はな to つき

花鳥風月

世界旅行の世界(33)

2019-09-12 22:06:11 | 【世界旅行の世界】
「ねえ先生、お腹空かない?」
「そうだね、すっかり話に夢中になっていたね」
「うん、夢中になってお話していたら、ずいぶん山を登って来てた」
「本当だ。さっきまでの街が、もうあんなに小さくなっているね」

 ふたりのお腹が空くのも無理はありません。
 振り返ることもせずに、前だけを向いて歩いていたふたり。
 足元の緑、少し先の山、突き抜ける青空、そこに浮かぶ同じ形の雲たち。
 わずかに視界を上に向けて、ちょっとした登山を楽しんでいたようです。

「なんだか、不思議」
「不思議?何がだい?」

 女の子は、言葉の命の話から、ほんの少し寄り道をするようです。

「風景の見え方の違いが、不思議だなって思ったの」
「風景の見え方の違い?」
「うん」
「それは、どういう違いのこと?」
「あのね、今、先生と私は、とても真剣にお話をしながら歩いていたでしょう?」
「そうだね、とても集中していたね」
「けれど、そんなに集中していたのに、私にはそのときに見えていた風景が、すごく鮮明に残っているの」
「そういえば、わたしも、そうだった。緑と青と白の風景がくっきり焼きついている」
「でも、たとえば、私がバイオリンのレッスンに行くときに乗っている電車からの風景は、まったくと言っていいほど、残らない。それは、電車のなかからただ流れて行く、窓の外ということだけ。早く目的地に着かないかなと思っているときの電車の外。たしかに目には入っているのだけれど、ただ通り過ぎて行くものたち」
「ああ、それはよく分かる。わたしも学校へ行く途中の風景なんかは、まったく焼きつかないからね」
「でも、それは速度の違いではないと思うの」
「そうだね、速度には比例しないだろうね、きっと」
「無意識のうちに、判断しているものだと思うの」
「同感。電車と登山では速度は違うけれど、わたしが大学まで歩くときは、今と同じくらいの速度だろうからね」
「きっと、自分にとって、何を残しておきたいのかということを、脳が選択しているのだと思うの」
「そうだね、そうやって判断をしているのだろうね」

 選択、判断、どこか言葉の命のお話にも通じている流れかもしれません。
 無意識の寄り道が、実は本筋にシンクロしているという不思議かもしれません。

「あ、先生、山小屋だよ?」
「おお、まさしく砂漠にオアシス、アルプスに山小屋だ」
「なあに、それ?ちょっと、変」
「たしかに、ちょっと変だったね」

 ふたりは、ケラケラ笑います。
 空腹のふたりには、うってつけの小さなレストラン。
 ハイジの村にぴったりの山小屋レストラン。
 浮き立つような心と足は、笑うように弾みます。

「ハイジと言えば?」
「チーズとパン」

 ふたりを待っていてくれたかのような山小屋で、女の子は即答します。
 もはや問答無用のやりとりかもしれません。
 丸太の太さも、屋根瓦の枚数も、まったく同じに思える山小屋です。
 クララが立ち上がる瞬間に立ち会えそうな山小屋です。

「ドイツ語だけでなく、英語表記もあるから助かるね」
「よかったね、先生」
「いやあ、助かった」
「私は、チーズね。先生も食べるでしょう?」
「ここに来て、それを食べずに帰ったら、末代までの恥だね」
「大げさだなあ、先生は。時代劇の話をしたから、ちょっと時代がかってない?」
「あはは。たしかに、時代がかっていたかもね」
「ふふふ。おかしな先生」

 女の子と先生が、口を揃えて頼んだものは、ラクレット。
 半円状の大きなチーズを火で炙り、とろとろに溶けたものが皮つきポテトに乗っかります。
 すべてのテーブルで食べられている、大きなおおきなソーセージも忘れません。
 スティック状に切ったポテトを円盤形に焼いた、ロシティという料理に乗っかります。
 それと、今の時代の人の口に合わせた硬さの黒パンです。
 それはそれは、シンプルな食事です。
 けれど、この風景にとっては、それだけで十分な料理です。

(つづく)

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