半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

政党政治の危機だんべ?

2011年06月11日 17時18分07秒 | これでいいのか、日本の政治

こんにちは、半次郎です。

政治家の無責任さだけが目立っている今日です。
与党だの野党だのと言っている場合ではなく、主義、主張や、党利、党略を超えて、一致協力して、復興の対応に尽力して貰いたいものです。

こんな事態に、マスコミに出て理路整然と管内閣の至らなさをアピールしている野党の政治家を見るにつけ、虫酸が走ってしまいます。

勿論、菅内閣にも問題は多々あって、復興が一向に進まない原因を、国民に説明してくれません。
一体、何が問題になっていて前に進まないのか、そこを説明するべきだと思うのですが…。

菅首相自ら“説明責任”という言葉をよく使っていましたが、何も政治献金などの不祥事だけでなく、こういったことにも説明は必要なはずです。

まさか、闇で動いて全てを決めてしまう気ではないでしょうねぇ?
いや、何かしら決めてくれるならまだしも、何もしないままで後任に引き継ぐ気ではないでしょうね?

ふと、そんなことが頭を掠め、嫌~な気持ちになりました。

それにしても、「菅首相では協力できない!」と言い切った野党議員の顔は、生涯、忘れないでしょう。

政治家とは、国民が未曽有の災害に遭遇して、大変な思いをしていても、総てが蚊帳の外、次の選挙で自党の議員がより多く当選することにしか興味がないのですね。

いっそのこと政党なんか無くして、全て無所属議員ばかりにしてしまいたいですね。

これは政党政治の危機です。

そんなことを考えていたら、雨が上がって陽が射してきました。

ムシャクシャするから、散歩にでも行って来ようっと!

from 半次郎



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1 Comments

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irresponsible (noga)
2011-06-12 01:31:11
意思は、相手の理解により効果を発揮する。
恣意は、相手の察しにより効果を発揮する。

意思は本人の内容である。
恣意は本人の内容ではない。

恣意は、恥ずかしくてまともには公言できない。
恣意は、社会に受け入れられない。ここは、甘えさせてもらうしかない。

その内容はあいまいで、相手の勝手な解釈とも考えられる。
俺の目をみろ 何んにもいうな 男同志の 腹のうち。
お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか。
だから、腹を割って話さなければならない。談合が必要である。

英米人の社会には、意思を通す権力の序列がある。これにより声明を発表する。
日本人の社会には、恣意を通す権力の序列がある。これにより天の声を使う。

東条英機は、昭和天皇の意思に従って、太平洋戦争を始めたか。
それとも、昭和天皇の意思に背いて、太平洋戦争を始めたのか。

意思がなければ、社会に対する責任がない。
日本人は、意思の存在を認めることができない。
犯意の存在も証拠不十分で不起訴となる可能性が高い。
だから、日本人の社会では、とかくこの世は無責任となる。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

昔の日本人は、15歳の見習い乗子の責任は考えられたが、5代将軍と佐土原藩主の責任については考えられなかったようである。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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