ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

ツール・ド・フランス2012

2012-07-25 19:16:30 | トピック

1903年に始まった有名な自転車レース、ツール・ド・フランス。 今年の優勝者はブラッドリー・ウィギンス(32歳)、イギリス人として初の快挙! 

 

 

3497kmを23日かけて走破。 途中、路上にびょうが撒かれるというレース妨害行為があった。 ライバルのタイヤがパンクしたことに気づいたウィギンスは、走者全体にスピードを落とすよう合図。 メディアは彼を“Le Gentleman”(紳士)と讃えた。

優勝の瞬間にその場にいるため、はるばる海を渡ってパリに来ていた多くのイギリス人ファンたち。 その中にはもちろんウィギンスの家族もいた。

妻キャサリン(30歳)から祝福のキスを受けるウィギンス。 息子のベンは7歳、娘のイザべラは5歳。

 

息子と祝賀サイクル・パレードを楽しむウィギンス。 (ベンくんの自転車は、お父さんののミニ版。)

 

表彰台の上で応援してくれたサポーターたちに感謝したあと、彼は言った。

「夢は、叶うこともあるんだなぁ・・・。 そこにいる母さん、貴女の息子はツール・ド・フランスで優勝したよ。 帰路が安全でありますように。 今夜は飲みすぎちゃダメだよ」

母親のリンダ(55歳)はその瞬間、世界中で一番息子を誇りに思う母親だったに違いない。

 

ウィギンスはロンドン北西部の公営住宅で、母親に育てられた。

父親は、オーストラリア人の有名なプロの自転車レース選手、ギャリー・ウィギンス(Gary Wiggins、1952-2008)。

10代で結婚して娘をもうけたギャリーだったが、22歳の時にオーストラリアの妻子を捨ててイギリスに渡った。 リンダと知り合ったギャリーは1976年から一緒に暮らし始め、1979年1月に結婚。 ギャリーのキャリアのためベルギーに移り住み、そこでブラッドリーが1980年に生まれた。 しかし二人の結婚生活は長くは続かなかった。 

ギャリーのレース仲間だったモリス・バートンは、ギャリーが薬物を大量に使用していたこと、大酒飲みだったことを回想する。 ギャリーは酔うと暴力を振るうこともあった。 「ある日リンダの目の周りに痣ができているのに気づいた。 ギャリーにどうしたのか尋ねたが、返事はなかった。 ギャリーは計算高く情け容赦のない性格だった。 他人を利用し、用がなくなれば切り捨てた」

1982年にリンダが家族に会いに一時的にロンドンに戻ると、ギャリーは彼女に「もうベルギーに戻って来る必要はない」との伝言を寄越した。 新しい恋人を見つけたギャリーは、すでに新生活に入っていた。 ギャリーはリンダに会うことは拒否したが、最後にブラッドリーだけをロンドン動物園に連れて行った。 その後17年近く、父子が面会することはなかった。 数ヵ月後、3歳の誕生日のプレゼントとして、自転車が届いた。 自転車のプレゼントを最後に、ギャリーは元妻と息子との接触を完全に絶った。

                              

ギャリーのキャリアは順調に伸び、1985年に相棒と共にチューリッヒでの“マディソン・レース”に優勝したとき頂点に達した。 しかし1987年にコペンハーゲンで事故に遭い、レースからの引退を余儀なくされる。 オーストラリアに戻ったギャリーは、内装工や引越業者として働いた。 再々婚し娘が生まれたが、この結婚も長続きしなかった。 薬物使用とアルコール中毒が、彼を蝕んでいた。 

                                                    

ギャリーに去られたリンダは、自分の両親の協力を得てブラッドリーを育てた。 1992年、ブラッドリーが12歳だったとき、リンダはテレビの前に彼を呼んでバルセロナ・オリンピックで金メダルを獲得したクリス・ボードマンを見るよう言った。 「お前のお父さんは、あの競技が得意だったのよ」  ブラッドリーはクリスのパフォーマンスに魅了された。 クリスその人が16年後の北京オリンピックで、ブラッドリーが金メダルを獲得するのに協力することになる。

ロンドンの自転車レース場を訪ねた12歳のブラッドリー。 そこを使用するアーチャー・ロード・クラブには、かつて父ギャリーが所属していた。 クラブの責任者スチュアート・ベンステッドは、ギャリーが初めてイギリスに来た時、彼を泊めてやったことがあった。 クラブに入会するにはどうすればいいのかブラッドリー少年が尋ねた相手は、偶然にもベンステッドだった。 現在80歳のベンステッドは回想する。 「私は彼に、クラブハウスに行くよう言った。 が、何の気なしに名前を訊くと、名前はブラッドリー・ウィギンスで、ギャリーの息子かと訊くと、そうだと言った。 私は彼をまっすぐにコーチの所に連れて行き、『この子の面倒を見てやってくれ。 この子は未来のチャンピオンだ』と言ったんだ」

1997年に、涙で声を詰まらせたギャリーから17歳のブラッドリーに電話がかかってきた。 ギャリーは妻子を捨てたこと、その後何の責任も果たさなかったことを詫びた。 が、ブラッドリーは何も感じなかった。 「申し訳ないって? 14年間、なしのつぶてだった。 クリスマス・カードすら送ってこなかったのに」

二人はその後、折に触れて電話で話した。 1999年と2000年に二人はオーストラリアで会った。 ブラッドリーはシドニー・オリンピックに向けてオーストラリアでトレーニングがあったのだ。 しかし2000年に会った時、ギャリーは深酔いしていて、ブラッドリーの『テクニックの貧しさ』をこきおろした。 それ以降、ブラッドリーは父親と電話で話すことをやめた。 ギャリーのかつてのレース仲間バートンは言う。 「長年の薬物使用が、ギャリーの性格に悪影響を及ぼしたのかもしれない。 ギャリーはブラッドリーに関するニュース記事を集めていたのだから、父性愛は残っていたと思う。 大事な時にそれを表現できなかったのが残念だ」 

2008年1月25日午前7時頃、ギャリーはオーストラリアの小さな町アバディーンで、ひどく殴られて倒れていたところを発見された。 ヘリコプターで病 院に運ばれたが、やがて死亡。 ギャリーは近くの家のパーティーに参加していて殴られ、外に引きずり出され、路上に放置されたのだった。 彼の死に関連 して逮捕・起訴された者はなかった。 ギャリーの住まいを片付けていた親類は、息子ブラッドリーに関するニュース記事でいっぱいのスクラップ・ブックを発見した。

 

・・・ブラッドリーさん、薬物には決して手を出さず、また家庭では妻子を愛し大切にする良き夫でパパみたいですね。 ご自身の父親が、大いなる反面教師になったのでしょう。

 

               

                            おめでとう~!  ロンドン・オリンピックでの活躍も期待してます!!


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2 コメント

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Unknown (ウイママ)
2012-07-26 11:01:30
ロンドンオリンピック、開幕までに秒読みになりましたね~

すでに予選が始まった女子サッカーでなでしこjapanがさい先のいい勝利を勝ち取りました

我家にはスポーツ選手はいないけど、人間の限界に挑戦する姿に毎回感激!
今から楽しみだわ~
いよいよですね。 (ハナママゴン)
2012-07-27 06:55:04
我家は運痴揃いのためスポーツは観ることにも全く興味ないのですが、ロンドンで開催となるとやはり気になります。

なでしこJapan、頑張って欲しい! 去年の感激をもう一度・・・ って、欲張りすぎかしら。
私が見ると応援してる側が負けてしまうことが多いので、見ずに密かに応援することにします 

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