One-Leg Playerの奮闘記

障害を持っていても松葉つえ1本でいろんなスポーツにチャレンジしています。

リベラリズムへの危機感かも?

2018-11-11 14:45:07 | 疑問

作家の百田尚樹氏が書いた「日本国紀」と言う本が発売される前から Amazon で総合ランキング1位を記録し続けている。

この現象は、日本人が忘れかけている日本の正しい歴史観や日本人が大切にして来た共同体や思いやり、先祖や親を大切にする心など、現代人が長年受けて来た個人主義によるリベラリズムの教育に矛盾を感じ始めた人々が、この本により日本をもう一度見つめ直し、日本本来のカタチを取り戻そうと希求する強い思いと、リベラリズムへの危機感からではないかと想像される。

リベラリズムとは、秩序や伝統的な文化を否定して、本能のまま生きやすいように何でもかんでも、良い面でも悪い面でも省略化して、拠りどころが薄れていく社会を言う。今日はそこにスポットを当ててみたいと思います。

信じるものがなければ道徳は存在しようがないし、リベラリズムが進むと、やがて無縁仏が増え、お寺が減少し自分が死んだら樹木葬で墓なんか要らないし、海へ散骨してくれと言う人まで出て来る始末。

リベラリズムだと理性とか科学的なモノとか、それだけに拠りどころを持ち、すべてをそれで語ろうとする。人間だから失敗もするし、間違いも起こすだろうし、いろんな考え方があってもいいし、完璧な人間なんてありえない。しかし、心の内に信じるものが無い限り、自分自身を保つことは本来人間として出来るはずがないと思うのです。

文化とか、伝統とか、宗教や道徳心とかによって人間の出しちゃいけない悪い本能の部分が抑えられていて、道徳心というものを突破らてしまうと、本能の抑えが効かない状態であるが故に、何をやっても許される社会になってしまう。まさに、言いたい放題、やりたい放題、何でもかんでも自由や人権を主張すれば、まかり通る世の中になっていて、社会の不安定化がますます進んで行く。

そんな中で、正しい常識、正しいあり方、正しい社会を取り戻すためには、共同体を復活しなければならないと改めて認識させられた思いです。

日本の古来から正月やお盆、親の命日に親族が集まる慣習は、長年引き継がれて来たこれも一つの伝統的な共同体であり、自分一人の事じゃないってことを先日の親父の3回忌の中で気付かされた気がします。

ちょっと、きょうは小難しい話しでした。

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