はんどろやノート

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沖縄戦

2007年07月17日 | はなし
 「沖縄戦」について書こうとおもう。

 今日の絵は、映画「ひめゆりの塔」を観ながら描いた。昭和28年に公開されたこの映画は、沖縄戦のひめゆり学徒隊をえがいたものである。暗い時代の中での、10代の彼女たちの、軽やかな動きと明るさが印象的である。 洗面器をもって、タタンタタンタタン♪ と歌い、踊るシーンである。
 黒柳徹子さんが語っていたが、被災地や戦災地では、だいたい女があかるいそうである。「黒柳さん、踊りましょう、歌いましょう」と言ってくるという。ところが「男の人が元気ないんですよね」と。
 女の人というのは、「その瞬間を生きる」のが上手だ。つかの間の平和を生きる、目の前の苦労を処理していく。あのような、「どうしていいかわからない」状況になると、実は女のほうが強い。女は、「今すべきこと」を、する。「ひめゆりの塔」でも、沖縄本島の南端に追い詰められた彼女たちは、天気のいい朝に、キャベツでバスケットボールをはじめたりしている。(実話かどうかは知らない) 穴の中での防衛戦の連続の日々、太陽の下で遊ぶなんてこの一瞬しかない、だから彼女たちはその一瞬を遊ぶのだ。
 では女のほうがすぐれているのかというと、男には男の役割がある。男は、もうすこし「広い眼」でものごとを見る特質があると思う。男は、「なにがいけなかったのか」「これからどうするか」と、過去と未来とを併せて考えようとする。まあだから、男はおちこんでしまうのだ。やっぱり、あの戦争の悲惨さは、「広い眼」でものを見るべき男たちの責任だと思うのだ。「どうしてもっと早く降伏しなかったのか」「そもそもなんのための戦争だったのか」… それを考えるのが男の役割だろうと思う。だが、当時の人々には、そんな余裕もなかっただろうが。

 「10・10空襲(じゅうじゅうくうしゅう)」というらしい。沖縄にアメリカ軍が爆弾を投下し始めた日が1944年10月10日なので。まず爆弾投下で建物を十分に粉砕し、それから上陸して占領する、それがアメリカのやり方だった。
 そしてアメリカ軍の沖縄本島上陸が1945年4月1日。沖縄戦がはじまった。はじめから日本に勝ち目はない。勝ち目はないのに、1日でも長く粘る、それが目的の戦いだった。なんのために? 沖縄が落ちれば、アメリカ軍は、次は、おそらく、東京へ来る。それを遅らせるために。遅らせてどうする? 
 「1億総玉砕」… ひとつの「玉」を護るために最後までたたかう…。そこには、犠牲をすこしでも少なくする…という発想はない。「玉」を護る、という目的のみがあった。そのために、「玉」を長野県松代へ移す計画が進行中であった。
 沖縄戦での日本人の戦死者は22万人。うち、15万人以上が沖縄県民であった。これは、死者の数だから、負傷者は別に沢山いるわけだ。その当時の沖縄県民は59万人だから、4分の1の県民が戦死したことになる。なんともすさまじい戦いだ。

 小学生のとき、ある日先生が「今日は何の日か、知っていますか? 今日、沖縄が日本に返還されました」と言ったのをおぼえている。その意味が当時の僕にはまるでわからなかったのだが、年を重ねるにつれ、すごいことだったんだなと知るようになった。