読売新聞を読んでいて、「偽善エコロジー」という本の中で、著者の武田邦彦・中部大教授が「レジ袋追放」を槍玉に挙げているということが書かれていた。
その主張によれば、レジ袋は石油成分のうちもともと使い道のなかった成分を有効活用して作るようになったものであり、減らした分だけ石油の消費が減るわけではない。一方で新たに買い物袋やゴミ袋が必要になり、石油消費はむしろ増えるおそれがある・・・ということだ。
私は、すでに15年以上、エコバックの愛用者であるがこのような話は、公に初めて聞いた。もしこれが事実であるなら、エコバッグは、別に石油資源節約にはなっていなかった、ということである。あらあら。
しかも、取材者は、この意見を環境省のリサイクル推進室の西村淳室長に向けるのだが、そのことに関して、明確な肯定も否定もせず、
「我々は、施策の普及ばかりに目を向けて、それが具体的にどう役立つかをきちんと説明してこなかった。その辺をつかれているという認識は持っています」
「反省すべきは反省し、今後は施策の効果に関するデータを可能な限り明らかにしていきたい」
というコメントである。う~ん、環境省もよくわからないってこと?
7月10追記:この件に関して、当記事の最後にある、「追記」をご覧ください。
ペットボトルのリサイクルなどは、私も疑問に思っていたし、「地球に優しい」ってコピーをつければ何でもエコにみえるって言う企業のごまかしもあるというのは、よくわかる。近頃急速に進むバイオ燃料による、穀物の高騰、食糧危機。これらは、方向性が間違っていると思う。

しかしながら、日々生活者として暮らしている私には、この武田教授の言っている「レジ袋を減らしても石油消費は、変わらない」ということが、たとえ事実であったとしても、彼の意見=「エコバックは偽善、レジ袋追放に意味なし」と簡単に切り捨てることには強い違和感を覚える。
もともと私が、エコバッグを使い出したのは、別に石油消費を押さえるためじゃなかったからだ。
毎日の買い物でたまるレジ袋は、ゴミ袋として再利用したとしても使い切れないほどたまってゆく。それがちょっと怖かったからだ。我が家のレジ袋でさえ、すぐ山のようになるのに、全国の家庭でこんなふうにたまっていったら、日本はレジ袋で埋まっちゃうよ・・・という、単純な危惧からだ。事実、日本中どこに行ってもポイ捨てされたレジ袋がいたるところに落ちている。
中学生のころ読んだ星新一の「おーい でてこーい」というSFショートショートが、頭をかすめた。
また、ごみを入れたレジ袋は、さらに大きな自治体のごみ袋にいれて、回収に出す。
この点において、まず教授の言う、「レジ袋がなくなれば、新たなゴミ袋が必要で石油消費が増える説」は非現実的だ。
レジ袋があろうがなかろうが、自治体のルールにのっとったゴミ袋は必要だからだ。自治体の定めたゴミ袋というのは、ごみの回収現場でスムーズに回収作業が行われるための現実的な選択だと思う。(一人暮らしで外食が多い人なら、レジ袋ひとつで、ごみ出しもすむかもしれないけど、一般家庭ではそんなわけには行かない。)
そして教授の言う、「レジ袋がなくなれば、新たな買い物袋が必要になり石油消費が増える説」も疑問だ。使い捨てでない買い物袋を新たに10枚も20枚も買う人がいるだろうか。わざわざ買わずとも、トートバッグの一つ二つは、どこの家にもありそうだし、もしなくても、前回もらったレジ袋を破けるまで何度も使えばよいのだから。
レジ袋なんて、長い日本の歴史の中で、戦後の高度経済成長の時代に出てきた代物であって、私が子供のころは、主婦はみんな買い物籠を下げて、買い物に行ったものだ。
使い捨てのレジ袋は当然愛着なんかないから、ためらいなくすぐに捨てる。
しかし、自分の気に入った買い物袋を使い続ければ、たった一つですむ。「ものを大切にする」という、日本人が長いこと忘れていた美徳も思い出させてくれる。
しかも、さらに恐ろしいのは、生分解性のレジ袋(これは土に還るらしいが、そんなに普及してない)以外のレジ袋は、土に埋めても水に流してもなくならない、溶けない。
無造作に捨てられたレジ袋が、風に飛ばされ、川に流れ、海を漂流する。死んだウミガメの腹の中から、クラゲと間違えて食べただろうレジ袋が大量に出てきている。鳥居前町の鹿も、人の身近にいるゆえに同様の被害にあっている。
燃やすのが一番だというけど、燃やすところまで行かずポイ捨てされるレジ袋のなんと多いことか。レジ袋を燃やせっていうなら、わざわざレジ袋なんか作らず゛、そのまま燃料として燃やした方が、エネルギー効率も良いし、少なくともウミガメや鹿の不幸は消える。

ウミガメは、好物のくらげと間違えて海を漂うレジ袋を食べてしまう
Photo by (c)Tomo.Yun
私が、エコバッグを使い出したころは、今のような時代じゃなかったから、はっきり言ってレジ袋を断るのは、勇気がいった。
レジの人に怪訝な顔をされたりもした。人と違うことをしようとすると、世間というのは、ちょっと変な目で見るのである。「エコバッグなんて偽善者っぽい」教授に言われなくても、言葉にならない目線で何度も言われておりますよ。
だからこそわかるけど、いくらレジ袋減らそうって言ったって、いくら他にもエコバッグ持ってる人を見かけるようになったからって、有料化した地域以外は、スーパーでレジ袋を断る人なんか全体のせいぜい2割もいたらかなり多いくらいのものだ。
それに、私だって買い物袋に入らないくらい荷物が多くなれば、レジ袋もらうし、うっかり買い物袋忘れちゃう日だってあるし、いつも近くのコンビニでおやつを買っている認知症の父にマイバッグ持っていってね、なんていうとややこしくなるだけだから言わないし・・・・
だから、本当の意味でのレジ袋削減なんて、有料化される以外はできやしませんと、私は思ってしまうのだ。武田教授も心配ご無用。
だからといって、武田教授の言うように、ずっと使い捨てレジ袋を使い続けてゆく選択で本当にいいのか?
武田教授の言われるのは、「レジ袋を使い続けたところで、石油の消費が減るわけではない」という一点のみ、野生動物の保護やごみ問題の視点が完全に抜けている。
結論として、レジ袋に関して私が思っていることは以下の通り。
1.自然界においては、レジ袋は迷惑な存在なのだから、ないにこしたことはない。
2.資源は限りなくあるものではないということとごみの処理能力において、使い捨てを是とする時代は、もはや行きづまっている。
世界は多重の織物のように、重なり合ってつながっている。
あらゆる角度から、あらゆる立場から、物事を多面的にとらえ、どういう着地点がみんな(地球上の全ての生命)が幸福になるのか考え選択する、今は、まさにそういう分岐点に来ているのではないだろうか。
レジ袋は、戦後の日本人・老若男女すべてが、身につけてしまった使い捨て文化の象徴でもある。
幸い、時代の流れはレジ袋削減に向いてきた。これから人類にとってより良い生き方はこっちなんだと、方向転換するきっかけにもなればいいと私は願っている。
(でもね、身についた習慣を変えるって大変だし、特に大人になった男性にとっては、ハードルが高いみたい。いちいちエコバッグ持ち歩くなんて、面倒くさいでしょう。そういう意味でも、特に男性にとってこの教授のお説は、歓迎されたのかなと思うのだ。)
7月10日追記 です
レジ袋は、石油の捨てる部分で作られたのでは・・・なかった!
ということは、やはり、レジ袋削減は、石油資源消費削減になっている、いうことである。
レジ袋に使われる石油の種類
その他、当記事のコメント欄にあるURLご参照ください。
その主張によれば、レジ袋は石油成分のうちもともと使い道のなかった成分を有効活用して作るようになったものであり、減らした分だけ石油の消費が減るわけではない。一方で新たに買い物袋やゴミ袋が必要になり、石油消費はむしろ増えるおそれがある・・・ということだ。
私は、すでに15年以上、エコバックの愛用者であるがこのような話は、公に初めて聞いた。もしこれが事実であるなら、エコバッグは、別に石油資源節約にはなっていなかった、ということである。あらあら。
しかも、取材者は、この意見を環境省のリサイクル推進室の西村淳室長に向けるのだが、そのことに関して、明確な肯定も否定もせず、
「我々は、施策の普及ばかりに目を向けて、それが具体的にどう役立つかをきちんと説明してこなかった。その辺をつかれているという認識は持っています」
「反省すべきは反省し、今後は施策の効果に関するデータを可能な限り明らかにしていきたい」
というコメントである。う~ん、環境省もよくわからないってこと?
7月10追記:この件に関して、当記事の最後にある、「追記」をご覧ください。
ペットボトルのリサイクルなどは、私も疑問に思っていたし、「地球に優しい」ってコピーをつければ何でもエコにみえるって言う企業のごまかしもあるというのは、よくわかる。近頃急速に進むバイオ燃料による、穀物の高騰、食糧危機。これらは、方向性が間違っていると思う。

しかしながら、日々生活者として暮らしている私には、この武田教授の言っている「レジ袋を減らしても石油消費は、変わらない」ということが、たとえ事実であったとしても、彼の意見=「エコバックは偽善、レジ袋追放に意味なし」と簡単に切り捨てることには強い違和感を覚える。
もともと私が、エコバッグを使い出したのは、別に石油消費を押さえるためじゃなかったからだ。
毎日の買い物でたまるレジ袋は、ゴミ袋として再利用したとしても使い切れないほどたまってゆく。それがちょっと怖かったからだ。我が家のレジ袋でさえ、すぐ山のようになるのに、全国の家庭でこんなふうにたまっていったら、日本はレジ袋で埋まっちゃうよ・・・という、単純な危惧からだ。事実、日本中どこに行ってもポイ捨てされたレジ袋がいたるところに落ちている。
中学生のころ読んだ星新一の「おーい でてこーい」というSFショートショートが、頭をかすめた。
また、ごみを入れたレジ袋は、さらに大きな自治体のごみ袋にいれて、回収に出す。
この点において、まず教授の言う、「レジ袋がなくなれば、新たなゴミ袋が必要で石油消費が増える説」は非現実的だ。
レジ袋があろうがなかろうが、自治体のルールにのっとったゴミ袋は必要だからだ。自治体の定めたゴミ袋というのは、ごみの回収現場でスムーズに回収作業が行われるための現実的な選択だと思う。(一人暮らしで外食が多い人なら、レジ袋ひとつで、ごみ出しもすむかもしれないけど、一般家庭ではそんなわけには行かない。)
そして教授の言う、「レジ袋がなくなれば、新たな買い物袋が必要になり石油消費が増える説」も疑問だ。使い捨てでない買い物袋を新たに10枚も20枚も買う人がいるだろうか。わざわざ買わずとも、トートバッグの一つ二つは、どこの家にもありそうだし、もしなくても、前回もらったレジ袋を破けるまで何度も使えばよいのだから。
レジ袋なんて、長い日本の歴史の中で、戦後の高度経済成長の時代に出てきた代物であって、私が子供のころは、主婦はみんな買い物籠を下げて、買い物に行ったものだ。
使い捨てのレジ袋は当然愛着なんかないから、ためらいなくすぐに捨てる。
しかし、自分の気に入った買い物袋を使い続ければ、たった一つですむ。「ものを大切にする」という、日本人が長いこと忘れていた美徳も思い出させてくれる。
しかも、さらに恐ろしいのは、生分解性のレジ袋(これは土に還るらしいが、そんなに普及してない)以外のレジ袋は、土に埋めても水に流してもなくならない、溶けない。
無造作に捨てられたレジ袋が、風に飛ばされ、川に流れ、海を漂流する。死んだウミガメの腹の中から、クラゲと間違えて食べただろうレジ袋が大量に出てきている。鳥居前町の鹿も、人の身近にいるゆえに同様の被害にあっている。
燃やすのが一番だというけど、燃やすところまで行かずポイ捨てされるレジ袋のなんと多いことか。レジ袋を燃やせっていうなら、わざわざレジ袋なんか作らず゛、そのまま燃料として燃やした方が、エネルギー効率も良いし、少なくともウミガメや鹿の不幸は消える。

ウミガメは、好物のくらげと間違えて海を漂うレジ袋を食べてしまう
Photo by (c)Tomo.Yun
私が、エコバッグを使い出したころは、今のような時代じゃなかったから、はっきり言ってレジ袋を断るのは、勇気がいった。
レジの人に怪訝な顔をされたりもした。人と違うことをしようとすると、世間というのは、ちょっと変な目で見るのである。「エコバッグなんて偽善者っぽい」教授に言われなくても、言葉にならない目線で何度も言われておりますよ。

だからこそわかるけど、いくらレジ袋減らそうって言ったって、いくら他にもエコバッグ持ってる人を見かけるようになったからって、有料化した地域以外は、スーパーでレジ袋を断る人なんか全体のせいぜい2割もいたらかなり多いくらいのものだ。
それに、私だって買い物袋に入らないくらい荷物が多くなれば、レジ袋もらうし、うっかり買い物袋忘れちゃう日だってあるし、いつも近くのコンビニでおやつを買っている認知症の父にマイバッグ持っていってね、なんていうとややこしくなるだけだから言わないし・・・・
だから、本当の意味でのレジ袋削減なんて、有料化される以外はできやしませんと、私は思ってしまうのだ。武田教授も心配ご無用。
だからといって、武田教授の言うように、ずっと使い捨てレジ袋を使い続けてゆく選択で本当にいいのか?
武田教授の言われるのは、「レジ袋を使い続けたところで、石油の消費が減るわけではない」という一点のみ、野生動物の保護やごみ問題の視点が完全に抜けている。
結論として、レジ袋に関して私が思っていることは以下の通り。
1.自然界においては、レジ袋は迷惑な存在なのだから、ないにこしたことはない。
2.資源は限りなくあるものではないということとごみの処理能力において、使い捨てを是とする時代は、もはや行きづまっている。
世界は多重の織物のように、重なり合ってつながっている。
あらゆる角度から、あらゆる立場から、物事を多面的にとらえ、どういう着地点がみんな(地球上の全ての生命)が幸福になるのか考え選択する、今は、まさにそういう分岐点に来ているのではないだろうか。
レジ袋は、戦後の日本人・老若男女すべてが、身につけてしまった使い捨て文化の象徴でもある。
幸い、時代の流れはレジ袋削減に向いてきた。これから人類にとってより良い生き方はこっちなんだと、方向転換するきっかけにもなればいいと私は願っている。
(でもね、身についた習慣を変えるって大変だし、特に大人になった男性にとっては、ハードルが高いみたい。いちいちエコバッグ持ち歩くなんて、面倒くさいでしょう。そういう意味でも、特に男性にとってこの教授のお説は、歓迎されたのかなと思うのだ。)

レジ袋は、石油の捨てる部分で作られたのでは・・・なかった!
ということは、やはり、レジ袋削減は、石油資源消費削減になっている、いうことである。
レジ袋に使われる石油の種類
その他、当記事のコメント欄にあるURLご参照ください。
http://homepage2.nifty.com/koshi-net/other/kaihou/73-2.htm
http://www.cir.tohoku.ac.jp/~asuka/
http://www.rakkousha.co.jp/books/ka_02.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6
もう何から何までウソ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416150624
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3015591.html
石油のなかでもプラスチックなどを作るナフサから作られており、しかも
「ナフサは不要品ではなく石油化学原料として使われるようになり、今では国内で生産されるナフサでは不足して、海外からも大量に輸入されています」
ってことですね。
この教授の言ってる「割り箸は間伐材から作られている」っていうのは、私も嘘だとわかりました。
http://www.ways.co.jp/column/others/247.htm
この人は、ずいぶん中途半端な知識で、本を書いているようですね。納得しました。
ほれさん、情報ありがとうございました。
さっそく使わせてもらいますね。
おっしゃるとおり買い物袋を愛着を持って使われることはとてもいいことですね。
ただ、批判されている武田教授の本を読めば分かると思いますが、まさに武田教授が伝えたいことをあなたは実践されていると思いますよ。
愛用品を持つということが大切なことであり、その結果ごみが減るといいということを伝えていると思いますよ。
また、確かにレジ袋の原料は目的生産物ですが、ポリエステルなどの原料はより貴重なものでこれもナフサから作られており、簡単に環境への評価をできるものではないのではないでしょうか。
また、割り箸についても政府の過度の国内森林の利用規制が行われており非常に歪んだ状態であることも認識として持っていた方がよいと思いますよ。
実は、ある方のブログにこの件に関して、夕べ、コメントを残してまいりまして、その方とtoさんを同じ人だと勝手に勘違いしてしまいました。(滝汗)
下記は、その方のブログに残したコメントから、一部抜粋しながら、書き進めますね。
私は武田氏を誹謗中傷するつもりはないし、ただ本当のことが知りたかっただけなんですよ。
私が同氏の主張を知ったのは、新聞記事だったので、多くの人の目に触れると思ったのです。
せっかくマイバッグを持ちはじめた、それを読んだ方たちが、
「レジ袋削減は、石油消費削減にはならない=やる意味がない、ばかばかしい、今までどおりでいい」
というふうに思ってやめてしまうかも知れない、だから、
「ちょっとまって!」といいたいがために、あの記事を書きました。
>確かにレジ袋の原料は目的生産物ですが、ポリエステルなどの原料はより貴重なものでこれもナフサから作られており、簡単に環境への評価をできるものではないのではないでしょうか
夫(おじさん)のナイロンのバッグは、軽くてたたむと小さくなりしわにもならず、汚れも目立たず、気に入ってるのでもう10年も愛用しています。
破けたら、縫い直してます(笑)
私の最近の気に入りは、頂き物ですがポリエステルの軽くてたくさん入るバッグ、これは肩に食い込まない幅広のひもで、重いものでもすごく楽にもてます。レジ袋の比ではありません。
化学製品でも、長く使えば元も取れます。
古い傘の生地で、試作してみたこともあります。
素人なので、いまいちのできでしたが、傘のリサイクルとして、プロの縫製の方たちがその気になれば、いいものができるんじゃないかと思います。
現在、いろいろなバッグが出回っており、それが新たな商売だ、と武田氏は批判してるのでしょうが、今は移行期で、大きく変化するためには、最初は手間もコストもかかるんじゃないかなと思うのです。
>愛用品を持つということが大切なことであり、その結果ごみが減るといいということを伝えていると思いますよ。
そうでしたか。本当はそれが一番いいと思っています。個人的には。
ただ今、時代が大きく変わるための過渡期にいて、新たなビジネスチャンスとばかりに、いろいろな便乗商法や、無駄な資源やエネルギーを使って、役にも立たない宣伝目当ての名ばかりのエコバッグとか、それらは確かにあると思います。
しかし、そんなくだらない役に立たないものは、いずれ自然淘汰されなくなると思うし、それらに目くじら立ててストップをかけ、この流れを変える方が、私には、絶望的な気分になるってことなんです。
普段あまり長い記事は書かないんですが、今回はぐちゃぐちゃ書いてしまいました。
私一人がどうこういったって、なるようにしかならないんだって、どこかでわかってはいるのに・・・
もう、ほんと、この手の話題は非常にムキになるたちで、自分でも時々いやになるんです。自己嫌悪です。
ほんと、すみません。
はらわた煮えくり返る
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117681151
dakara_exの回答参照(俺じゃないよ
逆のことを言ってみたくなる“へそまがり”は、
何処にでもいるものです。
レジ袋を断り続ければ、良いこともあります。
小生、複数の店舗において、レジ係の若い女性店員に、
「袋が要らない人」として覚えてもらいました。
男性諸氏も、まず“下心ありき”で結構ですから、
行動を始めてみることをお勧めします。
もやもやしていた気持ちが吹き飛んだ。感謝しています。
「ほれ、ここ見てごらんよ」のほれさんなんでしょうが、思わずほれちゃうぐらいのタイミングの良さもあり(笑)
だけど、このような書き方は、掲示板なんかではふつうなのかもしれないけど、ブログは個人宅のようなだから、立場の違う人によって、受けとり方もさまざまなのは当然。
ある意味、ポストに投げ込まれたチラシみたいなものだから、ブログ主よっては、読まないで捨ててしまう可能性だって十分あると思います。
よその家にチラシをポスティングするってことは、捨てられてしまうことも覚悟のうえじゃなければさ。
捨てられたからって、怒るのは、私は違うと思いますよ
もし、そうされたくないなら、やはり、初めてのブログをたずねる際は、それなりの礼を尽くさないと・・・。ね。
あのあと、武田さんの本をチェックしたけど、やっぱり嘘が混じっていた。
武田さんにあなたが怒る気持ちは、私もすごくよくわかる。
その怒りが、彼を一定の評価する人に向いてしまったんでしょうけど。
でも、いいこともいろいろ織り交ぜて書いてあるからそれを読んで、うっかり、「そうだったのか!」と思う人がいても当然よ。新聞記者だってわからなかったんだから。
そういう人たちに対して、どうやって理解してもらうのか、気がついてもらうのか、はがゆいよね。
だからこそ、ばかにするようなコメント入れたら、ますます人は、反発の気持ちが強くなってしまうってこと忘れないでね。
>小生、複数の店舗において、レジ係の若い女性店員に、
>「袋が要らない人」として覚えてもらいました。
そうそう、そうですよ。
うちのおじさんも、コンビニでエコバッグ出すと若いお姉さんに、にこっとされると喜んでましたからね。
好感度アップ間違いないですよね。(笑)
ありがとうございました!
http://kaworu-arbit.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_b142.html
>週末の買い物には、登山用のリュックを担ぎ、
マウンテンバイクを駆ります。
かっこいいじゃないですか。
スーツにリュック姿の人も、私はいいなあと思います。(*^^)v