はんどろやノート

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硫黄島

2007年07月05日 | はなし
 二宮和也くんを描いてみました。

 硫黄島は、伊豆七島の南に位置する。東京都に属している。いまは自衛隊の基地があるだけで人は住んでいないが、戦争前には1000人ほどの人が住んでいたそうだ。
 「真珠湾攻撃」が1941年12月、アメリカの硫黄島上陸が1945年2月。サッカーでいえば日本が奇襲で先制の1点を挙げ、すぐにアメリカが反撃。圧倒的にアメリカ優勢で、勝ちは動かないんだけど、アメリカにはまだ点が入っていない、アメリカ国民は長引く戦争にうんざりする… というところだろうか。アメリカはまず沖縄を支配下に収める計画でいた。しかしそれにはもう少し時間がかかる。そういう局面で、1944年11月から、アメリカは、B29による日本本土への爆撃をはじめている。これは無差別爆撃(アメリカは公式には認めないが)で、目に見える結果をもとめるアメリカの焦りがみえる。B29はサイパン島などの基地から飛んできて、日本へ爆弾を落とし、またサイパンへ帰っていく。B29にはそれだけの能力があったが、途中、傷ついたりした爆撃機の着陸基地がほしい。そういう意味での「硫黄島取り」であった。本土攻撃を思うさまやられてはたまらない、だから日本も必死でこの島を護ろうとした。
 アメリカ兵が硫黄島に上陸した初日、アメリカ兵は501人が死亡している。こういう数字はアメリカの本国で発表された。日本と違って正直に発表するところがこの大国の堂々としたところだが、その発表に国民は驚いた。勝って当たり前の戦いでなぜこんなに死者がでるのか(たった1日で!)。 そういう中で、『父親たちの星条旗』のテーマとなった「写真」が撮られ、新聞に載った。アメリカ国民はその写真に異様に興奮した。それは、優勢なのに「結果」がなかなか見えないこの戦争で、ついに「1点」をゴールした、というような快感かもしれない。(結局、硫黄島でのアメリカ軍の死者は6821人、傷を負った者は2万人以上となった。)
 『硫黄島からの手紙』の中の、栗原中将やバロン西(オリンピックの選手)という人物は、実在の人物のようだ。渡辺謙が演じた栗原中将は、この映画の中では、物思いに耽りながらスケッチをしていた。これは、どうなのだろう、ほんとうに栗原という人は、そういう趣味があったのだろうか。それを、僕は、知りたくなった。