ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県那須烏山市、小塙陣(森田)屋跡です!!

2018-03-06 06:37:55 | 城跡・館跡・陣屋跡
小塙(こばな)陣屋跡は、那須烏山市役所の西南西約kmのところ

JR烏山線こばな駅の直ぐ東側の台地上にあります

薬師堂のカヤから南へ進むと

小塙駅への案内板と小塙陣屋の案内板が有ります

台地の端に説明版が有ります

説明版です
  小塙陣屋跡(森田陣屋)
    慶長5年(1600)に起こった関ヶ原の戦に際し、大田原増清は
   上杉景勝軍の南下に備えるため徳川家康が派遣した諸将(服部半蔵・
   皆川広照)の指揮下に属し、兄春清とともに大田原城の防衛に当たり
   ました。
    戦後、論功行賞により森田郷及び田野倉村、深作村など本市内にお
   いて1000石の領地を拝領し、慶長7年(1602)には、芳賀郡
   内で500石の加増を受け、都合1500石を領する知行所が成立し
   森田大田原氏の祖となりました。
    森田領主となった増清は、那須一族の森田氏が築いた森田城には入
   らず、本家大田原氏より小塙村地内を石高25石で永代借地し、この
   地に陣屋を築きました。以後10代にわたり交代寄合旗本として明治
   まで存続しました。
    陣屋は、東西162間、南北120間、面積5町1反歩と比較的大
   きな規模を持っています。荒川の河岸段丘を背に南に向いて築かれ、
   周囲は土塁で囲まれ、東から南には水堀が掘られていました。
    現在は、陣屋地内には東の堀跡と西の土塁が遺構として残るのみで
   すが、陣屋南東にある森田宿通りは、武家屋敷の面影が今でも感じら
   れます。
                   平成28年3月
                   那須烏山市教育委員会


土塁が残ります



現在は畑になっています


東に戻ると堀跡が残ります

西側台地の斜面です

小塙駅側から見ると台地上の木々のところです

では、次へ行きましょう

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