~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
第三 大なる章
12、二種の観察
「修行僧たちよ。
『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、
すべて起動に縁(よ)って起こるのである』というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら諸々の起動が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』
というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している
修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世のおける〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらにまた次のように説かれた。
744、およそ苦しみが起こるのは、
すべて起動を縁として起こる。諸々の起動が消滅するならば、
苦しみの生ずることもない。
745、「苦しみは起動の縁から起こる」と、この禍を知って、
一切の起動を捨て去って、起動のないことにおいて解脱し、
746、生存に対する妄執を断ち、心の静まった修行僧は、
生を繰り返す輪廻を超える。
かれはもはや生存を受けることがない。
~ 感謝・合掌 ~