ジーンズリペア&リメイク工房 hands-on 日記(旧ブログ)

デニムの産地、岡山から発信するジーンズ日記(2010年12月~2016年1月)

hands-on プロフィール 学生編

2011年01月03日 | プロフィール

明けましておめでとうございます。

hands-onを今年もよろしくお願いします。



正月休みも納期に追われ、作業を行っています。

ホームページにもプロフィールを載せますが、書いていると長くなりすぎて、読みにくくなったので短くしてます。

その代わり、その全文はブログに載せます。

本を読む感覚でゆっくり読んで下さい。

まずは学生編です。どうぞ!




1975年 長崎県佐世保市生まれ



1988年 私が最初にジーンズを穿いたのは中学1年生の時です。

    周りの友達がおしゃれに気を使い出していた頃で、

       僕も何かカッコイイ洋服が欲しくて、親から1万円貰いました。

    実家は裕福な家庭では無かったのですが、

       確か「細かいのが無いからお釣り返しなさいよ」という意味でした。

    そして、一人で佐世保市の商店街のジーンズカジュアルショップへ行き適当に見ていました。

    当時はケミカルウォッシュのジーンズが流行っていました。

       2900円位の物がたくさん売っていました。

    そこで店員さんに勧められるがままに一本のジーンズを試着しました。

    なんかピッタリで色も濃くて流行のケミカルウォッシュよりも落ち着いていて大人な感じがしました。

    裾合わせが終わり試着が終わると、精算をする為にレジへ行きます。

    店員さんが「7900円になります。」

    「えっー、高いー、辞めます」って言ったら

       「もう裾切っちゃったよ、キャンセル出来ないよ!」でした。

    その当時ジーンズって3000円位の感覚だった私は

       (ジャスコとかダイエーで売っているのしか知らなかったから)

    値段を見ないで決めてしまいました。

    「まずい、えらい高い物を買ってしまった。」母ちゃんに怒られるという思いでした。

    そして私が買ったファーストジーンズはリーバイス606のスリムジーンズでした。

    その時の私はリーバイスがブランドジーンズかどうかも知らなかった!

    周囲の友達も持っているブランドジーンズはボブソンかビックジョンだったので

    自慢気に休みの日は必ずリーバイスを穿いていました。




1991年 高校生になる頃には周囲の友達も

       結構エドウィンやリーやリーバイスのジーンズを穿き始めていました。

    僕は周りとは違うカッコイイジーンズ欲しいなと思っていました。

    その頃から古着という物が流行り出していて、京都に旅行に行った時とある古着屋さんで15000円位の

       リーバイス501(新品同様)が売ってました。

    「なんで高いんですか?」の質問に

       店員さんが「これは古いモデルなんだよ後ろポケットのカンヌキが黒いだろ」

       って説明を受けました。
 
    「このマニアックなビミョーな違い、オールドモデル、カッコイー!」と思った私は購入しました。

    その後、ジーンズに詳しい友達に見せたら

      「これ、そんなに古くないよ、普通のリーバイス501にもたまに混ざってるよ」

    「15000円は高いよ

    と衝撃の事実を突きつけられました。

    それからです、悔しくてジーンズの年代別のディテールの違いを調べ出したのは。

    それから、バイトして貯めたお金で「今度こそみんなと差別化できるビンテージを買おう」と思い

       福岡市の天神へ出かけ行きました。

    当時はビンテージブームで福岡市の大名、天神地区には数十店の古着屋が密集してました。

    雑誌なんかで調べておいた情報をたよりに手書きの古着屋マップを作成していました。

    そして、一日古着屋巡りをして見つけたのが

       リーバイス501、66モデルのデッドストック(未使用品)ジャストサイズ、2万円!   
         
    ジーンズに2万円!当時の高校生には高いが頑張って買いました。

    地元、佐世保市にもジーンズにこだわりのあるNHというセレクトショップがあり、良く通ってました。

    店主のSさんに僕の66モデルを鑑定してもらおうと思い、たずねました。

    そしたら「これは66モデルの前期モデルだよ」と教えてもらい、

       前期がこうなっていて、後期がこうなっていると教えていただき、

    「2万円はかなりお買い得だね、5万円でも安いくらいだよ」と言われますます嬉しくなってました。

    そして次に店主が奥から出してきたのが、「リーバイス502デッドストック」

    「これはもう売約済みなんだけど珍しいから見せてあげる」と言われ

    説明を受けながらじっくり見ていました。「値段が5万2千円ってさすがに高いですね」って言ったら、

    「よく値段見てよ!52万円だよ!」と店主

       「ええーっ、52万円 ジーンズ1本、52万円、しかも売約済み!」

    僕はもうカルチャーショックでした。

    その店主は本当にジーンズに詳しくて、色落ちをかっこ良くしたければ洗剤なしで洗った方が良いとか

       洗った後は表面の毛羽取りでチャッカマンで焼いた方が良いとか、

       ジーンズの事を色々学びました。

    そして究極は「ジーンズを学生服の下に穿いて

       学校生活するとめちゃくちゃカッコ良く色落ちする」でした。

    その為にわざとサイズ大きめの学生ズボンを穿いていました。(もう変態ですね)

    それは当時、僕だけではなくてそのショップに通う友達もやっていました。

    休み時間に制服脱いで色落ち自慢し合っていたり、ホントバカでした。

    そのショップの店主Sさんの教えは絶対的な説得力がありました。

    (倉敷市児島でもSさんのショップNHはデニム好きの間では有名でした。)

    「ジーンズは汗を吸って色が落ちる!

       体の節々のアタリがでるのが一番カッコイイ」という美学がありました。

    店主の勧めで当時はまだ無名だった、店主Sさんの友人が立ち上げたDENIMEという

    こだわりのデニムブランドのGジャンを購入します。

    「DENIMEと書いてドゥニームと呼ぶんだ。デニムの語源はフランス語なんだよ」
 
       とか、豆知識貰ったりしてました。

    今度はこれを毎日着たまま寝るという作戦をしました。

    シーツにデニム色が移って親に叱られたりしていましたが、

    やっぱり色落ちの良いGジャンのするのが楽しくてやめられませんでした。

    そんな事をしながらいつかお金を貯めて

       ジーンズの最高峰オリジナルのリーバイス501XXが欲しい!

    という想いは強かったです。





1995年 1年間の辛い浪人生活を経て(高校時代ホントに勉強しなくて)、花の大学生になった私は古着屋がたくさんある

    福岡県福岡市の大学に進学しました。

    高校でテニス部だった私は大学はテニスサークルへ入ります。

    そこで知り合った友達にジーンズの良さを語り、次々に友達をジーンズ好きにさせていきます。

    そして、友達と一緒にDENIME(ドゥニーム)のジーンズを買っては、

       テニスウェアの下にジーンズを穿いて

    色落ちを競ったりしていました。

    ビンテージ古着熱も上がっていき、数ヶ月に一度、

       バイトで貯めたお金で長崎県や熊本県や広島県まで

    古着屋巡りツアーを楽しんでいました。

    そして、長年の目標だったリーバイス501XXを買うべく、当時、西日本で最大の古着ファッション街

    大阪のアメリカ村へ行く事にしました。

    2泊3日くらいかけて501XXを探しまくり、

       とうとうジャストサイズの501XXに出会いました。値段は5万円!

    ボロボロで状態は良くなかったけど、修理して穿けば良いかと思い、購入!

    福岡に戻って、穿けるようにジーンズに詳しいショップへリペアに出しましたが、

       ショップの方が501XXを見ると

    「これは高いビンテージなので修理できません」って断られました。

    そこで、おばちゃんが経営している街のお直し、リフォーム屋さんへ持って行きました。

    お直しの説明をして、修理に出すこと1週間、

    仕上がったジーンズを見てショックを受けました。

    XXの象徴である、隠しリベットが無い!!

    ビックEの赤タブが無い!!

    おばちゃんは「ポケット付け直すのに邪魔だったから、あの金具は外したよ」

    赤タブは「そんなの有ったっけ?」でした。

    糸の色使いも何だか、違うような気もしていました。

    「お直しに1万円以上出してこの結果かよ!」って感じで

    この時にビンテージジーンズ専門の直し屋があればと思ったものです。

    気を取り直して、この501XX君を毎日、自慢気に穿いていたのですが、

       なんか次々に違う所から穴が空いてきて

    すぐにボロボロになってしまいました。

    この時に、破れた穴だけ修理しても、穿いているとその周りから破れてくるのを体験しました。





1998年 大学4年生の時に就職活動を行うのですが、

       就職先はジーンズ関係と決めていました。

    一番行きたかったのはリーバイスジャパン

    これだけ今までビンテージジーンズを愛してきて、根っからのリーバイスファン。

    「ここしかないでしょ」と思っていました。

    そして、新卒採用試験の問い合わせのTELをすると、

       「弊社は新卒の採用を行っておりません

    「弊社は欠員が出た場合のみ募集をかけます」と事務的な対応。

    「ガーン!!」いきなり夢破れる!!

    (リーバイスは入りたくても入れない人沢山いると思います。)

    こうなりゃ、「ジーンズメーカーならどこでも」、

       と思って国内のナショナルブランドメーカーを受ける

    E社、B社、BJ社

    みごとに落ちました。

    リーバイス=オリジナルジーンズという概念が出来上がっていて、

       他社のジーンズについて熱く語る事ができませんでした。

    頭を切り替えて、「リーバイスのジーンズ扱うならメーカーでなくても良いや」と思い

    将来ショップを経営したいから、小売業が一番良いかなって事で、

    その当時、まだ九州では1店舗しか出店してなかった

      (株式上場前)ジーンズ&カジュアルR社を受けました。

    1次選考通過!

    2次選考通過!

    (筆記試験があって「知っているジーンズブランド書きなさい」ってのがあって、

       そこだけたくさん書いたのを記憶してます。)

    最終選考は京都まで行きました。

    「全国勤務ですがどこへでも行けますか?」この事を何回も聞かれました。

    「好きな事を仕事にするんで、どこへ行っても大丈夫です。」と答えていました。

    そんな感じで、みごと就職内定

    就職内定が決まったのは大学4年生の7月頃でしたが、卒業出来るかまだ分かりませんでした。

    遊んでばかりの大学生活で不足単位のシワ寄せが4年生にやってきます。

    商学部で一応ゼミにも入ってました。

       (みんな1年くらいかけて卒業論文というのを書きます。)

    僕はギリギリまで何も準備していなかった!

       (たくさん残された他の科目の勉強で余裕が無かったというのが本音。)

    題材を考えていたけれど、思い浮かばない。

    「ジーンズだったら商学部だから有りなんじゃない?」と思って10月頃に教授にかけあいました。

    そしたらOKでした。(一人だけ卒論の準備していない僕に同情してくれたに違いない)

    テーマは「ジーンズの歴史とその発展」だったと記憶してます。

    自分の得意分野だから、すらすら書けました。

    雑誌とかも今までのスクラップ引っ張り出したり、詳しく書いてある本を買ったりして調べました。

    1ヶ月位、自宅に閉じこもりワープロと向かい合う日々、

       中間確認する時間も無く一気に書き上げる。そして完成!

    そして、論文の結果はなんと「」でした。情熱が通じたのでしょうか?

    (T教授ありがとうございました。卒業できたのはT教授のおかげです。)
    

    次回、社会人編へ続く


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