はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

いよいよAOLのブログサービス消滅

2009年01月31日 | 日々のよしなしごと
あと10分足らずでAOLがブログサービスを終了します。これによってダイアリー(ブログ)も掲示板のブログトークも消滅するわけです。ダイアリーの内容はこちらに移転することができましたが、ブログトークの方はこのまま消滅することになります(もう閲覧することもできない)。先ほど改めて自分が立てたスレッドを覗いてみましたが、過去には賑やかなやりとりがあったのだなあと、懐かしさと同時に一抹の寂しさを覚えました。

私は元々掲示板への書き込みが多かった方で、ブログはかなり後発組。複数の人々と意見(会話?)のやりとりができる掲示板の方が当初は楽しく、ブログは独り言が果たしてどれだけ続けられるのか(=記事を書き続けられるほど自分にトピックがあるのかどうか)自信がなかったのでブログサービスが始まってからも3年ほどは手をつけませんでした。そしてやっと重い腰を上げてブログを立ち上げ、それなりに軌道に乗ったところで、突然のサービス終了の告知。正直言って、気持ちが萎えてしまいました。

こちらへの引っ越しで過去ログは一応確保できたものの、15万に届こうとしていたアクセス数はゼロクリアされ、検索エンジンでは暫くの間過去の記事が正しく検索することができなくなり(これにより日々のアクセス数も激減(-_-))、まるでこれまでの蓄積(地道な努力?)が水泡に帰したような空しさを覚えました。こういう一利用者の切ない気持ち、プロバイダーのAOLは分かっているのかねえ…同時に、ネット言論の場など、いとも簡単に消滅させられるのだと、今更のように思い知らされました。

ところで、ネットいじめの多発をきっかけに、そのツールのひとつである携帯電話の小中学校への持ち込みが、文科省の通達により禁じられつつありますが、このことひとつを取っても、国民生活のすべてが、国家にいとも容易く統制される危険性を感じます(話が飛躍し過ぎ、と笑うなかれ)。何でもかんでもお上から指示されることが常態化したら、いつか国民は自ら考えること、判断することができなくなってしまうのではないか?自由を失った生活に、人々は果たして幸福を感じることができるのだろうか?

統制したい側(つまり権力を持っている側)からしたら、国民の自由はできるだけ制限したいでしょう。特に言論の自由。そのツールであるネットが攻撃の対象となるのは想像に難くない。ネット社会の匿名性は人間性の負(悪意)の部分を増幅する危険性を孕んではいますが、それ以上に、無名の人々が自由に意見を述べる言論の場を与えました。書く(他者に向かって情報発信する)と言う行為が習慣化することによって、人々は意識的に日々情報収集のアンテナを張り、収集した情報を自ら整理して、それらに対する自分なりの意見を持つようになる。これは即ち、「考えること」の習慣化に繋がります。国民のひとりひとりが知的に成熟すれば、それは社会の成熟に繋がると思うのですが、権力を持つ側からすれば、国民による「権力への監視」が強まって何かと都合が悪いのでしょうね。

今回のAOLのブログサービス撤退で、そういったことにまで思いが至ったのでした。
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