はんどろやノート

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世界の中心で愛を叫んだけもの

2006年09月16日 | はなし
 さて「エヴァンゲリオン」の話をもう少し。(なんだ、スキなんじゃん!)
 「世界の中心で愛を叫んだけもの」というフレーズは「エヴァ」のTV版最終回で使われたタイトルですが、これは同名のSF小説からとったらしい。(「セカチュー」でも使われ有名になりました。)しかしそのルーツは、たしかプラトンの言葉だったと思うのですが、ネットで調べても確認できませんでした。

 「エヴァ」の戦闘ロボットの面白いところは、コンセントのようなコードがついているというところ。宇宙に出るところは電池のようなものに切り替えます。なんだかそれが「子供時代」を表しているようで面白いのです。
 「エヴァ」の主役たちは14歳の中学生。主人公のシンジ君はこのシリーズの初めから最終話までずっと戦闘ロボットに乗って戦うことをやめたくてクヨクヨ悩みます。基本的にそういうストーリーなのです。
 そしてそれをつくった人たち、総監督庵野秀明、キャラクターデザイン担当の貞本義行(最近は「時をかける少女」のキャラを担当)らは製作当時30代、現在は40代… つまり、僕と「同世代」なのです。僕は、そこにとても興味を抱くのです。
 このドラマの中で「ATフィールド」という言葉が使われていますが、これはいわば自分をまもるバリアーのようなもの。でもその、自分を守るためのものがあるために、「他者」との距離がうまくとれず、シンジは悩む。かといって「バリアー」を解いてしまうと「他者」が怖くなってしまう…。ロボットものでありながら、じつはそういう人間関係のドラマなんですね。
 それで僕が興味を抱くのは、30代、40代のオトナが、そういう年齢になってこのようなことを考え始める、という「僕の同世代」についてなんですね。(映画版「ゲド戦記」の宮崎吾郎氏も40歳くらいですよね。)
 父親のこと、母親のこと、他者(友人、異性、社会)との関わり方、死と生… そういうことを、なぜ、30代になってから考え直し始めるのか? ほんとうは、この「エヴァ」のストーリーのように10代で考えるべきことだったのではないか。
 僕らの世代のマンガや小説は、古い世代の影響を強くうけてあこがれています。けれど、古いマンガや映画のように、のびのびと「飛ぶ」ことができません。「なぜだろう… 」30代、40代になって僕らはそのことに気づきはじめてもがいているのではないか。そんなことを思います。
 いま、少年漫画雑誌で「飛ぶ」シーンって少ないですよね。みんな心身が重くなってきているのではないですかね。
 親に与えられたおもちゃで遊んだ「子供時代」をなかなか乗り越えられずに。

 庵野秀明さんは「風の谷のナウシカ」であの巨神兵の崩れ落ちるシーンを描いたひと。肉を食べないそうです。喫茶店などで仕事の打ち合わせをするときに、サンドウィッチを頼んで、その中に「ハム」が入っているといちいちそれを取り除いてから食べるのだそうです。だいたい「食べるってことの意味がわからない」んだと。

 あらためて「エヴァンゲリオン」劇場版最終話を見てみました。うまくできたラストではないですか。これを作り直す意味はわからないな。ま、儲かるからつくるってところかな。(上げたり下げたり~)


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