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桜の下にて、面影を(38)

2018-01-21 10:57:21 | 【小説】桜の下にて、面影を
☆☆☆

「あら、本日貸切?」

季節に合わせた、可愛らしいデコレーションを施された紫檀の扉に、
レトロなプレートが下がっている。

初めて見る小さなプレートを前に、二葉は扉を開けることを躊躇っていた。

「やあ、二葉ちゃん、いらっしゃい」

すると24時間、365日ご機嫌のマスターが、
目が眩むほど鮮やかな赤を纏ったポインセチアを置こうと、扉を開けた。

「梅雀さん、今日は貸切なのですか?」

「そうなの。今日は珍しく、殿のたっての希望でね」

「苗雅さんの希望ですか。確かに珍しいですね。それで、寂念さんと寂超さんはご一緒ですか?」

「あ、いや、二寂さんたちは、今日は予定があるらしいよ」

「ああ、そうか。寂念さんが来られるはずはないですよね」

「そうだろうね」

マスターは機嫌の良い顔を、二割増しにしたような笑顔で言った。

「私は入っても良いのかな?」

「もちろん、大歓迎だよ。遠慮は無用。さあさあ、入って入って」

すっかり冬の装いで街が染まったその日も、
二葉は大学から少し離れたところにある珈琲店に、苗雅を訪ねていた。

古い雑居ビルの一階に入る、開店当時から変わっていないという、
珍しいくらいの高天井が特徴の趣深い店。

その一番奥のコーナー席、そこが苗雅の指定席だった。

一年生の頃からほぼ毎日通っていたこともあるが、何よりもその風貌によって、
すぐに常連扱いをされるようになった苗雅のために、
マスターが早々とリザーブ席にしてくれたのだ。

これも人望というものだろうか。
いやいや、それもあるだろうが、商売第一の秘策だったというのが本音かもしれない。

そこでの彼のオーダーは、いつでも『パストレス・ピーベリー』という、
ガテマラ産コーヒーの一択だった。

一度、一口だけ飲ませてもらったことがあるのだが、
大人の味覚になるまでには、まだまだ時間のかかりそうな二葉には時期尚早だったようで、
すぐにお返しするありさまだった。

以前マスターが写真を見せてくれたのだが、枝先に群生する、
成熟前の潤んだように真っ赤なコーヒーの新実が、その苦さの正体だった。

曰く、深いコクとくせのない、すっきりとした飲み心地ということだったが、
まったく二葉には通じない講釈であった。

とはいえ、その新実の恵みに感謝をしながら、心底堪能する彼の表情を見れば、
マスターも淹れ甲斐があるというものである。

その日も、欅の一枚板でつくられた年季の入ったテーブルの上には、
すでに何杯目かになるであろうピーベリーが置かれていた。

二葉は、定位置に戻ったマスターに、いつもの笑顔でカフェラテを注文した。

「やあ、二葉さん。ごきげんよう」

「ごきげんよう、苗雅さん」

街にはすっかり白色のイルミネーションが溢れだし、
一年の終わりがカウントダウンに入った頃だったが、
そのやりとりは相変わらずのものだった。

「確かこの時間は、講義が入っていらっしゃいませんでしたか?」

「はい。けれど今日は先生のご都合で、休講になっていました」

いつもなら、夕闇とともに終了となる四時限目の講義。
それも年内最後になるはずだった講義が、休講となったという予期せぬサプライズは、
二葉の声を弾ませた。

「そうでしたか。それで、なんだか愉快そうな面持ちなのですね」

「お分かりになりますか?」

『本日貸切』の効力で、いつも遠くに近くに熱視線を送り続ける、
苗雅親衛隊がいなかったことが、一段と彼女を陽気にさせた。

「ええ。それはもう、この上なく浮き立っているようにお見受けします」

他の人であれば、その変化に気づくことはないだろうが、
わずかに和らいだ彼の目元を判別できるようになっていた二葉は、
その優しい眉目に触れられたことで、最上級の相貌に変わった。

「もう、クリスマスなのですね」

「そうですね。すっかり今年も、年の瀬が近づいて参りました」

窓の外の空気が、乾いた冬色に変わっていることを確かめるように、苗雅は応えた。

「論文の出来栄えは、いかがですか?」

「ぼちぼちというところでしょうか。同行の西住であれば、実像西行を誰よりも理解していた、
という仮定には絶対の自信があるのですが、やはりそれを徴証するのは簡単ではありませんでしたね。
あなたの『声』という新説の立証難易度と同様です」

「世の儚さという無常観と、愛の永遠という恋愛観の矛盾ですよね」

「そうです。この背理性を、西行はこういう関係性で捉えていたはずです」

年明け直後の提出を前に、すでに綺麗に製本されている論文のさわりを、
苗雅は穏やかに語る。

「諸行は無常だが、愛だけは、少なくとも己の愛だけは、そうではないと思っていたか。
否、愛以外が無常という例外的なものではないことは分かっていたはずです。
だからこそ西行は、待賢門院への愛に執着したのです。
なぜなら、仮に愛のみが永遠であって、無常ならざるものだと考えていれば、
執着する必要もなかったはずですから。しかし、執着した。
それほどまでに厭わしき無常の憂き世において、
可能な限り、永遠であり続けてほしいと願ったからこその執着なのです」

「永遠という概念の一義性の難しさですね」

「そうですね。『愛は永遠であるが、永遠でない』それはつまり、
矛盾解消の手段として一元的に白黒つけるということではなく、
あたかも『そうあってほしい』と言わんばかりの中間思想です。苦楽中道です。
相克しているものが同時に存在していても良いのであって、
同時に存在しているからこその背理性に悩み、不安定なものとなるのが人生であり、
死によってそれが清算されるという思想の持ち主だったのです」

「永遠の一瞬。無限の永遠と有限の一瞬の同化という感じですね」

「うまいことを仰いますね。言い得て妙だと思います。それは、時間という概念に帰結しますね」

「時間――とっても不思議なものですよね。アウグスティヌスにおける時間の内化を知らなくても、
時間の伸縮というものは、誰にでも経験のあることですからね。
その実感としても、今年の私の時間の流れは、これまでとはまったく違うものでした」

時間の流れと同様に、今のこの会話の流れもまったく自然なもので、
何の策謀も不安もなく、次の展開へと流れていくことを感じながら、
二葉は続けた。

「それで分かったことは、苗雅さんと私の間で流れる時間は、とても速い流れだということです。
たとえば、こうしてこのお店で一緒にいる時間は、信じられないくらいに速く過ぎていきます。
二つの講義を受けるのと同じはずの三時間が、それこそ一瞬にさえ思えるくらい、あっという間に流れます。
それはきっと標準時間の流れであれば、本来はとてもゆっくり二人の間でシンクロしていくはずのものが、
光速でつながっていくからだと思うのです。
けれど、空間は標準時間のままに進んでいくから、見える風景は光速で流れてはいかない。
むしろ、スローモーションに思えるくらい鮮明に見えるような気がします。
苗雅さんと私の間のオリジナルな時の流れです」

「ずいぶんとロマンティックなことを仰いますね」

再び苗雅は、わずかに優しく目を細めた。

「なんだか、ロマンティストな寂念さんに、あてられてしまったのかもしれません」

クリスマス・イブの前日だった昨日、生まれて初めての彼女ができた、幸せ絶頂の寂念のノロケ話を、
今と同じ席でしこたま聞かされていた二葉は、まんざらでもないといった笑顔で続ける。

「この瞬間のお互いのつながりが、今という現在を積み重ねていって、
振り返った時に、現在進行形で続いている過去になっていれば良いなと思います。
その時間、その日が切り取られるのではなくて、いつもいつも大切な時だと思っているということ、
それが現在進行形で続いている過去になる連続で、
当たり前と錯覚せずに、あたりまえと思える奇跡の連なりということを忘れないでいられたら、
それはなんて素敵なことなのだろうと思います」

一見難解な話をさらりと理解して、苗雅は緩めた目元を彼女に注いで頷いた。

「でもその一方で、一緒に重ねた過去の長さはなくとも、
離れていても同じ想いを抱きながら、同じ時間の流れで現在を重ねた二人の方が、
実は長さではない、重さというものを手に入れることができるのかもしれないとも思えます」

「西行と待賢門院ですね?」

「はい。あの二人は、長さという物差しでは測れない、重さというものを持っていたと思います。
そして、その重さゆえに、身動きが取れない苦しさも与えられてしまった」

「確かに、そうかもしれませんね」

苗雅は、残り少なくなっていたコーヒーを静かに飲み干してからそう言うと、
ギアを入れ直したかのように、自分の想いを口にし始めた。
(つづく)
ジャンル:
小説
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