はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

ヨロン島

2007年07月24日 | ほん
 1985年8月、御巣鷹山に墜落した日航機123便の事故が起こったとき、僕は与論島にいた。

 与論島は、沖縄本島のすぐ北にあって、だから与論島から沖縄本島がみえるが、与論島自体は鹿児島県に属する。だから僕は、与論島へは行ったことがあるのだけれど、沖縄には行ったことがない、ということになる。ヨロン島はサンゴでできた島で、だから水道の水にも多量の石灰がふくまれていて、観光客がその水を飲みすぎると腹をこわすという。
 島なので新聞も遅れてくる。朝刊が昼の3時ごろに来ていた。台風が接近して波が荒れると新聞は来ない。まあでも、TVの電波までは遅れてこないので、僕はTVで普通にこの日航機墜落事故のことを知った。520人の人が死んで、その中には歌手坂本九もいた。(向田邦子もそうだと思っていたが、これは僕の記憶ちがいで、別の飛行機事故だった.) そして、しかし、4人の女性が生存していた、という劇的なものであった。
 それにしても、東京・羽田から大阪へ飛ぶ飛行機が、群馬県に墜落するなんて。御巣鷹山が群馬県(埼玉県・長野県境にも近い)だなんて、僕は昨日知ったのだが。

 僕は、8月になると、この日航機墜落事故がTVで採り上げられるたびに、フクザツな思いになる。「この事故を風化させてはいけない」などと聞くたびに…。
 「それはそうだけど… でも…」と思う。
 だけど、世の中には死んだ人はいっぱいいる。交通事故や、病気や、殺人事件や、自殺。毎日100人の人が自殺している… でも、それらは採り上げられることはない。不治の病で死ぬ人もいれば、よくある病気で死ぬ人もいる。そういう「死」はほうっておいて、なぜこの飛行機事故だけは、わすれちゃいけないと「特別あつかい」されるのだろうか。
 答えはわかっている。インパクトがあるからだ。マスコミとして「商品価値」があるからだ。
 僕だって、日航機墜落の日にヨロン島にいた、と記憶しているが、これが平凡な事故なら覚えていないだろう。僕の中にも、「インパクトのある死」の商品価値に引っぱれるなにかが、たしかにある。その感じに違和感があって、だから僕は、この御巣鷹山の事故のTV番組がすきではない。
 同じように、この事故を題材とした小説もニガテだった。山崎豊子の『大地の子』は比類なき傑作であるが、この御巣鷹山の飛行機事故を題材にして航空会社の権力争いを描いたらしい『沈まぬ太陽』は読む気になれなかった。(ホリエモン堀江貴史は拘留中にこの小説を読んで感銘を受けたとTVは報じていた.)

 ところが僕は『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫著)を読んだ。
 これは以前から本屋で見かけ、気にはなっていた。だが手にとって内容をみると、御巣鷹山の日航機事故を扱ったものであるようだ。主人公は新聞記者で、新聞社内部での権力抗争がふんだんに描かれている。それがわかると、僕はどうも読む気になれなかった。だけど「クライマーズ・ハイ」というのは山登りの用語らしいが、それとあの飛行機事故とどう結びつくのか…。それが気になっていた。そういうこともあって、気になりつつもそのままだったこの本を、昨日から読み始め、今、読み終えたというわけ。
 読了して、「クライマーズ・ハイ」とタイトルにつけた意味がわかった。
 読んでよかった、と思う。ラストはすっきりした。この小説は、上に書いたような僕の、この事故とマスコミへの違和感を、いくばかりか消化してくれるものだった。

 『私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても』 (『クライマーズ・ハイ』文中より)


 ところで、昨日書いた小渕恵三の「ビルの谷間のラーメン屋」のワードは、ハードカバー版『クライマーズ・ハイ』のP159に出てきます。小渕恵三エピソードはこの本のテーマとはなーんの関係もないですけどねー。

 それから、御巣鷹山というのは間違いで、ほんとうは「高天原山」なんだってね。