はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

絵のちから

2008年01月09日 | まんが
 手塚治虫『ファウスト』のキャラをいくつか筆ペンで模写してみました。『ファウスト』は昭和25年手塚さんが21歳のときの作品。元ネタはゲーテですが、この主人公ファウストはゲーテの創作上の人物ではなく、15~16世紀にドイツに実在した人物とのこと。

 「絵のちから」がほしい。それが僕の望みです。
 ただし、上手くなりたいのではない、ということはハッキリさせておきたい。(だれに対して? …さあ)
 では「絵のちから」とはなにか? 絵の底で、なにかが力強く流動しているような絵です。色気のある絵です。(それが今の僕にはちょっと足りません。いや、ちょっとじゃない、だいぶ足らないな。)

 下の絵は手塚治虫『ファウスト』の中の1コマですが、なんと「ちからのある絵」なのでしょう! そして線の色っぽいこと! この『ファウスト』、今読んで「おもしろい!」とは感じないのですが、1コマ1コマの絵の華やかさにうっとりさせられます。20代の手塚さんは、まさに、天才でした。
 お姫さまのふっくらした衣装を見てください。なんだかおいしそうなパンのようで、食べてしまいたくなります。


 その次のコマは、主人公ファウストが探していたものを見つけて跳びかかるシーン。こんなふうに全身で気持ちを表すというマンガって、今はとても少ないんですね。(それがマンガの持つ特色なのに。) この跳びかかり方は、まるでネズミを見つけたネコのようです。つまりそこには、人間的な喜びだけでなく、「野生的なもの」が同時に現われているんですね。


 手塚治虫の「天才」は、「野生的ななにか」とつながっていたと思います。でも、文明の中で仕事ばかりしているとその「野生」はだんだんと擦り切れて磨耗していきます。30歳になった頃には、もう思うようには「野生のちから」が出てこなくなったのではないでしょうか。
 手塚さんは、そこでいったんそれまでのスタイルを壊して作り変えます。そうして生まれたのが『鉄腕アトム』。 この物語は人間の子供である「飛男(トビオ)」の代用品としてのロボット「アトム」が活躍する話です。アトムのもつ力の源・原子力は、たしかに「野生のちから」なのですが、自然にわいてきた「野生」ではなく、人工的に取り出された「野生」なのです。
 (と、テキトーなことを言ってみました。あっちょんぷりけ。)


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