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北朝鮮の情報力、組織力を過大評価しすぎると物事を見誤る by 蓮池薫

2018年11月26日 | 社会のニュースを考える

下記に転載した福井新聞に掲載された蓮池薫さんのインタビュー記事を、興味深く読んだ。
拉致されてから帰国するまでの24年間を北朝鮮に拘束されて過ごした。
国家として、あってはならないことをした北朝鮮には、憤りしかない。

しかし記事中の蓮池薫さんの「北朝鮮の情報力、組織力を過大評価しすぎると物事を見誤る」という言葉には、ある意味、我が意を得たりという思いだったので。


   


「たばこの火を貸して」正体は工作員 蓮池薫さん拉致40年、重い証言
福井新聞 2018年11月25日

 1978年7月31日。福井県小浜市の地村保志さん、富貴恵さん=ともに当時(23)=が北朝鮮の工作員に拉致されてから24日後、新潟県柏崎市の海岸で蓮池薫さん=当時(20)、祐木子さん=当時(22)=が拉致された。40年の歳月を経て、薫さんが福井新聞のインタビューに応じた。証言を基に、事件の真相に迫る。

 夕方、薫さんと祐木子さんが砂浜を歩いていると、右後方から男3、4人がついてきているような気がした。そのまま200メートルほど進み、腰を下ろした。今度は左側からスーツ姿のような男が1人近づいてきた。「たばこの火を貸してください」。流ちょうな日本語だった。ライターを差し出そうとした瞬間、忍び寄ってきた複数の男に殴られ物陰で押さえ込まれた。高校生らしき若者が近づいてきたようだったが、工作員に追い払われた。日が暮れてボートに乗せられた。

 蓮池さんや地村さんは日本側の協力者にマークされ拉致された―との警察関係者の指摘がある。しかし「私は彼女と海に行くことを誰にも言っていない。デートの流れで『じゃあ海でも行こうか』となった。(工作員が)若者を物色しているところに、われわれのことが目に入ったとしか考えられない。北朝鮮の情報力、組織力を過大評価しすぎると物事を見誤る」。地村さん夫妻も、たまたま現場に居合わせたために狙われたのだろうと語っている。

  ×  ×  ×

 北朝鮮では、指導員から「恋人は日本に返した」と言われた。おかしいと思ったが、どうしようもなかった。78年10月ごろから、保志さんと同じ建物で暮らし始めた。すぐにお互いのことを話した。当時の保志さんに対する印象は「精神的に強いなという感じ。お互いこうなった以上、しっかり生きていこうと支え合った」

 79年11月、保志さんは結婚。蓮池さんも80年5月に祐木子さんと結婚した。両夫妻は平壌から20キロほど離れた忠龍里(チュンリョンリ)招待所で暮らし始め、工作員に日本語を教えた。日本人同士の接触は許されてなかったが、薫さんと保志さんは指導員の目を盗んでは会い、近況を報告し合った。

  ×  ×  ×

 86年、両夫妻は太陽里(テヤンリ)招待所に移った。ここで薫さんと保志さんは仕事の傍ら、一緒に畑で汗を流した。「トウモロコシやジャガイモ、マメなどを作った。収穫物は2軒で分配した。お互い病気になったら『きょうは俺が(農作業を)やるから大丈夫』と言って助け合った」

 北朝鮮で出会った数少ない日本人というだけでなく、子育てなど同じ悩みを持つ仲間だった。「地村さん夫妻の存在はとても大きかった。いろいろなことを相談した。4人だからこそ(拉致から帰国までの)24年間耐えてこられた」と感謝を口にする。

 「特に富貴恵さんの明るさには助けられた。私の家内もそうだが女性は強い。状況に動じないから」とも。子どもが生まれてからは、祐木子さんは、子どもが栄養失調にならないようにご飯を食べさせたり、ちゃんとした服を着させたりと、とにかく今を生きた。「そんな姿を見ていると、先のことで悩んだってしょうがねえやって思えてきた」。一瞬一瞬を乗り越えていこうと、気持ちを奮い立たせた。

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北が嘘とハリボテの国家であることは、ちょっと考えればすぐわかる。自前では自動車も作れない国である。
必要以上に恐れることは、彼の国の手の内に入ったとも言えないだろうか。

日本では国民の福祉や社会保障など、本来、国がやるべきことをせずに、莫大な兵器ローンなど未来にツケを負わせるようなことばかり巨額の税金を使っているが、恐れるあまり、真実を見誤っていないだろうか。
蓮池さんの「北朝鮮の情報力、組織力を過大評価しすぎると物事を見誤る」という言葉は重い。


あと、言い方に語弊があるかもしれないけれど、蓮池さん夫妻と地村さん夫妻が助け合って乗り越えてこれたこと、カップル同士で拉致されたことは不幸中の幸いだったのかもしれない。

以下、余談ですが、蓮池さんたち拉致被害者の人生はつらいものだったと思いますが、誰しもがそれぞれの人生の試練に立ち向かって、苦しんだり喜んだり笑ったり泣いたりしながら、今、同じ時代に、生きているということを思います。
拉致された人、戻ってこれた人、待ち続けている人、それ以外の人たちも、いいことも悪いことも含めて、誰にとってもかけがえのない大切な今生の経験なのだ、と最近は特にそんな視点から強く思うことが多くなりました。
だからこそ、自分の人生を大切に思うように他の人の人生も、大切にしなくてはならない、勝手に奪ったり傷つけちゃいけない、と思うものです。




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