現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

かつて奇跡のような国があったらしい。

2017-09-18 18:38:31 | 日記

私の親父は軍人だった。四年間中国へ行っていた。行っている間に中国語を覚えちゃって通訳みたいなことをしていた。よって前線に立ったことはなかったらしい。「俺のは方言だったから標準語じゃなかったけど、現地では通じた」と言っていたことがある。

引き上げてきてからは田舎で百姓をしながら私たちを育てた。ときどき、中国語を話せる人と中国語で会話していた。

そのころ私は中学生で農作業を手伝ったし、田舎の学校には農繁休業があった。一休みの時間に、よく話をしてくれた。

なぁ。たった十二年間だったけど素晴らしい国があった。満州というけど、その間に毎年百万人くらいずつ増えて、終戦の頃は四千万人規模になっていたらしい。「らしい」というのは親父は行ったのは満州ではない。中支那である。人づてに聞いたことを話したのだろう。東京を小さくしたような街並みだったともいっていたことがある。おそらく大連のことでしょう。この話は後日、片山さんの「遠い想い出(あるはぐれ兵士の手記)」でも確認できます。片山さんは満州で兵隊であるにも関わらず、自らの特技を生かしてシベリア抑留を免れて帰国するプロセスを手記にしたものであるが、満州の人口までは記載していません。逃亡の身であり生き抜くことに精いっぱいだったのでしょう。

それに無尽の仲間さんにはかなり年をしていて満鉄に勤めていた人がいました。その人も親父に似たことを言っていたことがある。「あのまま満州が残っていたらとんでもない国になっていたかもしれない」と、・・・。

たらとレバーはこのくらいにしておきましょう。何しろ親父も、片山さんも、満鉄に努めていた人もすでに鬼籍の住人になっちゃっていますので、・・・。

 

 

 



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