだから、そういの。それから、日本人じゃなきゃできない音楽、持てるはず感性を、日本人は。ただ、そこを発見するようにやるためには、日本の言葉の美しさ、だって美しくないじゃないですか、役者のしゃべっている科白が、僕は聞き取れない。テンポで、子音ばかりでしゃべって母音でしゃべらないから。どんどん骨の構造が変わっているんです今。顎の骨が退化しています。固いもの食べない。
水野 母音がはっきりしないということですか。
良輔 今、演劇へ行ってごごらんなさい。テンポが早いです。テンポが早くて、ひとつのドラマティックな迫力はありますよ。しかし、その科白の内容が、じっくり耳から心へ入るには、テンポが早すぎる。僕の耳が悪いのかな、みんなもわかんないって言う。
水野 いいお話も、いい歌も、やぱり分からなきゃ、伝わらなきゃ、
良輔 伝達なって意味ないでしょう。今わっ~とパワーでいっちゃうんです。みんながワイワイ裏で言っててね。
更予 本当、日本語が汚くなってね、それが悲しいです。もうね、あの、昔、黒柳徹子がね初めてNHKへ出てきたとき、もう凄い早口でってねえ、早口でびっくりしたら、今、黒柳徹子は普通になって、それより早い子がいるんです。NHKのアナウンサーでもね、だからちょっと古い方がね、とっても綺麗ですけれどね、若い子たちはもうちょっとね、人に分かるように訓練しないと。
良輔 お説教になっちゃった。(笑)
水野 私がお説教されているようで、すいません。
更予 したいですよ、だってね、それは私のためじゃなくて、みなさんのためです。ことに老人はね、今老人が多いでしょう、そんなに若い人とおんなじ速さじゃ、しゃべりませんよ。
水野 そうですね。合唱やっている若い人に、教えるときにも、やっぱり昔とだいぶ今変わってきてますか?
良輔 やっぱり、今発声が非常に、あの重要視されて、まず声を身体を使って、さっきから話はでているけれど、のどじゃなくて、身体の内臓が全部、もう頭の毛から足の爪までが、響きになるような発声を一生懸命みんな
割と発声練習はよくやるんじゃないですか。どんなアマチュアでも初め、1時間弱発声に時間かけます。そんで、第一もう背中の方まで息をいれながら、声を出すということは合唱以外に、今の人はさっき言ったテンポが早いから、肺の奥まで空気がこない。下肺葉の先まで、ここから上の肺だけ使かっちゃうから、身体が使えてない。そすると内臓が働かない、だから発声するというだけで素晴らしい身体の訓練ですよね。
水野 若い人の理解度っていうのはどうですか。歌に対する。
良輔 個人差がありすぎて、やっぱり若い人たちが、ロックやなんかでシャウトする、で皆マイクの声に慣れる。生の声を聞いたらびっくりして、よくオペラ教室なんか、これマイク使かってないんでしょなんて、高校生がくるんですよ。何も使ってないよって言ったら、凄いっていってね、みんな感動してます。マイクじゃない声を初めて聞いたんですよ。
更予 あのねえ、マイクを使ってね、歌っている人たちが、凄い表情を作って歌っているとね、電源切ってどうぞって言う。電源を切って歌って欲しいの。本当に、それがね電気でそうなっているという自分で作っているみたいなね表情で歌う。あれ、見ると耐え難くなってね、やっぱりマイク使っている人、一度電源を切った上でおやんなさいって言う。
水野 我々の場合は、マイクロフォン切ると商売にならないんで。
更予 それとは違う。歌としてね。あのポピュラーの人たちがね、自分たちが凄い歌い手のような顔をしているというのがね、クラシックの人たちがね、発声がイタリアオペラの歌い手なんてね、たとえば高い音Bの音を出すだけでも10年もかかる。そうやって修業させられるでしょう。だからそういう世界のクラシックの歌い手たちと、どんな違うかっていうことが分からないです。
良輔 でもね、カラオケで上手い人いますよ本当に。ハートがあってね。
更予 だから、それはちゃんと声が出せるけれど、それを使ってもできるという風にならないと。そうじゃないのが耐え難いの。
良輔 僕、全国、セミナー、各音大、それから一般市民が、とっても熱心ですね。ことに中高年の方は、僕が一口言うとすぐねノートされるから、目の前で、あれこれ年号間違えるとどうしようかなとかね。凄い熱心ですよ。
更予 でも、この歳で日本中かけずりまわるでしょう。だから今日は北の国に行ったと思うと、次の日は大阪だ。そして、今度は九州だって、今度は東京だと思ったら藤沢だとかね。もうなんだかね、やぱりボロ雑巾は。
良輔 みんなが喜んで、あの帰りにね、涙浮かべたりして、あとのアンケートがね、とっても細かく皆さん書いてくださる。本当にやってよかったなあ、心がつながったなあとかね、司会業の人がお決まりのようにしゃべるんじゃなくて、僕のように何がでてくるかわかんないから、勝手にみんながサッとのってくれるっていうのが嬉しいですね、やっぱり自分の生きている感じ、存在感が自分で
更予 そんなに飛び回る人っていないんですけれどね。大変だと思うんですけれど、やっぱり皆さんが喜ぶと。だから世の中のために働くっていう意識があるから、元気をいただけているんだと思います。
良輔 やあ、世の中のためにっていうのは、僕、あんまり好きじゃない。自分が好きだからやっている。
更予 でも、好きだからって言うけれど、みんなが喜ぶでしょう。だから、そのために働いているっていうことは、悪いことしているんじゃないから。私は、世の中に、うちの旦那が取られてしまったと諦めて、何もなんにも会話もする暇もない旦那さま、本当にだから、まあ、わたしの幸せはボロ雑巾でいいと思う。というのはねえ、雑巾って真っ白だとね、やっぱり何かこぼしたとき使いにくいんです。ボロ雑巾はパッとね、すぐにとってくれるでしょう。だから、私、そういう人間になりたいと思っているの。
水野 ああ、そうですか。若い人がみるみるうちにね、歌い方が、たとえば、先生の指導一つで変わっていってたときは。
良輔 一言で変わるでしょう。
水野 変わります。
良輔 ねえ、それは、やっぱり感性があるから。感性がなかったら、何をいいこと言っても通り過ぎてしまう。たとえば、阿修羅像とか仏像ひとつ見て、みんな修学旅行で、その前通るじゃないですか。ただ通っただけで、それを感じるには、そんだけの年が必要でしょう。阿修羅像に何十万も博物館に並んでいるのを見て、昔は阿修羅像なんて、本当に奈良の博物館で、誰もいない、僕は百済観音と握手したことあるんです、中に入って誰もいないから、仏像好きなもんだから、あんな時代じゃなくて、今あんな何十万の人が通り過ぎるだけでしょう。
水野 近づくだけで大変ですから。
良輔 ねえ、何を見た?結局何も見ていないでしょう。日本人のイベント好きというのも、ちょっとねえ。
水野 今たとえば、88歳と90歳、今、この歳になって見えてくるものとかは。
良輔 あのねえ、若い頃は自分が一生懸命生きている、生きねばと思うけれど、このごろは生かされているという感じ、不思議な僕の生まれかな、何か僕を助けてくれる精神的にも、何かこう何かがね、守ってくれるような生かされているという感じですね。うん、生きているっていうの。
水野 それは何歳くらいから、そういう風に感じられたのですか。
良輔 やっぱり、ねえ。80歳近くなってから、自然にやっぱり、何か僕の周りにいる人たちが、とっても何か気持ちがふうっと、僕の心を支えているっていうのか、もっと出来ることは、なるべくちゃんとしたいなっていう気持ちもあるんで。このコンサートの前、紀州に行ってたんですよ。紀州の熊野灘、新宮っていう街がね、幸徳秋水の明治の頃、そこらへんを調べたかったことと、南方熊楠のこととか、いろいろ紀州の万葉歌人のこと、そこらへんを実際に調べたかったもんですから、で熊野灘の真っ向の風浴びて、いっぺんで肺炎になっちゃったんですけれど。
水野 まだまだ、これからやりたいことっていうのは、たくさんあるわけですね。
良輔 南方熊楠さんが、人間の枠をはみ出した、紀州田辺の生まれ、何をやったか。粘菌。普通、厚生年金の年金を思うでしょう。じゃなくて菌。アメーバーのもうひとつ、何億とつながっている、粘着力のある菌が一番あるのは紀州なんですよ。僕はなんでも知らないこと知りたい質だから、そういうこと考えると知りたいっていうだけ。第一、粘菌っていうものがよくわかんなかったから。
水野 そうですよねえ。
良輔 二三日前の新聞、アメリカで粘菌で熊楠先生の論文をちゃんと生かしてます。
更予 私は、そんな紀州にいったりしないで、80越してからの生活で熊楠さんのそういう話もね、凄いですけれど、私は一番楽しいのは、宇宙論なんですね。数学全然分からないけれど、天文学の素晴らしさっていうのがね、今最高ですね。それで、やっぱり、地球上の変なのをね、もうあんまりこだわらないで、私、空ばっかり仲良しになっています。
水野 数学が苦手。
良輔 僕は数学のない学校探したら音楽だったからね。未だに数字音痴ですよ。僕、一番数学ダメなんだけれども、お弟子で岡潔博士っていう数学の、そのお嬢さんが家にレッスンに来てたんですよ。父が新しい本を出したので持って行けと言われましたで、一冊いただいたら、しょっぱなに「数学は情緒である」って書いてあるの。目からウロコが落ちたっていうのか、「数学は情緒」である。ジャン・コクトーもあるんですね。詩の最高の形式は数学だっていうの。
水野 最後に健康法を伺おうと思ったんですけれど。
更予 わたし、本当にあの、喘息持ちでリュウマチで、そしてアレルギーでしょう、それとの戦いがずっと子供のときから、発声を教えてくれたのはね、結局、オギャーって生まれたときのまんまなんですよ。本当にね、あの赤ちゃんのねえ、泣き声みてごらんんさい、全身で泣いているでしょう。だから横隔膜の使い方を知らないで、皆さんが横隔膜の変な上の方でだけしか使えないのね。私が、みっつの大変な病気で、もう幼児のときに死ぬはずだったの。あの、やっぱりその、横隔膜の使い方ね、それが最低のところを使っているらしいです今ね。
水野 ジュースはつくられるという。
良輔 そう、それは毎日。今日はまだ作っていませんけれどね。グリーンジュース。
更予 グリーンジュースで養ってもらっています。
水野 奥さんは、つくられない。
更予 作んないわよ。
良輔 あの、作ることよりも買い物が大変。
更予 私はアレルギーだから。本当に病院泣かせです。
良輔 でも、やっぱり食べ物に関して、考えないといかんですね。
更予 あの、朝、良輔がここにいるときには、青汁があるんですけれどね。
水野 歌手としてもね是非、色気のある歌をですね。
良輔 もう枯れ木ですよ。
更予 枯れ木でもね、毎日この歳になって、今日初めて知ったことっていうのがあるのね。早くあの世に行った方がいいと思っても、生きる喜びってね、やっぱり歳とともにね、あの何か分からせてもらうことがたくさんあるのね。そのかわり、一生懸命覚えたこと皆わすれていっている。
良輔 忘れないと入ってこないよね。次が満杯になっちゃう。
更予 新しいことを知るためには、昔のいろんなこと、やなこともね、大好きなことも忘れる。なんだっけでいいの。それで、毎日、新しいことを知る喜びを、それが長生きの秘訣じゃない。
良輔 それを僕も思いますね。
水野 それに尽きますかね。
良輔 知らないことを知る喜びっていうのはね、エネルギーの源になる。どうでもいいやなんて思ったら、もうねえ、終わりだ。
水野 今日はどうもありがとうございました。
良輔 話が多岐にわたっちゃって。
更予 おしゃべりしすぎて、ごめんなさい。