ブログはなやさい

福岡 桜坂 CAFE&DINER はなやさい
店主 大山博嗣のブログ 

… 本と映画と音楽と酒

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季節労働者

2013年08月04日 16時59分15秒 | Weblog
  1

「懐かしいね」


同い年の友人が言った

ブライアン・セッツアーのCD、

『刃のジャスティス』を流していたときのことだ


ストレイキャッツ解散後のソロアルバムで

ロカビリースタイルだったストレイキャッツに対し、

ソロは少しだけポップになっている


80年代中頃の作品だろうか


このアルバムは、私ら世代にとってはいわゆる『懐メロ』なのだが

私個人にとっては、

若き日の思い出と相まって、特別な輝きを持っている




25年ほど前になる

大学1年生の春休みのことだ

そのころは一人で暮らしていた

いくつか挑んだアルバイトがどれも全く長続きせず、

暮らす金はなんとかなるが、遊ぶ金がないといった、

そんな身動きの取れない春休みを過ごしていた


金はないが時間はある

そんな人間が近所にもう一人いた

そして、そいつの家にはいつももう一人、同じような奴がいた


とにかくバイトしなければならない、

3人の考えは一致していた

だが、神妙にアルバイトニュースを読んでも

一向に身が入らない

すぐにだらだらとビデオ観たり本を読んだりしてしまう

そうこうするうちに腹が減る

金がないから米を炊く

そんな感じでその日その日をクリアしていった


ある日のことだ

当時のアルバイトニュースによく掲載されていた、

季節労働者募集の記事が目に入った

自動車工場のようだ

愛知や神奈川の工場だった気がする


『行くか?』

『行こう。』


なぜか全くためらいがなかった

簡単に決まった


早速福岡にある連絡事務所に行った

大した話もしないまま、

『明日にでも名古屋に行ってくれ』

と言われた

何の疑問も持たず、私ら3人は二つ返事で承諾した


そしてここから

およそ2カ月の出稼ぎ旅行が始まった


  2 


なぜそうしたのか憶えてないが

名古屋までは車で行った

3人のうちの一人が車を持っていたのだ

たぶん交通費を浮かせるためだったと思う

だが、実際浮いたかどうかは憶えてない


当時私ともう一人は車の免許を持っていなかった

だから福岡から名古屋までは

一人が運転したことになる

車で行くには少し遠すぎた

何度か死にそうになった


急に名古屋行きが決まったので

ほとんど何も準備しなかった

着替えもろくに持っていかず、

本も名曲が入ったテープも

ほとんど何も持っていかなかった


だがなぜか車の中には、

ブライアン・セッツアーの『刃のジャスティス』があった

確か私のテープだ

よく彼の車に乗っていたので置きっぱなしだったのだろう


他に手ごろなテープもないんで

福岡から名古屋までの道中、そしてその後も

このテープばかり聴いた


だからこの曲を聴くとこの頃を思い出すし

この頃を思い出すとこの曲が頭を巡る


夕方福岡を出て何度ブライアン・セッツアーを聴いたことだろう

ようやく朝方、名古屋に着いた


  
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面食らった

名古屋が大都会だったからだ


そして腹が減った


『ドラゴン』だか『ドラゴンズ』だか忘れたが

名古屋らしい店名の昔ながらの純喫茶が目に入った

モーニングもあるらしい

密室間バリバリの不健康そうな店だったが

思い切って入って正解だった

ボリューム満点のモーニングだったからだ

幸先いいと思った


因みにこのボリュームが名古屋名物だと知ったのは

その後何年も経ってからだ


名古屋の事務所に着いた

するとすぐさま『岐阜に行け』と言われた

岐阜にある、三菱系の工場が職場らしい

事務所のスタッフが一人私らの車に同乗し、

ただちに岐阜へ向かった


助手席に坐したこの胡散臭いスタッフは

渋滞になると運転席側に手を伸ばし

勝手にクラクションを鳴らしあたりに悪態をつく

この辺で妙だぞ、と思いだした


人種が違う


車の中では相変わらずブライアン・セッツアーが歌っている

そろそろ不安が顔を出してきた


  
  4



岐阜に来た

職場となる『東洋工機』に着いた

大変立派な工場だ

三菱の下請け工場で、15分に1台のスピードでパジェロを作っている

すさまじいと思った

受け入れ先の事務方との簡単な面談の後、

『明日から来い』ということになった


明日からパジェロのラインで一日中、

単純作業をこなすわけだ


この辺でようやくわかった


私らはある胡散臭い派遣会社に雇われ、

『東洋工機』という立派な会社に送り込まれたわけだ


大学生が春休みを利用して2カ月ほどアルバイトする、というのは

私らと派遣会社との間だけの話で

受け入れ先は知らない、

というか言ってはならない


私らは長期労働者としてここに配属され、

2ヶ月後に夜逃げするというシナリオになっているそうだ


なんともいかがわしい


だが、異を唱えようとも後の祭だった

もう従うしかなかった


そんななか、一つだけ異を唱えた

パジェロラインは一日中稼働しており、

朝晩の2交代制となっている

配置の関係上、私ら3人は2人と1人にチームが分けられることになっていた

これはいけないと思った

1人は2ヶ月間ずっと1人のままになってしまう

3人一緒の職場にしてくれ、子供じみた主張だったが、

意外なことに派遣会社は応じてくれた


私ら3人はパジェロラインを外れ、

ジープラインに回された


今はもう製造されていない、

かの有名な『三菱のジープ』である



  5



15分に1台のパジェロと違い、

ジープは1日に3~4台のラインだった

大きなプラモデルを作っている感じだ

5つほどある工程の内で、

私は第2工程であるコクピット内の作業を担当した


最初のうちは年配の作業員とふたりで作業したが

ほどなく一人で作業することになった

つまり、この工程を19歳の素人が担当するわけである

マニュアルを読み、質問を重ねながら何とかこなす日々

仕事するうえで、素人っていうのは通用しない

ミスがあれば班長に厳しく注意される

もちろん、ミスがなければ褒めてくれる

ものすごい充実感だった

多分この時はじめて、働く喜びを知ったと思う


仕事の充実感とは裏腹に

生活面はひどいものだった

私らがあてがわれた宿舎は、廃校となった古い小学校だった

トイレも水洗ではない

もちろんこの宿舎は『東洋工機』という立派な会社が用意したものではない

あの胡散臭い派遣会社が用意している

教室後を部屋に改装して1部屋に3~4人が暮らしていた

だが、私ら3人があてがわれた部屋は意外にも宿直室だった

相部屋ではないという

3人で寝泊まりしてよいとのことだった

不幸中の幸いだった

他の部屋よりいくらか居心地がよく思われたし、

それに見知らぬ人との相部屋は遠慮したかった

友人3人で暮らすのも合宿みたいで楽しそうだ

だが、これが後でやっかいなことになる



  6




部屋にはテレビもラジオもなかった

寒々とした中に布団とコタツがあるだけだった

これじゃあんまりだと派遣会社に抗議すると、

ほとんど映らない14型のテレビを持ってきた

こんなテレビでも、あの時はありがたかった


食事と風呂は工場内で済ます

季節労働者の集う食堂は荒んでいた

腹いっぱいになってもどこか満たされなかった

風呂も同じだった

きれいになったはずだが

リフレッシュできなかった


そんな劣悪な環境に我慢できない人間がいた

私らと同じ日に配属された同世代の男性だ


『逃げないか』と言ってきた


名古屋に行けば、いい条件でパチンコ屋で働けるそうだ

私らのうちの1人は少し揺れていたと思う

いついつの何時にどこそこで落ち合おう、

彼はそう言って自分の部屋にひっそり戻って行った


結局私達は誰も行かなかった

だが、彼は行ったようだった

胡散臭い派遣会社の人間が彼を知らないか?と尋ねてきた

知らない、と答えた

そしてその次の日ぐらいだったと思う

別の季節労働者と話をしていると

彼が見つかったらしい、と聞かされた

この職場はいなくなったら追いかけるのかと

少し怖くなった

だが追いかけたのには理由があった

逃げた彼は、相部屋の人間の財布を盗んでいたそうだ


どういう方法で彼を見つけたのか

警察沙汰になったのかは知らないが、

もし彼と行動を共にしていたらマズイことになっていた




  7




日々同じ部屋で男3人暮らしていると

さまざまな軋轢が生じてくる

育ちが違うのだから仕方ない

些細なことでケンカになる

ケンカしても同じ部屋で過ごさなきゃならない

空気が段々悪くなる

三つ巴のケンカはあまりないので

ケンカに参加していない1人の居場所が微妙になる

面倒くさくなる


そのうち事情があって

3人のうちの1人が車と一緒に一時帰省することになった

これがよかった

3人が2人になるだけで随分風通しが良くなった


帰省した1人もいくらかリフレッシュして帰ってきた

車は地元に置いてきたという

それもいいと思った

ずっとドライバーをするのも大変だと思う

以前の殺伐とした感じがなくなっていた



共同生活の難しさはこの時知った




  8




そんなこんなで勤務最終日となった

決算前の棚卸でこの日は遅くまで残業となった

ビス一本まで数えなければならない

三菱自動車本体の面々も来ている

血相を変えて辺りに指示を出している


私ら3人のうちの1人が何かミスをしたようだ

やつの周りに人だかりができている

何かを数え間違ったか

しばらくして騒ぎは収まったが

最後の最後になにやってんだ、と苦い気分になった


ようやく終わった

静まり返った工場の片隅で

私ら3人達成感をかみしめた


そして『愛と青春の旅立ち』のように3人で作業帽を夜空に向けて放り投げた

と、その直後

班長が現れた

班長は上司というより兄貴に近い

何を喜んでんだ?

しどろもどろで返答し、いそいそとその場を去った


その後3人のうちの1人が

『班長には事実を言うべきだ』と主張してきた

私もそうしたかったが

やはりやめた

私らがスッキリするだけで

関係者たちを嫌な気分にするだけだ


だから私らは派遣会社のシナリオ通り、

夜逃げすることにした




  9




福岡への帰路は汽車だった

『青春18きっぷ』だ

快速を含む普通電車が乗り放題

最初はワクワクだったが

しだいに苦痛になってきた

本州の長さを思い知らされた



始発に乗って最終で着いたような感覚だった

自宅を懐かしむ間もなく泥のように寝た




稼いだ金で何を買おうか

岐阜で過ごした日々の後半はそればかり考えていた気がする


バイクのタイヤ、CDプレイヤー、服…


だが、いくら稼いだかも覚えてないし

何に使ったかも覚えてない


ただ、過ごした日々がいまだ鮮明に記憶に残っているだけだ


それはすごく素晴らしいことだと思っている


10  エピローグ

福岡へ帰ってしばらくして

私らは大学2年生になった


久しぶりに会う仲間や先輩が

元気だったかと声をかけてくれる


彼らの私を見る目が少し変わった気がした

彼らだけではない

私が出稼ぎ旅行に行ったことを知らない面々もだ


一皮むけた、ということだろうか


この経験がもたらしたものは

予想以上に大きなものだったのかもしれない


ちょっとした自信になった

だからその頃は、少し胸を張って歩いていた気がする




進級に伴い、新しい学生証を作ることになった

出来上がった新しい学生証に載っている、

自分の顔写真を見て

なるほどそういうことか、と思った

皆の私を見る目が変わった理由がわかった


少しずつの変化だから自分自身気が付かなかった

私以外の2人もそのようだった

2ヶ月間のストレスだろう






まゆ毛が、なくなってた



               (終わり)








以前、脳に関する本を読んだことがある

その本には記憶のシステムについてある説が書かれていた


記憶というものは、

脳のどこかにメモリーされるものではなく

その時々に『つくられる』ものだ、という説だ


本当かどうかは知らない

しかし、記憶と現実のギャップは間違いなくあるし、

長い年月を経て、その記憶に何らかのバイアスがかかることは容易に理解できる


そういう意味では、

この『季節労働者』のベースにある25年前の記憶は

私にとって都合のいい記憶に変換されている部分があるかもしれない

誰かに指摘されることはないとは思うが

念のためことわりをいれておく


                   大山博嗣
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