俳優香川照之氏の醜聞が巷間を賑わせていますが、特にヤフーコメント欄での過熱ぶりには違和感しかないです。
彼を社会的に抹殺しかねない執拗さで彼を批判している人々は、たかが(敢えて、そう言わせて貰う)俳優の彼に、何を「求めている」、もしくは「求めていた」のでしょうか?
私は誰かが何かを表現する、外に向けて何かを発する場合、その人自身の内に既にあるものしか出せないと思っています。想像するに、その人の内に幾つもの引き出しがあり、時と場に応じてその中から最適と自身が判断したものを外に発露しているだけなのだと。
香川氏は私の知る限り、エキセントリックな演技が飛びぬけて巧い俳優でした。その熱量から好き嫌いが分かれるであろう演技。おそらく、それは彼自身がその内に、ある種の狂気や怒りを孕んでいたからこそ、表現し得たのだと思っています。
だから週刊誌が暴露した一連の醜聞に、特に驚きはしませんでした。そもそも彼の複雑な生い立ちからも彼の内面の屈折は想像出来たし、普段、テレビで見せる圧のあるハイテンションぶりから、プライベートでも感情の制御に(本人?や周囲も?)苦労しているのではと感じていたからです。
光の当たる部分が眩しければ眩しいほど、その背後に濃い影を落とします。普段、私達一般視聴者に見えているのはあくまでも光の部分。影の部分など、一般の視聴者には普通なら知る由もないし、知る必要もない。
かつて、勝新太郎と言う俳優がいました。とにかくプライベートでは破天荒。しかし、俳優としては「座頭市」で見せる演技のキレなど、唯一無二の俳優でした。黒澤明監督演出の「影武者」は監督との演出を巡る意見の不一致で途中降板。
その代役で主演したのが、これまた名優の誉高い仲代達也氏でした。もちろん、精緻な役作りの仲代氏の影武者も素晴らしかったけれど、勝新版も見てみたかった。勝新ならどんな影武者を演じたのだろう、とずっと気になっています。
昔は今ほど情報化社会ではなかったので、銀幕のスターのプライベートは霧に包まれたものでした。銀幕の向こう側にいるスターと、一般人との距離も遠かった。それがテレビの登場により、わざわざ足を運ぶ映画館だけでなく、お茶の間にスターも顔を見せるようになった。それがスターと一般人との心理的距離を縮めてしまったように思います。良くも悪くも視聴者が、スターと自分自身とを同列に見るようになったのです。
もちろん、時代の価値観、規範も徐々に変化します。かつては人権感覚の違いから見過ごされていたこと、黙認されたことも、「看過ならぬ」とあからさまに糾弾の対象になったのが現代。そして、訴える術もなく、泣き寝入りを余儀なくされていた人々には光明が見え始めた時代。
糾弾の対象は芸能人も例外ではなく、此度の香川氏もその渦中に。
しかし、大勢の匿名が逃げも隠れも出来ない名も顔も知れたひとりを、寄って集って批判する現状は、有無を言わさぬ公開裁判の様相を呈して、少し行き過ぎているのではないか?既に彼は出演CMも番組も、そして出演予定のドラマも降板の憂き目にあっています。今後、彼が実父の後を追うように始めた歌舞伎役者としての立場もどうなるか分からない(さらに彼の息子にも、どれだけ影響が及ぶのでしょうか)。既に俳優としての彼は十分、社会的制裁を受けているように見えます(そして、彼のひとりの人間としての真価が問われるのは、おそらくこれから)。
それでも止まないバッシングに、他人事ながら恐怖を覚えます。
著名人の成功はその成功が大きければ大きいほど、それを失うリスクは大きく、失う時も一瞬です。有名税と言うにはあまりにも過酷。まさに成功と転落は紙一重のようです。
その富と名声が故に、"大きな成功もなければ失敗もない、人生の起伏に乏しい"一般人の、嫉妬の対象にもなりかねない著名人は、この「不寛容な時代」の「行き過ぎた情報化社会」で、それ相当の覚悟をして自身を世間に晒さなければならないようです。
失敗した人間を、「二度とやり直す機会を与えないぞ」と言わんばかりに追い詰める社会なんて、誰にとっても生き辛い社会だと思います。執拗に批判を続ける人々は、それでもいいのでしょうか?
人間なんて、それほど立派なもんじゃないですよ。自分も含めてね。
自戒を込めて。(了)
写真は私の十八番の「鶏とカシューナッツ炒め」〜彩り良く、甘辛味に仕上げています。
そもそも完全無欠な人間なんてこの世に存在しないのに、香川氏に聖人君子であることを多くの人々が求めるのか不思議でなりません。
今の世の中、「ダイバーシティ」、いわゆる「多様性」を盛んに訴えながら、ひとりの人間の多様性、多面性、いびつさを認めようとしない。
人間、誰しも幾つもの顔を持っていて、相手によって使い分けていると思いますよ。会社ではクソ真面目な社員が、自宅に帰れば奥さんに子供っぽく甘えたりとか、公正な人物と見られている人が、相手によって傲慢な一面を見せたりとか……
また、人間の長所は短所にもなり得るわけで、あのエキセントリックな香川さんだからこそ、演技で見せるのと同じ熱量で変態?にもなれるし、昆虫愛も語れると思うんですよ。
だから殺人やレイプ(←魂の殺人)等の凶悪犯罪はともかく、ひとつやふたつの短所や失敗を以て、ひとりの人間の活躍の場を徹底的に奪ったり、社会から排除しようと言う動きは恐ろしいと思います。
今回の香川さんの件は昔から言われる「出る杭は打たれる」現象にも見え、良くも悪くも平均化している日本で、突出して成功している人物を妬む大衆心理も影響しているように思います。
最近もヤフーでは、元キー局アナウンサーで現在はフランス在住の中村江里子さんの記事に、その恵まれた境遇への妬みとしか思えないネガティブコメントが溢れていました。
これは時代の閉そく感の反映かもしれませんね。私達が子供の頃は日本は高度経済成長時代で、どんな人も人並みに働けば、生活が年々向上したものでした。どんな階層の出身者でも、努力して良い大学を出れば、良い就職先を見つけ、より高い階層への移動も可能だった。努力の先に明るい未来を展望出来たのです。
それが今は少子高齢化にしても、産業振興にしても、政府の数十年に渡る無策で深刻な問題と化しています。そこに追い打ちをかけるようにコロナ禍とエネルギー&食糧危機と歴史的円安で、一般大衆はかなりイライラを募らせているのではないでしょうか?香川さんはそのイライラの捌け口にひとつにされた格好なのかもしれません。
もうひとつの理由は荒唐無稽?な陰謀説。政治的問題が巷間を賑わせると、マスコミや官憲(薬物関連)が持っている情報を大々的にばら撒き、政権批判から国民の目を逸らすよう図ると言うもの。今なら、さしずめ某宗教団体問題でしょうか?オリンピック贈収賄疑惑もしかり。オリンピック問題はテレビが担当、香川スキャンダルはネットが担当とか…
ともあれ、ごみつさんのお嘆きはごもっとも。
でも、香川氏の実力(ポテンシャル)を以てすれば、心から反省し、初心に立ち返ることで、復帰もそう遠くないと思うんですよね。人が何回でもやり直せる社会であって欲しいです。
最近、もうひとつ怖いなあと思っているのは、国家による情報統制の動き。ジョージ・オーウェルの某小説が現実化しないか、とっても不安です。
この香川照之さんの炎上は、もう個人的にはあまりに残念で泣きたいくらいです。
俳優としての彼も大好きでしたが、昆虫好きの私にとって、カマキリ先生はまさに救世主だったんですよ。
昨今、虫の苦手な人が急増して、学習ノートへのクレームの増大から、昆虫の写真が消された事件も記憶に新しいですが、それを香川照之さんは、もちまえのエンターテイナーとしての才能と、昆虫への深い愛で、子供たちに昆虫、ひいては自然の素晴らしさを伝えてくれてたんです。そして、学習ノートへの昆虫の写真も復活しました。
そもそもこれ、ホステスさんとお店側の間での問題で決着もついてたっていうし、何で3年もたって蒸し返されたのか。何か、香川さんをつぶしたろ!っていう勢力でもいたんですかね。
それにこれだけで、徹底的に芸能人としてのキャリアを封印しようとするマスコミと世間も本当におかしい。
彼のイメージダウンになったのは確かではあるので、復帰には時間かかるかもですが、とにかく私はカマキリ先生が残念で。あれは他の人には出来ませんよ。
一般視聴者に見えているのはあくまでも偶像ですよね。それで見えていなかった部分に幻滅しても、と思います。
それに自分が直接香川さんから迷惑を被ったわけでもないのに、なぜそんなに怒っているのか理解出来ません。
怒るべき対象はもっと他にあるのではないでしょうか?
芸能界はほぼ虚飾と嘘の塊ですから。