はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

『海の闇、月の影』みたいだなあ

2006年09月15日 | まんが
 『新世紀エヴァンゲリオン』からの連想をもうすこし。
 このアニメ作品は「レイ」というキャラがすごく重要なシンボルになっています。この女の子は、主人公シンジ君のお母さんの細胞からつくられたクローンでしたっけ?(はっきりおぼえていないんですが。)
 レイが連想させるイメージは、「母」「月」「海」「血」。 すべて母性的なイメージ。 そして僕はマンガ『海の闇月の影』(篠原千絵作)と重なります。たまたま読んだ(観た)時期が同じだったせいもあるでしょうけど。
 このマンガは双子の姉妹が戦うはなし。2人とも超能力者となって。
 この2人が戦いはじめたきっかけは、もとはといえば、好きな男性から告白されたことが始まり。 じつはこれ、一人の女の子の「内面」の戦いをドラマ化したもの、と僕は読みました。つまり、敵である双子の姉は「もう一人の私」です。だから顔がいっしょ。
 「女の子」が「おとなの女性」になるとき、それまでの「女の子」をつくっていた一部分を「捨て」なければならなくなります。それはたまらん、と捨てられるほうの部分が「死んででたまるか、おまえが死ね!」と戦いをいどんでくるのです。「女の子」のときはそれで十分幸福だったわけですから、それを壊して「次」へ進もうというときには自分のなかで「反乱」がおこるのです。その戦いにきっちりと決着をつけることは、大切なことです。

 「エヴァ」の場合は、男の子の戦い。その内面のドラマといえます。

 ところで、僕はたまたまある雑誌で篠原千絵さんのインタビューを読みましたが、その中でこのマンガの発想のきっかけを話していたのですが、それが面白かった。
 それによると、篠原さんはマンガの「髪の毛のベタ塗り」が「めんどくさい」のだそうです。めずらしいですよね、女の人はだいたい丁寧に髪の毛を描くのが好きでそれでマンガを描き始めるものですが。
 とにかく、篠原さんはそれが「めんどくさい」。 だけれども、マンガの女性キャラを2人以上つくるとき、主人公の髪の毛が「白」ならば、もう一方は「黒」にしなきゃならなくなる。それでないと「同じ顔」になってしまう。それで篠原さんはカンガエタ。
 「双子にしたら両方とも白い髪でいいじゃない、ベタ塗りしなくてすむわ。」
 そ、そんな理由で!

 「エヴァ」のレイ役の声優は林原めぐみさんですが、ときどきラジオでしゃべっているのを聞きます。レイと違って、早口のおばさん全開トーク。

『生物都市』みたいだなあ

2006年09月14日 | まんが
 『新世紀エヴァンゲリオン』はTVシリーズのラストが、視聴者も作り手も不満があって、人気も高かったので、劇場版としてラストを作りなおされて発表されました。僕は映画館へ観にいきましたよ。「死」のにおいがぷんぷんのラストでしたねえ。

 僕はあれを見て「生物都市みたいだなあ。」と思いました。
 『生物都市』というのは、諸星大二郎の少年誌デビュー作品で、少年ジャンプの『手塚賞』大賞を受賞しています。(単行本『妖怪ハンター』に収められています。)少年漫画の短編で、あれだけインパクトがあって記憶に残る作品というのもほかに思いつかないほどです。それだけ「衝撃的」でした。
 そのマンガの内容は、ある宇宙船がもちかえったものによって、人間も生物も機械も建物もすべてが溶け合って一つの生命体になってしまう、というストーリー。その様子を丁寧に描かれた作品です。
 その「溶けて一つになる」というのが似ているわけ。

 「エヴァ」については、キャラ担当の貞本氏が、監督の庵野秀明氏への不満として、「ストーリーが進むにつれて、キャラの性格がみな同じになっていく」と言っていたのが印象に残っています。そう、みんな同じになって、融合して、一つになっていく話… それは「死」につながるので、ちょっと怖いカンジ。みんな、死んで幸せになろう、そんなストーリーにも思えますね。
 死ぬなら一人で死のうよ。「みんなで」というのはヘンだ。まあだれもそれは言ってないけど、このアニメ作品の「人類補完計画」ってのはそういう計画なんだよね。

 あと、「エヴァ」については、「理科室の人体模型」をおもいだします。あの模型って、血管を「赤」と「青」で塗られていたでしょう? 「エヴァ」の色使いって赤、青、紫、肌色というイメージ。それと理科室の寒々として生活感のない感じ。生活感のない水道の蛇口。ほんのすこし薬品のにおい。実験器具。
 僕は「エヴァ」、面白いとおもうよ。同時に、これをイヤダと言う人の気持ちにも共感します。

首と肩(エヴァの人達と芥川)

2006年09月13日 | はなし
 さて「首と肩」のはなしをします。サンプルは「エヴァンゲリオン」と芥川龍之介

 僕は高校の卒業写真の自分を見て思っていたことがありました。それは、なぜ自分だけ首が長く見えているのだろう、という疑問でした。学生服の詰襟から上の首が、ながいのです。自分の首はそれほど長いとは思わない、なのに、写真では、長く見える… それがふしぎでした。
 あるとき、TVで芥川龍之介の写真を見ました。そのときに、「あ、おれの写真の首とおなじだ!」と気づきました。ちょうどそのころに、僕は「身体」に興味をもちはじめていたので、考えました。考えた結果、僕の写真の首が長くみえるのは、僕の「姿勢」のせいだ、とわかりました。「僕の姿勢はまちがったまま固定されているのではないか」そこからさらに、「正しい姿勢ってなんだろう」「固まって萎縮した身体を解きほぐすには何をしたらよいだろうか」など考えるようになりました。
 それが高じて、リハビリ士の学校へ行くようになりました。

 数年して、ビデオで「エヴァンゲリオン」を観ました。(10年くらい前ですね。) 「エヴァ」のキャラをみたとき、僕は「あ、芥川龍之介といっしょだ。」と思いました。「エヴァ」のキャラを描いたのは貞本義行氏ですが、そのキャラの首と肩のラインが同じなのです。ちゃんと芸術学校で勉強した絵の上手い人が、あのような首を描くのはへんなカンジです。
 とくに主人公の少年シンジ君の肩は目立ちます。あの肩には、みえない「なにか重いもの」がズーンと載っかっいるようにみえます。そして、対照的に、シンジ君の乗るロボットの方は、肩や背中にガチガチに装備を載せています。
 「エヴァ」の場合、操縦士が乗るのは首のうしろ、延髄のある場所です。マジンガーZは頭、ガンダムは腹… そんなこととストーリーとが関連しているような気がしておもしろかったです。
 「エヴァンゲリオン」、また作られるそうですね。

ワッフルマッスルマン

2006年09月12日 | はなし
 1年前から「ワッフル編みタオル」を愛用しています。なかなかいいです。
 「でも、ワッフルって何?」
と思って、インターネットで調べたらベルギーのワッフルという食べ物だとわかった。そんなふうに「おお、ネットって便利だな」と知ったきっかけがワッフルというわけ。ついでに「ワッフル製造機」というものがあることまで知った。(最近の新知識は「日本カシス協会」の存在。すべての食べ物について日本〇〇協会ってあるのかなー?)
 ブルーワーカーは進化しているのかな。オレ、持っていたんだよねー。

fantasy

2006年09月11日 | はなし
 先月の河合隼雄さんについての稿の中で、ひとはみな自分の中にはファンタジーを持っている、と書きました。それについてもう少し触れてみます。

 ここでいうファンタジーとは、「こころの中の世界」ってことですが、よく少年や若者が犯罪を起こしたときの「心の闇」などと表現されることがありますが、あれも「ファンタジー」。たのしい世界ではなく、むしろ、くるしいことがたくさんつまっています。だから、たいてい、ひとは「自分のファンタジー」にうっかり入り込まないように気をつけています。この中に入るとね、社会生活が難しくなるんですよ。特にオトナは大変です。だから入らないように気をつけているのですが、リストラで仕事がなくなったり病気したりして、それをきっかけにファンタジーの入り口を見つけたりするわけです。恋愛がきっかけになるのもよくあること。
 「ファンタジー」ってのは、娯楽として読んでるぶんには「他人ごと」だから楽しいことだけ味わっておけばいい。つまらなかったら「暗い話は嫌いだ」とでも言ってやめればよい。でも、自分が物語の主人公として入るとなると、これは、その世界の「くるしみ」を全部背負うことになるんです。そしてやめることはできないからつらい。「宝物を探す」なんてね、話を聞くのは面白いけど、やるとなったら大変ですよ。あるかないかわからないものを探すんだから。あるかないかわからない場所を旅して。フツウに働いて給料もらうほうがラクですよ、確実だもん。褒めてもらえるしネ。
 コンピュータ・ゲームだとすぐに「敵」が現れてくれるから楽しくていい。ところが現実の「ファンタジー」では99%以上の時間はなにも起こらずただ「苦しい」だけ。ひたすら「待つ」か、ひたすら「歩く」だけ。
 そうした「苦しみを背負う主人公」をやりつつ、同時に「社会」で生活するために働かなければならない。だから(とくにオトナは)大変なんです。理解はしてもらえないですしね。
 つまり、「社会で働く私」と「ファンタジーの主人公である私」という2つの「こころの軸」が存在するわけです。「こころの軸」が2つあると、体力的にも、心的にも、ガタガタになるわけですね。2つの軸を行ったり来たり…。

 まあそんなわけで僕はずっと「体力がないんです」と言ってきたし、やっと食べるだけしか働いていない。いい大人なのに。これってスゴイ言い訳ですね。まあ、言い訳を必要とする相手もいないわけですが。とにかく、時間と体力を消費します。
 ほんとうは10代の心も身体も柔らかい時期にやっておくべきだったんです。(そうすれば3年とか5年で終わったと思う。)やるべきことをほうっておくとどんどん心身が硬くなって時間がかかる。僕は10年かあるいは20年くらいやっています。(つまりまともに社会参加できない。端っこで生きています。)
 でもあと1、2年で終わるような気がしています。(おかげさまで!)
 このまえの「しにたいガス」もファンタジーの「敵」なのですね。でもね、ものは考えようで、「敵」が現れたってことは「宝探しのヒントがちかくにあるよ」というサインなんです。「しにたい」と思うのはツライけど、死ぬわけじゃない。「おれのファンタジー」いよいよ最終章突入、かな? 宝はちかいぞ!
 まあ、がんばります。

おつり

2006年09月10日 | はなし
 僕がよく行く本屋の店員に気になるひとがいる。なぜ気になるかとういと、その女店員はおつりを決して手渡ししないからだ。
 本を買う。ぼくは女店員に千円を出す。女店員はレジを打って、おつりを用意する。僕は買った本を左脇にはさみ、右手を差し出す。ところがその女店員、僕の右手を無視してトレイの中へおつりを…。
 「あれ?」
 僕の「手」は肩透かしをくらう。
 それで次回からはもう僕は手を出さないで待つ。そしてトレイに入れられたおつりを回収する。
 しかしその女店員のレジからトレイまでの腕の動きのスキがないこと! すばやく、かつ、低空飛行。
 「それほどまでに、手渡しが嫌なのか。」
と感心してしまう。でも、あらかじめ、あのトレイの上に僕の手を置いて待機していたら、彼女はどうするのだろうか。(実行する勇気はないが。)

オニオン・スープ味

2006年09月09日 | はなし
「おまえといると死にたくなるよ。」
「よく言われるね…。」
「へえ…」
「みんなそう言うよ。」
「…」
「…」
「食べるとどうなるんだろう?」
「まずいらしいよ。」
「まずいのか。」
「食べてみる? でもスープにするとおいしいって。」
「だれが?」
「だれだっけな…」
「…」
「オニオン・スープの味がするって。」
「へえ。」

しにたいガス

2006年09月08日 | はなし
 このまえ、死にたくなりました。うっかり「しにたいガス」を吸ったからです。
 欲しいものを手に入れようと鉱脈をさがしていたら、その「ガス」が噴出しました。きっとこの「ガス」のむこうに「それ」はあるのです。
 さて、どうしたらよいのでしょう?

生きものの記録

2006年09月07日 | はなし
 ラジオで大田光が黒澤明の『生きものの記録』を、「黒澤のかくれた名作」といっていたのを聞いて、観てみました。
 ああ、たしかに名作っぽい。主役の老人を三船敏郎が演じているんですけど、黒澤・三船のコンビでなければできないようなこの老人の「存在感」。
 でもね、これみて僕は「ああ、つらい」とおもいました。
 この映画の主役の老人は、原爆・水爆のキケンからのがれるために、家族も愛人も、愛しているものたちすべてを連れてブラジルへ移住しようとします。自分の築いてきた財産をすべて投げ打って。つまり、生きるために最善の努力をしようとするのです。パワフルなじいちゃんです。
 けれど家族にしてみれば「狂っている」からやめさせようということになります。
 原爆・水爆のキケンなんて考え出したら果てがない。だから僕たちは「考えない」ように生きている。器の小さいものがそんなことを考えはじめると手に負えません。考え始めるとどんどん「ウツ」になっちゃうよ。
 だから「考えない」のが「ふつう」の生き方。でもそうすると、「感性」って鈍くなってゆくんですよね。 そんなことを考えると、さてどうしたらいいのか、なんて重苦しくなる。そんなハードな映画です。
 じいちゃんはいいます。「わしはお前たちを一人として死なせたくない。だからブラジルに行ってくれ。」

 それはそれとして、この映画の舞台は昭和30年頃。土の道路を車が走り、建物の窓は開いていて、暑いのでしきりとウチワで扇いでいます。なんだかなつかしい。僕もまだ生まれていないのですが。『三丁目の夕日』も観ようかな。 

ツマグロヒョウモン

2006年09月05日 | はなし
 アルコールがだめな僕は土曜日一杯だけビールを飲んだんですが、それが引き鉄になったかいままで「ウツ」でした。ヨワッチイな、オレ。
 その間に彼女 、ツマグロヒョウモンに出会ったのが小さなハッピー。この名前、知らなかったのですが、あとで図書館で調べました。メスなんですね、この模様は。
 調べていたら似ているチョウにカバマダラというのがいる。これ、毒をもっているのだそうです。といっても刺すわけでなく、「食べると毒」なんです。だれが食べるんだ? 人間は食べないよね、鳥です、鳥に食べられないように毒をもっているわけです。
 それでツマグロヒョウモンのほうは、その毒をもっていて鳥に警戒されているカバマダラに模様を似せている、とされています。へえ~。

つんでれ喫茶かあ

2006年09月01日 | おんがく
「M君。」
「はい」
「ラジオ聴く?」
「ラジオですかー?」
「うん」
「聴かないですねー。」
「全然?」
「ええ」
「へえー」
「ラジオかあ、聴かないなー。」
「テレビは? あ、“下北沢サンデーズ”観てない?」
「観てないです。」
「おれたまに見るんだよね。下北の知ってる店を上戸彩が歩いてたりして、あ、この間はDORAMAっていうレンタル屋が出てたよ。」
「ああ。」
「上戸彩ってなんかサワヤカだよなー。」
「ですねー」
「M君、テレビ番組で毎週見てるってやつ、ない?」
「うーん、とくにないですねえ。」
「ないのかあ…」
「このまえ深夜に“黒い太陽”ってドラマがあったんですよ。あれ面白かったんで、観ようと思っていたんですけど。」
「へえ、どんなドラマ?」
「キャバクラのドラマでした。主役は永井ナントカっていう…」
「永井…あっ、もと仮面ライダーの人?」
「あ、たぶん、そうです。」
「キャバクラいったことは?」
「ないですねー」
「おれもないんだけど、酒のめないからなー、やっぱメイド喫茶かなー。」
「メイド喫茶友達と行こうって言ってるんですけどねー。でも高いらしいですよ。」
「高いって言ったってそりゃコーヒー代と思うからで、キャバクラいけば1万とかかかるんだから。」
「あ、そうですねえ。」
「だけどメイド喫茶のあの黒いファッションは好きじゃないけどね。」
「ご主人様とか言うんでしょ?」
「うん」
「おかえりなさい、とか」
「らしいねえ。」
「つんでれ喫茶もあるらしいですよ。」
「ええ、ほんと。」
「あるって聞きました。」
「ずっとつんつんしてるわけだ… それで、いつ、でれでれするんかなー?」
「帰りぎわじゃないですか?」
「帰りぎわかあ!」
「帰りぎわでしょう!」
            こんな感じでライブに向けて準備中