笑いまみれ・はなこば日記

笑うことを積極的に考える女の日記
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甘受のしあわせ

2008年07月17日 | テレビ
気がついたら!
なが!!長文になってしまいました。
途中であきたら・・・すいません。

週刊文春の宮藤官九郎のコラムにて、
「自己模倣をしないようにしている」とありました。

じこもほう。
同じことを何度もしないで、
常に新しいことを生み出していこうとしている。
ということなのだと察します。
クリエーター的にはよく使う言葉なの?
むずかしいですな。

最近、笑いを研究しすぎて、
知らなくていい言葉や技法などを知りすぎてしまいます。
先日紹介した中島らも氏も書籍の中でおっしゃっていましたが、
笑いを考えすぎると、笑えなくなります。
らも氏の場合は、笑えるものとして出されても
「なるほど」とか「そうきたか」とかしか思えず、
笑うことができないのだそうです。

私もこれに陥っております。
とても悲しいです。
舌が肥えたってことで
いいではないかという意見もございましょうが(ほんとに?)。
それはぜんぜん違います。
私は完全なる笑いの受け手になりたいのです。
笑いを創る側はいくらでも考えていいと思います。
しかし
私はただただ笑いたいだけなので、
本音はなんでもかんでも笑って幸せになりたいのです。
だが、もう後戻りはできません。
入れた知識を出すことはできず、
ひたすら未知との遭遇を求めてふらふら彷徨うこととなります。

ボケとか突込みとか、間とかオチとか。
今では一般化しているお笑い用語も、
見る側はぜんぜん知らなくていいと思います。
視聴率と同じくらい、知っていても意味のないことだと思います。
ここはツッコミがいまいち。ボケが弱い。
ここは笑うところ。
とか考えているうちに、本当の面白さを見失っていきます。

アメトークで、
「徹子の部屋」惨敗芸人の回に感動しました。

あの番組は完全に作り手側からの視点で製作されていて、
それがまあ面白かったりします。
だれがどの事務所とか。
まったく笑うこっちには関係ないんだけど。
と思いながらほぼ毎週見ています。

そうそう。
惨敗芸人です。
この回は、
最初に「徹子の部屋」に出演した芸人が、
空気の読めない徹子の芸人つぶしにまんまとやられてしまい
滑りまくる。
という過去VTRを見るコーナーがあり、
これが
見方によっては、
徹子→悪
みたいな感じにも見えてくるのですが。

徹子様は完全なる笑いの受け手として、
神の領域にいる!
と私は思いました。

面白い話して!
とギャグが得意でトーク下手な芸人にふる。
話の落ちを一番最初に言ってしまう。
分からなければ、絶対笑わない。

なんてされたら、
芸人にとっては、とっても迷惑かも分かりません。
でもそんなの知るか!
です。
芸人さんに気を使うことは、
笑う私たちにとって、関係のないことです。
たぶん、私はあの徹子の席にいて(徹子の部屋だから無理だけど)、
あそこまで無邪気に笑いを甘受できるとは思えません。
芸人さんをうまく活かすのが司会業だろう。
という意見は今は受け付けません。
だって神だから。

ポイントは、
徹子様は笑うことを愛しているってこと。
こういう人がいるからこそ、
笑いが向上していくのだと思います。
笑い好きがみんな、お笑いに詳しくて、
笑うポイントを知っていたら、
全然、つまんないです。
つまんない笑いしか生まれてこないです。
分からない!とはっきり言うことで、
新しい未知なる笑いも生まれてくると思うのです。

だから、
笑いに詳しくなりたい!
という私の今の想いは、
面白いことを甘んじて受けたい!
という気持ちと矛盾していて、
苦しい限りです。

つーか。
こんな悩みを言うためだけにこんだけ書いたの?
ズッコー!