はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

国家なんてクソくらえ~ミュンヘン

2006年03月09日 | 映画(2005-06年公開)


一部映画評はなかなか辛口である。
「何を今さら。既に言い古されたテーマ」
「あのスピルバーグをして、このテーマについて
この程度のことしか言えないのか」など。
しかし、この作品に描かれた当時の状況は、30年経た今も
殆ど変わらず、人々を苦悩の内に置いている。
スピルバーグは途切れることのない憎悪の連鎖を、
それによって繰り返される暴力を描きたかったのではないか、
と思った。このことを忘れないで、そして自分の問題として
考え続けて…と。

ラストシーンの、今はなきWTCビルの姿が象徴的だ。
劇中でもパレスチナ・ゲリラの一人、アリが熱く語っている。
「土地を取り戻すまで、100年でも我々は闘う」
この言葉通りの現実がある。彼らは彼の地にパレスチナ国家
を樹立するまで、それこそ百年でも数百年でも千年でも
闘い続けるのではないか?
主人公アブナーはこう反駁する。
「あの岩ばかりの土地でもか?」

私はあの地域に住んだことがあるので、その地勢は行った
ことのない人よりは多少知っているつもりだ。
確かに土漠と言ってもよい草木の殆どない地域もある。
しかし、例えばヨルダン渓谷周辺には田園風景や果樹園が
広がっていた。そこで収穫される果実はジューシィで
とてもおいしかった。野菜も、日本の野菜と違って味に
コクがあった。地元の子供達はおやつ代わりにきゅうりや
ニンジンをかじりながら、布を巻き付けて作った手製の
サッカーボールを路上で蹴っていたりする。
瑞穂の国、日本と比べれば、乾燥した岩ばかりで、水の確保
も難しい生存環境の厳しい土地と言えるのかもしれないが、
そこに生まれ育った人間にとっては、かけがえのない故郷だ。

他人には窺い知れぬ愛着が、その土地の人間にはある。
それは、例えば日本の豪雪地帯の人々にも言えるのでは
ないだろうか。
今年はいつにない大雪で、集落が雪のために交通路を断たれ
孤立するケースが続出した。比較的自然災害の少ない都会の
人間の中には、「あんな所にはとてもじゃないが住めない」
と思った人も多いのでは?
しかし、そこにはその土地を愛し、そこに執着する人々が
いるのだ。テレビ中継で映し出される映像には、
年寄りだけでなく、10代の若い姿もあった。
こうした土地の冬の厳しさの後には、素晴らしい春がある、
と聞いたことがある。劇的な四季の変化はその土地の宝だ。

土地に執着する人々の思いを、誰が否定できよう。
何千年というスパンで見れば、ユダヤ民族パレスチナ民族
共に同じ土地で平和裏に共存していた時代もあったはずだ。
それが”国家”という単位になると事態がややこしくなる。
国体護持のために、個人の幸福が犠牲になる。
それは非情にも歴史で繰り返されて来たことだ。
命を賭して、家族との平穏な生活を犠牲にして、
国家に忠誠を尽くした結果はどうだ?
国家は彼らの愛国心に応えてくれたのか?
現実問題として、国家の存在、そして安定なしに
自分の平穏な暮らしはないとは理解はしていても、
「国家なんてクソくらえ」と、この映画を見て思った。
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